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本当の優しさを持って、最後までクライアント様と伴走したい。


こんにちは!GOAL-Bコーチの山上はるかです。
本日はGOAL-Bのキャリアコーチでキャリアコーチ統括マネージャーの秋田悠貴さんの人生についてインタビューしました。
テレビ局を入社してから、現在に至るまでの様々な葛藤・挫折そしてもう一度自分の人生と向き合った、人生ストーリーを聞くことができたので、是非、最後までお読みください!


-- アッキーさん、こんにちは!いつもGOAL-Bメンバーから「アッキー」と親しまれている秋田さん。私も普段の呼び名「アッキーさん」と呼ばせてください!本日は宜しくお願いします。

宜しくお願いします!



-- アッキーさんはキャリアコーチでもありキャリアコーチ統括マネージャーでもありますが、改めて現在GOAL-Bでやっていることを教えてください。

はい。現在は、GOAL-Bの「キャリスピ」というキャリアコーチングサービスの中で「キャリアコーチ」としてクライアント様にコーチングを提供している側、クライアント様とGOAL-Bメンバーが繋がれる「最高組」というコミュニティなどの企画を行ったり、事業の中の仕組みを作ったりしています。



-- ありがとうございます!アッキーさんは、元々テレビ局の営業をしていたと伺っているんですが、今はキャリアに悩む方々と向き合うキャリアコーチをしていますよね。紆余曲折があっての今だと思うのですが、ここに来るまで一体どんな過去があったのかも含めて本日伺っていけたらと思っています。

分かりました。お願いします!




1、大学時代から社会人1年目



-- アッキーさんは新卒から営業のお仕事をずっとしてきたと思うのですが、その期間はアッキーさんにとって、どのような期間だったのでしょうか?もともと営業希望でしたか?

実は、僕の場合最初から営業したいとは思っていなくて、偶発的に営業になったという感じです。



-- なるほど!そこまでは一体どんな流れがあったのでしょうか?

遡ると大学時代の就職活動の話に移るんですが。
僕、もともと海とか船が好きで...親の影響もあるんですが「海や船について勉強できたら面白いんじゃない
かな」という感覚で、大阪府立大学工学域機械系学類海洋システム工学課程を選びました。
だったんですけれども、大学に入り、いざ学んでみると勉強が面白くなくて(笑)



-- なるほど。それは親の「好き」を、自分の「好き」と勘違いしていて、本当は興味がなかったということですか?

いえ、海自体は僕もすごく好きなんです。でも、大学で勉強していた「船の構造がどうなっているか」とか「海の水質がどうなっているのか」などはあまり興味が無くて...なので大学時代は、勉強は色々な人の力を借りながら、人並みに、卒業できる範囲でやって、サッカー部の部活動を頑張る、というような毎日を過ごしていました。



-- 大学の勉強に興味が持てなかったんですね。

そうですね。そして、大学3年間を過ごしてきた中で、大学院に進学するのか、学部を卒業して就職するのかを選択するタイミングが来て。学部が理系だったので、他の同期は、ほぼ皆んな大学院に進学したり、大学院に進学しないとしても専攻を活かした企業に行く人が多かったんです。業界では結構有名な学部だったので、企業から推薦枠を貰えるんです。実際、その推薦で就職して行く人が大半でした。



-- なるほど、その学部に関連した仕事に就く人が大半だったんですね。私も医療系学部だったので、同じでした。専門領域ならではの感じですよね。

そうです。ある時、OBOGが大学に来てくれて、海洋業界の仕事の話をしてくれた時があったのですが、そこで正直心が踊らなくって。もう自分は海洋業界に行くべきじゃないなというのを感じていました。

それで「結局自分はどの業界に行きたいんだろう?」と考えていた時に、大学のサッカー部の仲の良かった友人が「俺、芸能事務所受けようと思うんだよね。」と、ぽっと言ったんですよね。その時に「確かに芸能界ってなんか良いな!面白そう!」「なんかキラキラしてる!」と思い、そこで僕は「テレビ局を受けよう!」と決めました。



-- そういうことだったんですね!それまでにアッキーさんは、テレビが好きとか、番組に携わりたいとか思ったことはあったのですか?

