こんにちは!
株式会社Berryの採用担当です。
本日は、代表取締役の中野へのインタビューをご紹介いたします。
Berryが掲げる「医療格差0」。
このビジョンの背景には、中野の意外な原点がありました。
- 田舎で過ごした幼少期に培った「ものづくり」の原点
- 新卒1年目でベトナム子会社社長へ。修羅場で学んだリーダー論
- なぜ「ヘルメット」から始め、その先に何を見据えているのか
を伺いました!
「手触り感のある開発がしたい」「グローバルな社会課題に挑みたい」という方は、
ぜひ最後までご覧ください!
穴を掘り、土器を焼いた少年時代。 「自分の手で創る」ことの原体験
ーどのような幼少期を過ごしましたか?
生まれは岡山市なのですが、6歳ぐらいの時にとんでもない山奥に引っ越しました。友人に会うには山を5km下らないといけないような場所で、家は薪で焚く五右衛門風呂、トイレも汲み取り式。水も井戸水で生活するような環境でした。 夏はホタルが飛び交い、夜は満天の星空が見える。そんな自然の中で、姉や飼い犬と一緒に遊ぶのが日常でしたね。
振り返ってみると、あまり人との関わりあいは少なかったかもしれません。 その代わり、「火や水はどう動くのか?」「物事の仕組みはどうなっているのか?」といった事象への興味がすごく強い子供だったのではないかと思います。
強烈に印象に残っているのは、穴を掘るのが大好きだったことです。お年玉でシャベルを買って、庭にひたすら穴を掘って「地下の部屋」を作るのを夢見ていました。
当然、子供の力で家なんて作れないわけですが、掘り進めると「粘土層」にぶち当たります。 そうすると、その粘土をこねて土器を作る。それをまた掘った穴に入れて、火をくべて焼く。そうやって自作の土器を完成させていました。
この「自分の手で創意工夫してものを作る」という原体験は、今のBerryの自分達でプロダクトを創る精神にも通じているかもしれません。
ーその後、東京へ引っ越されたと伺いました。環境の変化はどうでしたか?
小学5年生の時に、父親が突然「東京のベンチャーに転職する」と言い出して、家族全員で上京することになったんです。 最初は方言丸出しで地元の小学校に通ったので、すごくバカにされましたね(笑)。
その後、親のすすめで私立の小中高一貫校に転入したのですが、ここがまた特殊で。
校則も教科書もないような自由な学校なのですが、とんでもないお金持ちや芸能活動をしている子、逆にあまり裕福ではない子もいて、東京はすごいところだと衝撃を受けました。
ただ、田舎から出てきた自分には刺激が強すぎたのかもしれません。「普通の高校生活ってどんなものだろう」と気になり始め、高校受験を決意しました。 運よく都立高校へ進学し、そこで出会ったのが少林寺拳法部です。
そこで主将を務めた経験が、私の人生を変える出来事のうちの1つになりました。
60人以上の部員がいるなかで、「一度決めたことはやり遂げる」「人から見られることを意識して行動する」という責任感が養われました。当時は毎日のように辞めたいと思っていましたが、この時のリーダー経験は、今の経営者としての自分に大きな影響を与えていると思います。
新卒1年目で、ベトナム法人の社長へ。
ー大学時代からキャリアのスタートについて教えてください。
東工大に入学した当初は、研究者に憧れていました。でも、大学院時代にシンガポール国立大学へ留学した際、現地の博士課程の学生たちが本当に辛そうに研究している姿を見て、「これを何年も続けるのは自分には難しい」と挫折しました。
研究の世界って、何年もかけて一つの成果が出れば良い、みたいな時間軸なんですよね。
毎日同じことが続くことに耐えられない性分の私は、もっと変化があって「20年後の未来が予測できないような場所」が合っていると考えていました。
そこで就活を始め、当時勢いのあったITベンチャーの「じげん」に入社しました。今考えても本当に恵まれていたと思うのですが、入社した週の金曜日に社長に呼ばれて「ベトナム法人の社長をやってみるか?」と言われたのです。
一度は「考えます」と部屋を出ましたが、「ここで断ったら意味がない」と思い直し、数時間後に「やります」と答えました。 登記も終わっておらず、ベトナム人のエンジニアと二人でのスタートでした。
ーいきなりの海外子会社社長。どのような経験でしたか?
