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新規開拓なんて嫌いだったわたしが、開拓専門チームのマネージャーになるまでのはなし。

REXの社風といえば「ベンチャー企業らしくない」「体育会系ではない」と表現されることが多く、落ち着いた雰囲気の社員が多いのですが、中にはパッションに溢れている社員も在籍しています。
今回はMs.パッション、ビジネスプロモーション課の市川さんにインタビューさせていただきました。


(いつもどおり社員インタビューをさせていただく予定が、自分史について熱く語って下さいましたので彼女の人生について二回に分けお送りすることにします。新規開拓といえば市川さん!社員の巻き込み力やプレゼン力にも長けている市川さんが誕生するまでを是非ご覧ください。)

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2012年2月。私はアルバイト先の休憩時間に泣いていた。 いまでも忘れない大学卒業2か月前に内定をもらった日でした。


1989年4月。東京都・世田谷区にて産声をあげたわたくしですが、それはもう大事に大事に育てていただき、いわゆる箱入り娘でした。
家族は、医療系の技術者だった父と、専業主婦の母。3個上の兄が一人います。

母は、検査技師として非常に優秀だったのですが結婚後、家庭に入りました。当時は、それが普通のことだったと思うのですが、物心ついたころから私は、
「母のように専業主婦でなく、電車の中で新聞を読み、ヒールを履いてさっそうと街を歩くキャリアウーマンになりたい」と母には申し訳ないけれど思っていました。

中学では高校・大学まで進学できるエスカレーター式の学校に入学をしました。
父と母は、高・大と受験をしており苦労したので、娘には楽をさせてあげたいという気持ちからでした。
たしかに勉強は苦手だったので今思えば、父と母は最善の選択をしてくれたのだと思います。

しかし、当時の私は、どこかレールをひかれているような気がしていて
「自由に人生を選びたい、自立をしたい」という思いがさらに強くなりました。
そして高校卒業の日に、その足で近所のファミリーレストランに求人応募をして働き始めました。

24時間のお店だったので、土・日は朝6時から勤務をしました。
世田谷の中でも忙しいお店で、そこに勤務ができる店長は本社行きになるので、出世店と言われていました。
そんなお店で働けることを大学生ながら私は誇りに思い、自分で稼いだお金で仲間たちと旅行に行き、好きなようにお金が使える嬉しさ、
サービスを通じお客様が喜んで帰っていく姿にやりがいを感じ、扶養の範囲・年間130万円ぎりぎりまで働きました。

最終的に、大学4年生のころはバイトリーダーも務めており、単位もフル単。
学生の鏡だと自負していたのです。

…が、2012年、就職時はリーマンショックと震災のため全く内定をもらえない状況でした。

具体的にはエントリー200社。面接は70社。
夏を過ぎるころには新卒採用のサイトも募集を締め切り、絶望の淵に立たされました。

「こんなに今まで頑張ってきたのに仕事がないのはこんなにもつらいものなのか」
と惨めで、自宅で一人泣いたものです。


それでも諦めずに就活を続けた私は

卒業2か月前に、ようやく大手求人広告の代理店の会社に内定をもらうことができました。

雇用形態は契約社員でしたが、採用が決まったときには
《使えない人間》と思われないようにどんなにつらくても頑張ろうと心に決めました。


1社目では、求人広告の制作と、アシスタントを半年ほど務めたのち、美容室専門の販促広告の新規開拓営業の部隊に異動をしました。

しかも、エリアは遠方。世田谷の自宅から2時間近くかけて移動をし、とにかく朝から晩まで飛び込み営業。


私ははじめ、飛び込み営業が怖くてしょうがなかった。

断られるのがとにかく嫌だった。
でも、やらなければまたどこからも必要とされない《使えない人間》になってしまう。

そっちのほうがもっと怖かった。だから、とにかく必死で結果を残しました。
半年間毎週達成をし続けて表彰されたときは、とても嬉しかった。


営業に慣れてくると、ある問題を感じるようになりました。

《人材の問題》です。
美容業界も税理士業界も同じだと思うのですが、手に職をつけるお仕事はスキルを付けると独立をする人が多く、お店はどんどん増えていく一方で、人手不足は加速していきます。
さらに女性の場合、出産・子育て等ライフイベントによりキャリアを諦めてしまう現状があります。


当時私が、就職活動で感じた、《働きたくても働けない人がいる》という世の中に課題を感じ、
いつしか優秀な主婦のキャリア支援をしたいと思うようになりました。

そんなときに出会ったのがアカナビです。

アカナビは、会計事務所や一般企業で過去勤務のある方や興味のある方を対象にした女性活躍支援をしている求人サイトです。 会計・経理の仕事はスキル横断型の仕事でどこでも必要とされる素晴らしいお仕事です。 女性活躍は進んでいるものの、まだまだ課題はあるこの日本に少しでも貢献できたらと思い日々全力投球しております!

と言えるようになったのは最近の話です。(笑)


転職活動をしているときに、某求人サイトで偶然見つけたレックスアドバイザーズの求人。
どうやら求人サイトを立ち上げるらしい…。

しかし、内容は会計士・税理士の採用支援…!?
難しそうと思いつつも求人サイトの立ち上げに興味があったのでとりあえずダメ元で受けてみたところ、森田さん(現監査役)って人から面接したいと連絡がきた…!

というのがレックスアドバイザーズとの出会いです。
2015年12月のことでした。

そこからはとんとん拍子に話が進み、一次面接時は代表の岡村と話して、「僕はうちに来てもらいたいと思うよ」と言っていただきました。当時は、一次面接で代表が出てきたのは初めてだったのでとても驚きましたが、後から聞くと履歴書の段階で私を採用したいと思ってくれていたそうです。

数年後、当時の話を岡村が話してくれる機会がありました。

「履歴書に<仕事中心で生活を送ってきました>って書いててこれはいい!って思ったんだよね。」とさらっと言われましたが、
70社選考に落ちまくっていた<とにかく働きたかった私>を認めてもらえたんだなと感動しました。
二次面接の前日にも岡村からメールをいただき、「明日は宜しくお願い致します。」という言葉とともに、私が面接時に簡単に聞いた質問に対して丁寧に答えてくれたことを覚えています。

今は会社の規模が大きくなっているので、監査役から面接の連絡がきたり代表が1次面接に登場することはありませんが、最近入社された社員の方からも面接担当者が丁寧対応して下さったという話をよく聞きます。

REXの魅力でもあるのですが、一人一人に対して丁寧に接してくれる文化が根付いています。
それは、人材を<人財>と感じている証拠。

人材サービスを生業とする弊社のポリシーでもある、ただ人材と企業をマッチングするだけでなく、双方の未来を見据えた支援を行う。
岡村を通じてREXの社風を感じた瞬間でした。


内定を断る理由などなく、私はREXへの入社を決めました。


2016年1月。当時30名ほどの会社だったREXは、まだまだ新規の顧客開拓が必要な状態。私は前職の経験を生かし、とにかく新たなお取引を探すべく新規開拓に注力しました。
同時に求人サイトの構築もスタート。求人サイトの名前すら決まっていない状態だったので、なにからなにまで一から作り上げていきました。のちに誕生するのがアカナビです。



アカナビと共に成長し、

入社1年後には会社から新人賞をもらい、リーダーになり、マネージャーになった話は後編で。

(後編の配信日は8月25日です)

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