好きでしたね!テレビを見るのがすごく好きでした。僕の実家、秋田家では一時期「食事中にテレビ見ちゃダメ」みたいなルールがあったんですよ。でもそれに逆らって、頑張ってテレビ見ようとしていたなとか、常に家はテレビついていたなとか。振り返るとそういう自分が居たのを思い出しますね。



-- 「テレビ見ちゃダメ」という親の抑制があったのにも関わらず、就職でもテレビ局を選ぶくらいだから、潜在的に「テレビが好き」という思いは根強くあったわけですよね。実際にテレビ局に入るって一般的には狭き門と言われていると思うんですが、一発で入ったんですか?

結論から言うと就職浪人して入ってるんですよね。テレビ局に入るのであれば、大きい誰もが知っているテレビ局が良い!という、スーパーハブ思考で。東京と大阪の局を片っ端から受けたんです。



-- テレビ業界に絞って就活していたんですね。

そうなんです、テレビ局"しか"受けなかったです。テレビ局で働きたすぎて、テレビ局に入ることがゴールになってたんでしょうね。なので、アナウンサー職を受けて、ディレクターとかの一般職を受けて、カメラマンみたいな技術職を受けて、絵を描くのも当時好きだったので美術職も受けて、全部受けたんですよ、全局の!!



-- 職種問わず、とにかく入ることに猪突猛進ですね!

ですです!今振り返るとGOAL-Bマインドをその頃から持っていたなと思うんですけど、入社さえすれば自分の行きたい部署にいけるだろうと思っていたので。まず入ることを目標にしてました。

それで、結論から言うと、1年目の就活で全部受からなくて全部落ちたんです。



--どうしても入りたかったテレビ局の全ての職種を片っ端から受けたけれども、全部受からなかった。

そうなんです。それで、僕は「就職浪人をする」という決断をしたんですよね。実は、ここが自分にとっての「自分の枠を超えるような大きな決断」になったんですよね。



-- 就職浪人の決断が大きな決断だった。それはどういうことでしょうか?

振り返ると、僕って今まで「自分が行きたい」という想いだけで行動したことがなかったんです。

というのも僕は長男で、親からの期待に答えようとしてずっと生きていたんです...。お金がかからないように公立の学校にも行き続けて、留年も浪人もせず進み続けて。当然周りも自分も、ストレートに就職するだろうなと思っていて。

いざ蓋を開けたら、行きたい会社は全部落ちているという状況でした。



-- 心境的には結構焦りますよね。

そうです。見かねた大学の先輩が、自分の内定先を一つだけ紹介してくれて。デジタル広告の代理店だったんですけど。そこだけ内定が出てたんですよ。テレビ局以外で受けたのは唯一そこだけで。

でもその時は、自分の中の葛藤でしたね。親に迷惑はかけられないし、今まで通り「ストレートで行きたい」という思いと、でも「テレビ局に入りたい」という思いがまだあって。

それで、結局自分がどういう決断をしたかと言うと、テレビ局にストレートで受からなければ、大学は卒業して、就活をもう1年して、受かったら、翌年の4月にそのテレビ局に就職するという方法を考えました。そして、結果的に地元関西のテレビ局に1年越しで内定が出たんです!



2、祈願のテレビ局への入社と葛藤



-- そのときは入りたくてしょうがないテレビ局に入ったわけですよね!

そうです!



-- 実際に入って所属が決まったのはどこの部署だったんですか?

それで、入ったのが、営業の部署でした。

3か月の研修を踏まえてどこに配属されるかみたいな感じだったんですよね。僕はずっと1年前に受けているときから「番組制作がしたい」と言って受け続けたので、人事の方も皆知ってくれているだろうし「この1年越しの思いがきっと叶うだろう」と思って必死に研修を受けていたけど...結果、営業部でしたね。

でも、1年目からすごくレアな東京支社の営業部に、5年ぶりぐらいかな、新人が配属されるという形ではありました。



-- それは、番組制作に携われるということなんですか?