想像以上のチャンスであり、修羅場でしたね。 「経理も採用も外注するな。すべて自分でやれ」と言われ、事業開発はもちろんのこと英語とベトナム語で仕訳して帳簿をつくったり、会社経営に必要なことは何でもやりました。
3年間で60人規模の組織になりましたが、その過程では、文化の違いやコミュニケーションの難しさから、組織運営に苦労することもたくさんありました。
その中で学んだのは、「リーダーは常に平等で、誠実であるべきだ」ということ。
社長が感情で判断を変えたり、誰かを贔屓したりすると、組織はすぐに崩壊します。だからこそ、どんな時でも感情に左右されず、公平に振る舞う。 そして、自分一人ではできないことばかりだからこそ、仲間を信頼して任せる。 この価値観は、今のBerryの組織運営の根幹になっています。
ーその後、戦略コンサルティングファームに転職されたのですね。
ドリームインキュベータという会社に転職し、大企業への戦略コンサルティングやアメリカのベンチャー投資などを担当しました。
そこでハーバードやMIT出身の起業家たちとも仕事をする機会をいただき、「雲の上の存在と思っていた彼らも、同じように悩み、試行錯誤しているんだ」と気づけたことが大きな財産になりました。
「医療格差0」は、普遍的な願い。
イノベーションは、現場の“手”からしか生まれない
ーBerry創業のきっかけと、ビジョンについて教えてください。
ドリームインキュベータを経て医療業界に転じ、その後Berryを創業しました。
医療機器の世界で働く中で、本当に困っている患者さんに製品を届けた際、心から感謝してくれる姿を見て、「こんなに素晴らしい仕事があるのか」と思いました。
掲げたのは「医療格差0」。 言葉にするとシンプルですが、これは「あらゆる人が必要な時に必要な医療を受けられる社会を実現する」という、時代が変わってもゆるがない普遍的な願いです。
私がいなくなったとしても、長く社会に貢献し続ける会社であるために、このビジョンを据えました。
ーなぜ頭蓋形状矯正ヘルメット事業からスタートしたのでしょうか?
創業当初は色々な事業を検討しました。私はエンジニアなので、ものづくりをしたいという思いが非常に強かったです。
最初の事業として「頭蓋形状矯正ヘルメット」を選んだのは、技術の進歩と医療の潮流が交わるタイミングだと感じたからです。
医療の世界では「個別最適化」の流れが加速しています。一人ひとりの身体に合わせた治療が求められる時代になってきた。頭蓋形状矯正ヘルメットはまさにその象徴で、赤ちゃん一人ひとりの頭の形に合わせて作る必要があります。
ただ、これまでは技術的にもコスト的にも、本当の意味での個別最適化は難しかった。それが3Dスキャナーや3Dプリンターの発展によって、高品質なものを適正なコストで作れる時代になってきました。
そして実は、Berryを創業した月に第一子が生まれたんです。自分が親になるタイミングで、赤ちゃんのための医療機器を作る。偶然かもしれませんが不思議な縁を感じました。親として「自分の子どもにも安心して使わせたいものを作ろう」という気持ちが、製品づくりの原点になっています。
市場を調べる中で、当時はヘルメット治療自体がほとんど普及しておらず、製品にもまだ改善の余地がある状態でした。赤ちゃんの頭のかたちで悩んでいるご家族がいるのに、選択肢が限られている。ならば、自分たちの技術力で本当に良いものを届けられれば、患者さんのメリットを純粋に増やせるのではないか。
そう考えて、「医療格差0」というビジョンを体現するために、まずは自分が一番自信を持って価値を出せるこの領域からスタートしようと決めたんです。
ーBerryが大切にしている価値観や文化は何でしょうか?
源泉にあるのは、ソフトもハードもすべて自分たちの手で作っていることです。
なぜなら、イノベーションは「自分で作っている時」にしか起きないと考えるからです。仕様書だけ書いて外注していては、革新的なものは生まれません。
自分たちで手を動かし、時には「これは攻めすぎたな」という試作品を作ってしまうこともある。その試行錯誤の中にこそ、新しい解決策がある。この「手触り感」を何より大事にしています。
そして、文化として一番大切なのは「誠実さ」です。 人が増えて衝突することもありますが、だからこそ「相手を思いやる優しさ」を大事にしたい。
特に、人を馬鹿にしたり悪口を言うことは避けたいと思っています。一度でもそれが許容されると、組織の空気はどんどん悪くなっていく。 もし言ってしまったとしても、「じゃあどうすればいいか?」を建設的に考えるようにしています。
「自分の手で創り、世界へ届ける面白さ」を共感していただける方へ
ー最後に候補者の方にメッセージをお願いいたします。
私たちは「ヘルメットの会社」になりたいわけではありません。 「医療格差0」というビジョンのもと、困っている人がいたら助けられる事業を、グローバルな規模で実現する会社を目指しています。
だからこそ、「儲かりそうだから」「AIが流行っているから」ではなく、社会にとって意味のある事業を自分の手でつくりたい方と、一緒に挑戦したいと思っています。
ー中野さん、ありがとうございました!