書籍【失敗の科学~失敗から学習する組織、学習できない組織】読了
私たちは日々仕事をする中で、数多くの選択をしている。
しかし、その選択がすべて成功することは、まずあり得ない。
もちろん成功することもあるのだが、失敗することの方が多いのではないだろうか。
当たり前であるが、誰だって失敗しようと思って、目の前の選択を決断している訳ではない。
全員が成功を目指して決断しているし、その方針に則って現場は行動する訳であるが、なぜかその歯車が狂う時がある。
現場で修正できる時はそれでよいが、大抵戦略上の誤りは無視され、ミスは表面化せずに隠蔽されてしまう。
もちろん、そうではない健全な組織も多いはずだ。
隠蔽される組織ばかりだったら、そんな社会は成り立たないはずだし、もっと世の中が混乱していてもおかしくない。
それでは、今現時点の我々の社会をどう評価すればよいのだろうか。
先進国で安定している国家は、総じて健全な組織がほとんどだろうとは思う。
それでも尚、失敗が起こり続けてしまうのは、なぜだろうか。
失敗を繰り返してしまう組織と、失敗から学び改善していける組織とは、一体何が異なるのだろうか。
本書では様々な業界の実例を踏まえて、まさに失敗例と、その成功例を示している。
一番分かりやすい比較として、航空業界と医療業界を取り上げているのだが、読み進める内に様々なことを考えてしまった。
私が働く職場は、どちら側に近いと言えるだろうか。
少なくとも、航空業界とは言い難い。
業界内で横連携し、全体でミスを減らすために失敗を共有する文化は、残念ながらほとんどない。
こういう一つひとつのことが大切なはずなのに、それが実行されないのは、やはり業界の文化の違いだと言わざるを得ない。
航空業界はミスを共有する文化を作り上げ、医療業界や私が働く業界は、いまだにその文化を構築することができていないということだ。
現場で働く方々は、ものすごく一生懸命、目の前の仕事に日々向き合っている。
それはつまり、「組織としての、失敗との向き合い方」そのものに課題があるということだ。
医療業界に限って言えば、もし医療ミスが起きても、それが「個人の不注意」や「仕方のない不可抗力」として処理されやすい傾向があるのだという。
失敗を認め、公表することは、キャリアに傷がつくことや訴訟のリスクを伴うために、失敗から得られるはずの貴重な教訓が、組織全体で共有されにくい構造になってしまっている。
もちろん病院によっては、そういうことはなく、失敗を共有し、改善を繰り返しているところもあるだろう。
傾向として、医療業界は失敗が共有されにくい構造にあるということなのだ。
それでは、航空業界はなぜ上手くいっているのか。
航空業界であっても、かつては事故が頻発する非常に危険な状態だったらしい。
彼らは失敗を「個人の責任」として片付けずに、事故が起きた際は必ずブラックボックスを回収し、徹底的に事故の原因を追究したのだという。
「なぜそのミスが起きたのか」を客観的に分析し、二度と同じことが起きないように、業界全体のシステムを愚直に改善し続けてきたことが、今の差を生んでいる。
結果、航空機は世界で最も安全な乗り物の一つになっている。
なぜ、航空業界にできて、医療業界にはできないのか。
良いものは取り入れて、真似すればよいだけなのに、それがなぜできないのか。
もちろん航空機の場合は、1回でも墜落した際の被害が大きいことは言うまでもない。
命の重さは比べられないが、一瞬の判断ミスによって多くの人命が失われることを考えると、そのノウハウを共有した方が、航空会社同士でお互いにメリットになる。
医療の場合は、そのミスがどうしても個別案件になってしまうために、全体での共有に繋がりにくいのかもしれない。
私が関わっているビジネスの現場でも、個別案件のミスはなかなか情報共有されずに、似たようなミスが今でも他部署で起きることが、繰り返されてしまっている。
私は今は人事部に所属しているため、仕事柄組織のトラブルや不祥事に向き合うことも多い。
こういう文化は何とか変えていきたいところであるが、簡単にはいかないとも感じている。
何かミスに発展しそうなことが起きた際に、その事実を正確に把握できればそれに越したことはないのだが、なぜか我々は、自分自身の間違いを認めるのが非常に難しい性質を持っている。
「認知的不協和」という心理的メカニズムが働いているらしいのだが、要はその「失敗」という不快感を解消するために、無意識のうちに事実を捻じ曲げ、自分を正当化してしまうというのだ。
「本当か?」と疑ってしまうのだが、冷静になって自分自身を振り返ってみると、確かに身に覚えがある。
人間は自分にとって都合よく考える生物なのである。
こんな「認知的不協和」が、個人だけではなく、集団の単位でも行われてしまうのだから、とても厄介だ。
「我々は悪くない」
この言い訳自体が、自分たちの自尊心を守るための自己防衛と言える。
この呪縛から脱しない限りは、同じ失敗を何度も繰り返すことになってしまうだろう。
自分たちを正当化し続けている限り、「そこからの学びが得られることはない」と著者は断言している。
日本人は特に、周囲の空気を読み過ぎる強固な「同調圧力」や、「恥」を恐れる文化を持っている 。
失敗を極端に恐れる思考になるのも、本能と言えばしょうがない部分もあるだろう 。
しかしながら、失敗を一度もせずに、一生安全に生きていけることなど、絶対にあり得ない。
むしろ、どんどん失敗して改善を繰り返すことで、経験を積み上げた方が、結果的に実力がついて良いはずなのだ 。
頭では理解していても、一歩を踏み出すのは確かに怖い 。
だからこそ、失敗を「個人の資質」の問題にするのではなく、失敗を許容し、そこから学ぶ「仕組み」を作ることが何よりも重要になると、著者が説いている。
本当にその通りなのだと思う。
本書の中の好きなエピソードで、「撃ち落された戦闘機に着目した天才数学者」の話があるのだが、こういうことこそ「本質を掴む」ということなのだと思う。
帰還した戦闘機の弾痕を調べ、どの場所の装甲を補強すべきかを議論していた際に、なぜ「弾痕が全くない場所」を補強しようと思ったのか。
答えは驚くほどシンプルで、軍が調査していたのは「無事に帰還できた機体」だけだったからだという。
要は、翼や胴体に穴が開いた状態でも帰還できたということは、その場所は撃たれても致命傷にはならないことを意味しており、逆に、帰還した機体の「エンジンやコックピットに弾痕が無い」のかは、それらを撃たれた機体は一機も帰ってこれなかったから。
この論理に従って、弾痕がなかったエンジンや燃料系に装甲を施したところ、戦闘機の帰還率は劇的に向上したという。
我々は見えているものだけで物事を判断してしまいがちになるが、見えていない部分にも本質が隠れていたりする。
そこにどうやって光を当てるかが、本当に難しい。
「失敗の科学」とは、究極的には「謙虚さ」を問い続けることなのかもしれない。
社会は益々複雑化し、高度化している。
未来を予測することが、これほど困難になるとは思わなかった。
だからこそ、失敗を恐れずに挑戦し、そこから真摯に学んでいく力があれば、これからの未来を生き残れるかもしれない。
そんなことを考えて、日々失敗を反省しながら、科学的に改善していきたいと思う。
(2025/11/9日)