全くでした。営業部全体としてやっていたことはというと、テレビ番組の間のCMの枠を売りに行くんですよ、企業とか広告代理店さんに。そういうお仕事でした。



-- なるほど。営業に配属された当時はどんな感情だったんですか。

頭真っ白ですよね。でも会社だし、そこで頑張って成果を残せば最短で制作の部署に行けると思っていました、当初は。



-- 思いはまだ消えてなかったんですね。

そうです。それに「5年ぶりに新人が配属されたし、多分会社にとって俺は優秀な人材なんだ」みたいな自負とか。目の前の仕事を必死に、本気でやっていましたね。

<テレビ局時代の写真>

-- そこから、どれくらい営業のお仕事をして、その後どうなっていくんですか?

それでいうと、営業を2年半やりました。で、結論から言うと、営業部のままテレビ局を辞めてます。



-- なるほど...それはどんな背景だったのでしょうか。

自分のマインドとか状態の変化があったんです。

テレビ局に入社してから本当に毎日、朝から晩までずっと働いていて、深夜も普通に残業するみたいなこともザラにあって。会社で定期的に希望部署の提出をする機会があるんですけど、そこで毎回「制作。制作。」って書いていたのに、いつの間にか書けなくなっちゃったんですよね。「制作」って。



-- その時アッキーさんの中でどんな感情の変化があったんですか。

簡単に言うと、自分の自信を失った瞬間があったんです。

自分が同じ部署にずっと居続けているのは「成果をちゃんと残しきれていないからだ。」と自分に対して言い続けていました。

その時に軽い鬱というか、仕事に行くのが辛くなってしまって。深夜1人で残業していたら勝手に涙が出るとか、夜寝るのが怖いという状態になっていました。でもそんな自分の状態を会社に悟られるのがすごく嫌で。「自分は優秀だ」という自負が捨てきれなくて、心配されても笑顔で「大丈夫ですよ」「やりましょうよ!」みたいなことを言っていましたね。



-- 心の声と実際に言っていることの不一致ですね。かなりストレス状態ですね。

そうですね。ただその後に、実は営業が企画する営業主体で行う番組があって、そこで営業の責任者を任せてもらえたんです。その間にも何度も「辞めようかな」と思っていたんですが、そのチャンスが降ってきて「ADとかにはなれない、番組制作の部署ではないけど、営業側から番組を作る一つのチャンスが転がってきた...!」と思い、それをやり切ってからテレビ局を辞めました。



-- 念願の番組制作に携わったんですね!

そうです!番組について下さるスポンサーさんを紹介する番組だったんですよね。



-- アッキーさんが実際にやっていた仕事でいうと、どんな感じだったんですか?

やっていた仕事内容は、企業さんとお話しながら「企業さん側のイチオシポイントをどう紹介して、世の中の人にどう興味を持ってもらえるか?」を考えるための、企業様側の意向を聞くということでした。「何を紹介したいのか?」を聞いて、それを番組制作側に伝えて「ここまで紹介したいんですけど、どこまでできますか?」という感じで調整する仕事でした。

企業様の意向を汲み取って、バランスを取りに行くような仕事。なので、仕事内容で言うと、やっぱりそれまでもやっていた「調整業務」でしたね。



-- なるほど。

調整業務はこれまでもしてきたので。番組制作に実際携わってみれたけれど、やっぱり「調整」の仕事だなと思っていました。調整をするというのは僕にとってCANの領域(できることをやっている)という感覚だったんですよね。



-- そうですよね。やってみて尚更「企画をやりたい」という風にはならなかったんですか?

「企画やりたい」ってなりました。なので「人事異動」が近づいてきた時に、飲みの席で「企画ができる部署に行きたい!」とリクエストしていたんですが、冗談半分だったかもしれないけど上司に「10年かかるで」って言われて。「まじかぁ。」って思いました。



-- 「まじかぁ。」というのは、どんな感情ですか?

