こんにちは!SevenC’s取材担当です。
今回は弊社で働く社員を紹介する「インタビューシリーズ」をお届けします!
- SevenC’sのことをよく知りたい
- 通信事業の営業部長をされている坂口さんがどんな人間なのか、もっとよく知りたい!
そんな方はぜひ、ご覧ください!
【小野寺さんの紹介(写真左)】
- 名前...小野寺 陸
- 役職...通信事業 営業責任者
- 年齢...27才
- 出身...北海道函館市
止められない衝動。好奇心のままに動く子どもだった
<本日はよろしくお願いいたします。まずは、小野寺さんの生まれや幼少期からお話を伺えますか?>
小野寺さん:
1998年6月5日生まれで、北海道の函館市出身です。自然が多い場所で、海も山も近くて、とにかくのびのび育った記憶があります。
<函館のご出身なんですね。幼い頃はどんな子どもだったのでしょう?>
小野寺さん:
本当にやんちゃでしたね。落ち着きがなくて、好奇心ばかりが先に立つタイプでした。
「朝読書」という時間があったんですが、そこで野球少年だった友達と教室の端から端でキャッチボールして怒られていました(笑)。当時はまったく悪気もなく、ただ楽しいからやっていたという感じです。
<なかなかわんぱくな幼少時代を過ごされていたんですね(笑)なにかスポーツはされていたんですか?>
小野寺さん:
小学2年生からサッカーを始めました。最初は野球をやるつもりでしたが(笑)
<確かに、先ほどのエピソードを聞いて「あれ、野球じゃないんだな」と思いました。>
小野寺さん:
幼い頃から父とキャッチボールしたり、バットを買ってもらって公園で遊んだりしていました。
でも、近所の幼なじみのお兄ちゃんがサッカーをやっていて、公園で一緒にボールを蹴ったときに「これめちゃくちゃ楽しいな」と感じたんです。それがきっかけで、気づいたら少年団に入っていました。
プロを夢見て。強豪クラブで味わった“勝負の世界”の厳しさと、支えてくれた仲間との絆
<そこからずっとサッカー中心の生活だったのですか?>
小野寺さん:
そうですね。大学1年生の夏前に辞めるまで、サッカーに打ち込んでいました。
小学生の頃はボランチ(今の日本代表で言うと遠藤航選手と同じ中盤のポジション)やフォワードといった「攻めより」のポジションを任されていて、「絶対プロになる」と本気で思っていました。
<中学生の頃はクラブチームに入っていたと伺いました。当時はどんな環境でしたか?>
小野寺さん:
はい、中学では部活ではなくクラブチームを選びました。全国大会にも出るような強いチームで、練習も厳しかったですね。一学年十数人という少人数だったこともあって、競争も激しかったです。
最初は小学校から慣れ親しんだボランチとして頑張っていましたが、センターバックのメンバーが急に辞めたりしてバタバタな時期もありました。監督から「もうお前しかいないから」とポジション変更を言い渡されたり、急なコンバートに当時は正直言って受け入れがたい「悔しい」気持ちもありましたね。
<中学3年間はつらかった時期でもあったと。>
小野寺さん:
本当につらかったですね。走り込みも毎日きついし、食事管理も徹底されていました。
監督やコーチの指導も今思えば「社会の理不尽さ」を知る場だったなと思います。でも当時の自分にはただただきつかった。。
<さらにその時期に大きな挫折があったということですが…。>
小野寺さん:
小学6年生のとき、ナショナルトレセン(日本サッカー協会(JFA)が主催する全国規模の講習会)U-12に呼ばれていたんです
小学校のときは札幌の強豪クラブの選手たちと互角に肩を並べられていて「俺もやれるな」なんて感じていたんですが、中学に上がると身体能力の差が一気に出てきました。背の伸びもスピードもついていけなくなって、先輩の試合に出ても何もできない。「よくそれでナショナル入ってたな」と小言を言われたりして、正直すごく苦しかったです。
あれが最初の本当の挫折でした。
<そんな辛い環境のなか、サッカーを辞めようとは思いませんでしたか?>
小野寺さん:
めちゃくちゃ思いました(笑)。毎日「もう無理」「練習に行きたくない」と母に言ってました。
でも母に「今辞めたら絶対後悔する。やり切ったと思えるところまでやって、それでも無理なら辞めなさい」と言われて。それが個人的な後押しになりました。
あと、中学の仲間が本当に良かったんです。今でも結婚式で集まるくらい、強い絆がある。その仲間がいたから、辞めずに続けられましたと思います。
怪我と誘惑に揺れた高校時代、プロへの道が途切れて初めて見えた“その先”
<高校進学では、かなり選択肢が広がったと聞いています。>
小野寺さん:
北海道の強豪校に加えて、関東の流経柏(流通経済大学付属柏高等学校)からも声をかけてもらっていました。でも、自信がなくて、結局流経柏には行けませんでした。
「レベルの高いところで勝負する覚悟」を、当時はまだ持てなかったんだと思います。
結果として、1〜2年生から試合に出られそうで、人工芝が完備されたグラウンドが魅力的だった、札幌創成高校を選びました。
<今振り返ってみて、その選択はどう感じますか?>
小野寺さん:
創成高校に行って良かったと思っています。でも、もしもう一度戻れるなら流経柏に行きますね(笑)関東でプレーしていたら、自分の器や限界をもっと早く知れたかもしれませんから。
でも、札幌で下宿して親元を離れた当時は函館訛りをバカにされてしばらく話せなくなるほどのカルチャーショックを受けました。もし、そのまま上京をしていたら、もっと立ち直れないくらいへこんでいたかもしれませんね(笑)。
