こんにちは!Tenyi(テンイ)の杉本です。
創業したばかりのTenyiが「何を目指し、どんな組織を作ろうとしているのか」を、代表の原へのインタビューを通してお届けします。(社内ではみんな「悠志さん」と呼んでいるので、ここでもそう呼びますね)
記念すべき第1回は、原の「キャリアヒストリー」について。COOとして組織を率い、MBAで経営を体系的に学んできた彼が、なぜ今、すべてをリセットして「更地」からの起業を選んだのか。
普段横で働いている私も、実はまだ詳しく聞けていなかった「人生計画」の裏側まで、じっくり深掘りしてきました!
原点は「現場」で感じた情報の不自由さ
杉本:悠志さん、今日から連載ということでよろしくお願いします。普段の雰囲気と少し違くて、なんだか面白いですね(笑)。まずは悠志さんのキャリアの出発点から聞きたいのですが、最初は飲食ベンチャーの現場だったんですよね?
原: そうですね(笑)。よろしくお願いします。薬学部に在学していたのですが、休学して株式会社オアシスティーラウンジという創業1年目の飲食ベンチャーに入ったのが最初です。店舗マネジメントから始まって、最終的には全国30店舗の経営管理まで経験しました。
杉本:薬学生からいきなり飲食経営へ……かなりの変化ですね。その現場経験が今のTenyiにどう繋がっているんでしょう?
原: 当時はまさにカオスな現場でしたが、そこで痛感したのは「情報の不透明さが、人の自由を奪う」ということでした。情報が整っていないだけで、現場が混乱し、スタッフが疲弊していく。「情報のあり方ひとつで、人はもっと自由に、本来の仕事に集中できるはずだ」という感覚。これが、今の私の原点になっています。
65名の組織を率いたCOO経験と、MBAでの体系化
杉本:その後、前職ではCOOとして最大65名規模の組織を率いていましたよね。私はその頃から一緒に働いていましたが、現場の執行体制作り、メンバーの適性を見ながらの配置転換、新規メンバーの採用から評価制度設計・運用まで、泥臭いことも含め全部やってきた印象です。ご自身ではどう振り返っていますか?
原: 本当に、組織マネジメントのあらゆる壁にぶつかった時期でしたね(苦笑)。事業面でもビジネスモデルの変更など、経営実務を全般的に実行してきました。
杉本:その多忙な中でMBAにも通われていて、「いつ寝てるんだろう?」と思っていました…。何が悠志さんをそこまで突き動かしていたんですか?
原: 猛烈な「焦り」があったんです。会社の成長は、経営者である自分のインプット量と直結している。自分が止まれば、会社も止まる。現場で培った「勘と経験」を、MBAで「理論」に紐付けて体系化したい。そのインプットに最もレバレッジが効くのがMBAだと判断しました。
20歳で決めていた「人生計画」と、2025年の確信
杉本:悠志さんと言えば「人生計画」が有名ですが、20歳の頃から起業を逆算してキャリアを積んできたんですよね。
原:有名なんですね(笑)。20歳の時に「死ぬまでの人生計画」を書いて、逆算してこれまでの選択をしてきました。
杉本:計画では「30代のどこかで起業」だったと思うのですが、30代としては早めの31歳の今、「Tenyiを作る」と確信した決め手は何だったんですか?
原: 2025年の夏、ふと「今やるべきだ」という確信が降りてきたんです。自分の思い描く「情報の力で認知をクリアにする」というビジョンを100%の純度で実現するには、自らオーナーシップを持って立ち上げるしかない、と悟ったのが大きかったですね。
100%の純度で「自由」を最大化するために
杉本:今のTenyiは、文字通り「社名以外何も決まっていない」フェーズですよね。正直、不安や迷いはないんですか?
原: 全くないですね。私は、人はもっと自由に生きられるはずだと本気で信じています。そのために「情報のあり方」をクリアにする。特定のプロダクトを売ることが目的ではなく、その本質的な問いを解くための場所がTenyiなんです。あえて型のない場所から、新しい時代のインフラを作っていくことにワクワクしています。
【編集後記】
杉本: インタビュー中、原は「緻密な計画よりも、中長期のビジョンに向かって毎日進んでいるという実感が大事」だと語ってくれました。
側で一緒に働いていても、その根底にある「人を自由にしたい」という純粋な想いが、Tenyiという新しい会社の確かな原動力になっているのだと感じます。
次回は【連載 #2:Tenyiの今】として、私たちが具体的にどのような課題に挑もうとしているのか、Tenyiの核心についてさらに深く切り込んでいきます!お楽しみに!
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