絶望感というか。「10年ここでやらないといけないんだ」と分かった時に「あ、無理だな」って、プツンと糸が切れた感じでした。



-- それまで精神もすれすれの状態で、やってきて、番組制作がしたくて頑張ってきたけど、会社の慣習的に「あと10年」と分かった。そのあとアッキーさんはどうなったんですか?

そこで、もうテレビ局で自分のやりたいことをやるには時間がかかりすぎると分かって、今度は別の業界に行くんです。医療系のITのメディア系の会社に転職しました。



-- 医療とテレビで業界は違えど、メディアという部分では同じですね。

そうです。テレビはすごく色んな人たちに対して影響を及ぼしているし、文化とか流行を作り出せるすごいメディアだという風に僕は思っていて。だからこそ人の役に立てるという思いがあったんです。だから次転職する先もそういうことができたら良いなとか、自分が働いているのが人の役に立っている肌感があると良いなという風にはずっと思っていて、いろんな転職エージェントの方から紹介を受けた中で、医療というのがピンときて。



-- 医療がピンときたのはどんな部分ですか?

入社した会社の理念がすごく大義名分があって、自分のやってることが人の役に立ってる感覚とかがありそうだなと思って、そこで営業職になりました。



-- 営業職を選んだのは、これまでも営業をやってきたから経験を活かせるかな、という感じですか?

営業をやってきたということもあるんですが、テレビ局時代に感じていたのが、僕がやっていた営業は内勤営業といって、いわゆる外回りの営業の人たちが取ってきた案件を整理したり、どこでCMを流そうかを考える、ちょっと調整チックな営業だったんですよね。



-- 一般的に思う営業とは違う印象ですね。

そうですね、なので、調整も自分でやっていたんですが、テレビの業界ってスポンサーさんがいて、広告代理店がいて、自分達テレビ局がいるという構図なんですけど。簡単に言うと、基本的には中の調整がメインになってしまっていて。ここでやれることの限界というか、制限をすごく感じていて、それが嫌だったんです。

「実際に手を触ってる自分が、この企業様のリクエストを何故、直接聞きに行けないんだろう」という葛藤があって。

であれば、ここまで全部自分がやったほうが早いんじゃないか?企業様の全部の意向を汲めるんじゃないか?ということを思っていて。それが、僕のいたテレビ局の中では叶わなかったんですよね。なので「直接お客さんに会いに行ける営業をしよう」という風に思い選びました。



-- なるほど。実際そこのお客様にも会える営業という職に変わって、実際にお仕事をし始めた時はどんな感じでしたか?

蓋を開けてみると、まずテレアポをして、自分でお客さんと出会って、お客さんと商談して成約して、という、確かに一見すると全部できてるような感じではあったんですが、2つ相違点がありました。

一つ目は、お客さんと成約した後「結局一緒に伴走できない」ということでした。製品を契約してもらったお客さんに、そのあと自分はサポートできずに、また新たなお客さんのところに行かないといけないというジレンマがありました...。

もう一つの相違点は、チーム感が感じられないということでした。

2社目のときはずっとテレアポで「みんなでやっていこうぜ」みたいなバイブスがチームにあまりないなと感じてしまって。現状維持というか、停滞というか...チームで盛り上がってやってる今のGOAL-Bみたいな感じは全くなくて。



-- 目標に向かって一致団結で進んでいるという感覚が全然ないということですか?

そうですね。



-- その時のアッキーさん何歳だったんですか?

25歳ぐらいのときです。



3、「俺の人生、ここで終わってしまうのか...?」




-- なるほど。2社目で希望を持って転職した中での、思っていた仕事と全然違うと分かった時の感覚って、どんな感じでしたか?

すごくネガティブだったかというと実はそうでもなくて、ただ、かなり焦っていました。



-- どんな焦りでした?