<サッカー以外でも大きな成長があった高校時代だったんですね。サッカーとの距離感はどう変わったのでしょう?>
小野寺さん:
最初はサッカーが自分の中で9割を占めていましたが、高校2年生くらいから怪我が増え、誘惑も増えて、だんだん気持ちが離れていきました。
調子が上がってきたタイミングで大きな肉離れをして、もう「プロは無理だな」と痛感してしまいました。プロの道ではなく「就職」を考え始めたのはそのあたりからだと思います。
<なるほど。進路への迷いが始まったんですね。>
小野寺さん:
はい。最初の迷いは「サッカーで大学に行くか、それとも就職をするか」でした。
札幌大学からサッカー推薦の話をもらっていたんですが、いろんな理由があって監督が勝手に断っていまして(笑)。親も北海道内ではなく関東の大学に進学してほしかったようで、自分としても、一度学歴をつけてから就職した方が、いい企業に行けるんじゃないかと思っていたんです。
その結果、最終的には関東にある拓殖大学への進学を決めました。
<大学では中退の道を選ばれたと聞いています。その経緯を改めて教えていただけますか?>
小野寺さん:
入学してすぐサッカー部に入りましたがやっぱり大学でも怪我がちで、「もうダメだ」と感じていました。入学3ヶ月目の合宿を断りなくキャンセルしてしまい、そのままばっくれるような形でサッカー部を辞めてしまったんです。
その後も大学には通っていましたが、彼女ができたり、バイトを始めたり、今思えば「楽しい誘惑」に流されてしまっていた大学1年生でした。
留年しそうでしないギリギリの生活をしていたタイミングで「コロナ」が大流行。オンライン主体の授業に移りかわり「なんのために大学に通っているんだろう」と思って中退を決意しました。
親がすぐには許してくれませんでしたが「2年生までの単位を取るから、残りは通信の大学で卒業資格を取らせて欲しい」と説得して、中退しました。営業のクロージングスキルは、このときに培ったのかもしれません(笑)。
大学1年、負債額は200万円超。それでも逃げなかった小野寺さんと、SevenC’sとの交差点
<小野寺さんの大学時代には、もうひとつ大きな出来事がありますよね。>
小野寺さん:
はい。大学1年生のときにアルバイト先の先輩から投資のマルチ商法に誘われ、同時に仮想通貨系の詐欺にも引っかかってしまいました。友人を2〜3人巻き込み、自分の分も合わせて200万円以上の負債になりました。あのときは本当に人生で一番追い込まれていましたね。
<学生時代に200万円以上の負債は大事件ですね…。それでも「全部返す」と決めた理由は何ですか?>
小野寺さん:
巻き込んでしまった友人は小学・中学時代からの仲間で、迷惑をかけたままでは生きていけないと思いました。法的な義務というより、自分のけじめとして返さなきゃいけないと強く感じたんです。逃げる選択肢はまったくなかったですね。
<そこからの行動がまたドラマですよね。どう返していったのでしょうか?>
小野寺さん:
SNSで4〜50人にアポを取り、会える人に片っ端から会って、「自分ひとりで今すぐ稼げる仕事はありませんか」と相談して回りました。
その中で出会ったうちの一人が、SevenC’s代表の杉岡さんだったんです。
<まさに奇跡的な出会いですね。>
小野寺さん:
そうなんです。あのときに行動をしていた自分を褒めてあげたいです(笑)。池袋のカフェで初めてお会いして「営業の会社を立ち上げたから一緒にやってみないか」と声をかけていただきました。
一緒に働かせていただくまでに色々悩んだり、杉岡さんとの予定を飛んだりとご迷惑をおかけしたんですが、それでも普段通り接してくれる杉岡さんの姿勢に心を動かされまして。
気づいたらキャリーケースに全ての荷物を積み込んでいて、住み込みで働かせていただくためにSevenC’sの事務所へ転がり込みました(笑)。
<なんという行動力(笑)。創業期のSevenC’sはどんな雰囲気でしたか?>
小野寺さん:
正直言って、楽しい記憶しかないです。朝早く起きて、夜遅くまで営業を教えてもらい、仲間もどんどん増えて、仕事終わりに麻雀したり語り合ったりして……。飛び込み営業は体力的にきついはずなのに、それすら楽しかった。「生きてる実感」が毎日ありました。
恩を返し、未来へつなぐ。「出会えて良かった」、そう思ってほしいから。
<今のSevenC’sを求職者に紹介するとしたら、どのようにお伝えしますか?>
小野寺さん:
ラフで距離が近い、いい意味でフラットな会社です。旅行やイベントなど顔を突き合わせる機会も多いので、好きな人には最高の環境だと思います。
一方で、業務だけを淡々とこなしたいタイプの人には少し合わないかもしれません。
<最後に、小野寺さんが今後目指していきたいことを教えてください。>
小野寺さん:
壮大なビジョンを語れるタイプではないんですが、「この会社に出会えて良かった」と思ってくれる人を増やしたいです。
感謝を伝えてくれる人がいて、それだけで続けてきて良かったと思える。自分もSevenC’sに救われたので、同じように誰かの選択肢になれる存在でありたい。それが今の自分の一番の目標です。
<とても熱量のあるストーリー、ありがとうございました。>
小野寺さん:
こちらこそ、ありがとうございました!
いかがでしたでしょうか?
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