まず、年収が半分ぐらいになったんですよね。「絶対成功してやる!」とか「ここで圧倒的な成果を残したり稼いでやる!」って思っていたのに「テレビ局にいる同期に負けないぐらい活躍できる人間になる!」って思って転職したのに、それができてなくて、相当焦っていましたね。



-- その焦りをさらに言語化をあえてするとしたら。

社会的な信用とかステータスみたいなものを捨てたので、テレビ局という絶対的な安定を捨てたことによって「俺このままどうなっちゃうんだろう?」みたいな。「平凡な営業マンになっちゃうんじゃない?」みたいな焦り・不安という感じでしたね。



-- 「平凡な営業マンになっちゃうんじゃないか」と思っていた。

そうですね。僕、小さな時からずっと「自分は特別」って思っているんですよ。「自分は何者かになれる人間だ」ってずっと思っていました。だからテレビ局にも受かったし、高校大学といろんな挫折があったんですけど、それも乗り越えてきたって思っていたけど「ついに俺の人生、ここで終わるのか」みたいな。



-- 「ここで終わるのか」という言葉、リアルですね。テレビ局の看板・安定も捨てた26歳のアッキーさんはそこからどんなアクションを起こすんですか?

その時ちょうど年末で、来年から新しいスタートを切りたいと思い、2022年12月31日の昼ぐらいに安慶名さんの体験コーチングを受けたんですよ。



-- 安慶名さんの体験コーチングを受けたんですね!どうでしたか?

結論から言うと、そこで僕は、良い意味でコーチングというコーチングをしてもらえなかったんです。何故かと言うと、自分が何をしたいかとか、どうしたいかみたいなのがクリアじゃなさすぎて、明確じゃなさすぎて...。今振り返ると、その当時の自分みたいなクライアントがもし自分の目の前に来たら正直嫌なんですけど、言ってしまえば「コーチングのしようがない」みたいな人だったんですよね。



-- 「本音も何も出てこない」みたいな感じですか?

ずっと格好付けていたんですよ。当時はまだプライドとかもあって、弱い自分を変えたいと思って体験コーチングを受けに来たくせに、格好付けているからコーチングが機能しないみたいな。良い格好しいがすごい出ていました。



-- 今のアッキーさんからは全然想像できないです。それが今から2年前ってことですか?

そうです、2年前。2022年12月31日ですね。



-- それで全然機能しない体験コーチングの時間は終わり、その後どうしたんですか?

安慶名さんから体験コーチングの最後に、プレゼントでメンタルモデルの本の話だけもらったんですよね。それが、モヤモヤしてすごい気持ち悪くて。 安慶名さんの体験コーチングを受けて「本当のコーチングの金額はいくらですか?」って聞いたんですが、その後のコーチングをきちんと受けるという決断ができなかったんです。怖くて。



4、コーチングを受けることさえ決断できなかった



-- どういう怖さですか?

体験コーチングであんなことになったのに受けても何も変わらないだろうって思っていました。それはコーチがどうこうではなくて、自分の状態が悪すぎて。「自分じゃなにも変われない」「今の自分じゃ何も変われない」という思いが少しありましたね

あとはシンプルに金額的な不安です。お金が無い訳じゃなかったんですが、前より収入も減っていたので、そういった面でも不安がありました。

「ここで終わってしまうのか」という風にしか思えていなかったから、ここから上振れる自分の未来が見えなくて、その大きい金額を払うと生活できなくなるんじゃないかと思って怖がっていました。今振り返るとまさにクリエイティブアボイダンスです。(「クリエイティブアボイダンス」:現状の延長線上には無い決断を迫られた際に創造的に回避する方法が思いつく人間の認知の反応。)



-- 過去のご自身を俯瞰して見れている感じが良いですね。その後アッキーさんはどうなるんですか?

体験コーチングの際の安慶名さんの「もっと自分の心の声を聞いたほうが良いよ」という言葉がずっと残っていたんですよね。GOAL-BのYouTubeでみんなが熱く働いてるのを見ては「今の自分にないものがあって、みんなスゴく輝いているな。」「GOAL-B良いな。」という想いを抱いていたのを覚えています。



-- そこからどんな経緯でGOAL-Bメンバーになるんですか?

その年の1月の末ですかね、晃雄さんが「働く仲間を募集します!」というストーリーを挙げていて。そのストーリーを見た時に「ここで働いてみたい」「ここだったら自分の可能性がある」と「やりたいと思ってることが全部できるんじゃないか」という感覚が湧いていきて。
本当は友達に(GOAL-Bがすごく好きな友人がいたので)「GOAL-Bが採用募集してるよ」というLINEを送ってあげようと思っていたら、自分が応募していました!



-- 友達に教えてあげようと思っていた自分が応募していた!そうだったんですね。こんな今にGOAL-Bの中心にいる人が。

そして、晃雄さんのストーリーに長文を送っていました。



-- どんな感じで送ったんですか?

これが当時送ったの実際の文章です。


このあと、晃雄(前代表:中川晃雄)さんとオフィスで対面で会ってお話して、後に大樹さん(現代表:村岡大樹)ともお話して、採用が決まりました。
大樹さんからは短い面談で、最後に「良いね」って言われて終わりました(笑)

その後、今のCXO陣がいるタイミングで「いっぱいメンバーが居るから、GOAL-Bのオフィスに遊びにおいで」と言われて、遊びに行って色んな人とお話して「コーチが良いんじゃない?」と言ってもらえて、そこからコーチ養成のトライアルがスタートしました。




-- 「コーチが良いんじゃないか?」となったのは、どんな流れからですか?

経緯をお話すると、もともと安慶名さんのコーチングを受けて、面白いなって思っていたんですよ。

「自分の心の声を聞けてないよ」とか、「今の自分の状態が良くないこと」というのを言ってもらえる機会なんて今までの自分の人生の中で無いことだったので。

その時に「コーチってなに?」と思い、YouTubeを見漁っていて分かったのが、コーチという仕事は「人の可能性を引き出す」とか「最後まで伴走する」という、いわゆる僕がずっとしたかったことができる仕事だ!ということを調べに調べ尽くして、気づいたんですよね。

そして、コーチングができる場所ってどこなんだろう?と思った時に、コーチングを提供する会社はGOAL-Bしか知らないし、GOAL-Bでコーチしたい、コーチングをしたい、コーチになりたい。と段々と思いが固まってきたという感じです。

それで、晃雄さんや大樹さんに直接「僕はコーチをしたいんです。将来的に自分で事業を持ったりとか、色んなことをしたいと思っていて、とにかく人に最後まで寄り添える人間になりたい」ということをお話をして。それで、コーチという未来がスタートしました。




-- ありがとうございます!実際に、1対1でクライアント様とキャリアコーチとして、本当にその人に寄り添うということがお仕事になった今、どうですか?

シンプルにとっても最高です!自分がしたいことをやれているという感覚と、まだまだ自分の力不足を感じる瞬間があるのを含めて、最高ですね。


5、GOAL-Bに入ってから「本当の人の優しさを知った」




本当の優しさを知ったというのが、GOAL-Bに入ってから大きかった変化ですね。

「ただ優しくするだけじゃ人は変わらない。」「その人のためを想って全てのことをやり尽くすというのが、本当にその人のためになるんだ」という気づきが僕にとっては相当大きかったです。


-- とっても素敵ですね。1社目2社目の話を聞いて私が感じたのは、過去のアッキーさんって今と全然違ったんだなぁと思ったのですが「自分の声に耳を傾けよう」と思えたからこそ、現在はこうして本来のアッキーさんで生きられているんだろうなというのが伝わってきました。

ありがとうございます。


-- ちなみに、これまでにアッキーさんが沢山のクライアント様と伴走してきた中で、アッキーさん自身も忘れられないような印象的だったお話を聞かせて欲しいです。もちろん、一つに絞るのは大変だとは思うんですが。

僕のコーチングを受けてくれるクライアント様って、結構共通しているのが「遠慮しすぎちゃう人」「優しすぎる」「人を優先してしまいがちな人」なんですよね。
そんなクライアント様に言葉や関わり方を変えて「あなたの好きで生きて良いんだよ」「お前の幸せで生きろよ」とことを伝えているんだと思うんです。

「人を幸せにしたいと思っている人を幸せにするために、まず自分が幸せに生きよう。」
「だからクライアント様自身は本当は何が好きな人なのか?」というのを、とにかく大切にして関わっています。

忘れられないエピソードでいうと、キャリアコーチング受講中に低迷期になった方がいたんですよね。

でも、僕はクライアント様の人生の可能性を信じていて「絶対大丈夫だから」と、関わり続けたんです。そうしたら、何が起きたかというと。その方が元々やっていた事業があったのですが、コーチングによってクライアント様自身が、「自分はこの事業が本当に好きなんだな!」と気が付いて、そこから数字の結果もどんどん出て、最終的に、職場を離れてその事業にフォーカスする決断をされたんです。

改めてその瞬間に、僕自身も「可能性を信じるって本当に尊いな」と思うことができました。言葉で言うとすごく簡単ですけど「本当に信じて良かったな」って心から思いましたね。



-- いやぁ、凄く素敵です。人って本来、自分で歩みを進める力を持っていますもんね。

本当にそう思います。


-- それでは、インタビューも最後に差し掛かっています。アッキーさんの中で見据えている未来をお聞きしたいです。これからどうしていきたいか?教えてもらえませんか?

ありがとうございます。すごく抽象的になってはしまうんですが。僕はどこまで行っても「仲間」が欲しくて。みんなと熱く語り合ったりとか、仕事をするという環境が欲しくてこのGOAL-Bに入ってきましたし、1対1で本気で向き合って、それが複数になってチームになっているという、その場所を作り続けたいと思っているので、昔あったような「感謝祭」みたいなものを企画したいなと思っています。



-- 感謝祭をやりたい?

はい!GOAL-Bのメンバーとか、GOAL-Bに関わってくれたクライアントさんが気軽に集まれる空間を作りたいなと思っています。



-- それ、すごく良いですね!

しかも、イベントで定期的に開かれるとかではなくて、オフラインで常にそういった場があれば凄く良いなと思っていて。仕事終わりにその場所でご飯を食べられるとか、語らえるとか。そうすれば、その翌日も絶対に頑張って仕事ができるし、自分の夢の話をしたらスコトーマ(心理的盲点)が外れて、なにか新しい発見が絶対あるし、そういう場を作りたいなって思っています!



-- それ絶対良いですよ!これが本当にやりたかった「企画」を表してるんでしょうね!アッキーさんめっちゃ目がキラキラしています!

テレビ局の時、番組の企画やりたいって思っていたんですけど、自分は振り返れば人がオフラインで集まるような「イベント」の方が企画案が浮かぶんですよね。そういう場所のシナジーを見るのが好きだし。うわぁなんか、今改めて繋がってきた感覚がありますね!



-- 最高です!では、最後に、どんな人にGOAL-Bのキャリアコーチの仲間になって欲しいか?アッキーさんの思いをぜひ聞かせてほしいです。

「自分は何者かである、何者かになれる」と信じている人です。特別な人って人に何かをしてあげるべきだと僕は思っていて。「あなたは強いから、人に優しくしなさい」ってよく言ったりすると思うんですが、本当にそうだと思っています。

あとは「人が好きな人」「人と本気で関わりたい人」「人に本気で寄り添いたい人」と仲間になれたら最高だなって思います!



-- 先程、アッキーさんが言っていた「本当の優しさ」がある人のことを言ってるのかなって思いました。単なる優しさではなくて「本当の優しさ」の提供が、アッキーさんの中での対人支援ということなのかなと。そういった思いがある人にぜひキャリアコーチになってほしいですね。

本当にそう思います!



-- 本日はありがとうございました!


GOAL-Bのキャリアコーチには、様々な背景・経歴を辿ってきた魅力的なコーチが沢山います。
今後、様々なコーチにインタビューをしていきますので、皆さん是非「GOAL-B」をフォローをしてお待ちください!


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