ROIC経営の“危うさ”について今更真面目に考えてみる―資本効率の魔法に頼りすぎた日本企業へのメッセージ―
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こんにちは。
総合コンサルティング事業及び人材系サービス向けのAIソリューション「スマレジュ」を展開する株式会社Plus Synergy CFOの藤村です。
最近は色々と忙しく本業のファイナンス領域から離れており、久しぶりにコラムを書いてみることにしました。とはいえ、私なんかよりもより現場的で実務的な知見をお持ちの方からすれば「何を言っているんだ、お前は」的な散文ではありますが、ご興味があればぜひ読んでいただければと思います。
1.ROIC経営はそれなりに合理的。でも期待ほどの魔法は起きなかった。
投下資本利益率、いわゆるROICという指標があります。企業が「入れたお金で、どれだけ稼げたか」を測るもので、MBAの教科書にも必ず出てくるあれです。
日本でも2014年の「伊藤レポート」をきっかけに一気に注目されました(経済産業省 (2014). 持続的成長への競争力とインセンティブ ― 伊藤レポート)。そして日本企業はこぞって“資本効率”を掲げ、ROEは8%以上を目指すべきだ、と大号令がかかったわけです。
ところが――。
その後の現実を見てみると、どうも「劇的な成果」と呼べるほどの変化は起きませんでした。
東京証券取引所のデータを見ると、プライム市場の企業のうちPBR1倍割れは半分近く、ROE8%未満もほぼ半数という状況が長らく続きました(東京証券取引所 (2022). 市場区分の見直しに関するフォローアップ)。2025年のフォローアップでも、多少の改善はあるものの「うわ、すごい伸びた!」というほどではありません(東京証券取引所 (2025). 「資本コストや株価を意識した経営」に関するフォローアップ)。
ただし、形式的な対応はかなり進みました。資本コストの開示も進み、プライム企業の9割以上がそれなりの説明をしています(東京証券取引所 (2025). 「資本コストや株価を意識した経営」に関するフォローアップ)。
でも本当に大事なのは“中身”ですよね。数字の見栄えをよくすること自体が目的ではないはず。ここに日本企業の悩ましい現実があります。
2.ROIC経営ってそもそも何だったの?
(1)なぜ日本でこんなに注目されたの?
きっかけは伊藤レポートです。
当時、「日本企業は稼ぐ力が弱い」「資本効率が低い」と散々指摘されていました。そこへ「ROE8%を最低基準にしましょう」という、なかなか強めのメッセージが出されたわけです。
それから東証も本腰を入れ、市場区分を見直し、PBRやROEの低さを“日本企業の弱点”として繰り返し提示しました。
2023年以降は「資本コストや株価を意識しろ」というメッセージが公式に出され、開示が半ば義務化のような雰囲気になっていきました。
そして実際にROICを経営指標として掲げた企業も増えました。
たとえばオムロンさんはROICの算定方法をきちんと開示していますし(オムロン株式会社. 統合レポート/IR資料)、キリンさんもCFOメッセージで資本効率とCCC改善を前面に押し出しています(キリンホールディングス株式会社. 統合報告書・CFOメッセージ)。
こうした取り組みは個社としては立派なのですが、問題は“経営管理の全体像”としてどう機能するか、という点です。
(2)ROAやROEとは何が違う?
ROAは資産全体に対しての利益率、ROEは株主資本に対する利益率。
どちらも有名ですが、ROEは借金を増やすだけでも高く見えるという欠点があります。
そこで登場するのがROIC。
ROIC = NOPAT / 投下資本
借金と自己資本の両方を含む「投下資本」で測るので、資本構成に左右されにくいというメリットがあります。
さらに資本コスト(WACC)との差で“価値を生んでいるかどうか”がわかるという仕組みです。
EVA= (ROIC − WACC ) × 投下資本
理論的にはたしかに美しい構造なんです。数字の上では。
3.ROIC経営がうまくいっていない理由
(1)ROICの計算って実はめちゃくちゃ難しい
ROICが魅力的なのは分かります。
ただし、この指標は“事業ごとに計算”しないと意味がありません。
ところが現場では、
- のれんをどう扱うか
- 共通資産をどう配賦するか
- 税金をどう調整するか
- 運転資本の範囲をどう定義するか
といった“恣意性のかたまり”のような問題が山積みです。
しかも、為替、金利、資源価格、会計方針変更など現場ではまったくコントロールできない要因がROICを左右します。
つまり、ROICは“現場の努力を表す指標”というより、「測定方法と外部環境の合成物」になりがちなんです。
そうすると何が起きるか?
現場は「指標のために働く」ようになり、数字合わせが主目的になってしまうという、なんとも悲しい状況が生まれます。
(2)「率」だけを見ると未来を見誤る
ROICは比率。比率は便利ですが、いつも正しいとは限りません。
ROICが高いけれど市場が縮小している事業と、ROICは低いけれど未来の市場が大きく伸びそうな事業。
あなたが経営者ならどちらを伸ばすべきでしょうか?
答えは明らかですよね。
ところが“ROIC至上主義”だと、前者が評価されてしまう。
EVAの式が示す通り、
価値 = スプレッド × 規模
つまり「率だけ」では不十分なんです。
(3)会社の“らしさ”が失われる
ROICを過度に重視すると、会社のビジョンやミッションから外れた事業ポートフォリオになってしまう危険があります。
短期的にROICを良くするために、本来やりたいはずの事業を切り捨てる。
そんなことが本当に“企業価値向上”なのでしょうか?
経済産業省の価値協創ガイダンスでは、無形資産や長期的視点の重要性が強調されています(経済産業省 (2017). 伊藤レポート2.0)(経済産業省 (2022). 価値協創ガイダンス)。
ROICだけで企業を語るのは明らかに時代遅れになりつつあるのです。
(4)CCC短縮は、本当に「市場全体の善」だったのか?
ROIC経営の現場でも多用される改善策がCCCの短縮です。
CCC = 在庫日数 + 売掛回収日数 − 買掛支払日数
“回収は早く、支払いはできるだけ遅く”。
企業にとっては理想ですが、取引先にとってはたまったものではありません。
金融庁や中小企業庁の資料を見れば、支払いサイトの長期化が中小企業の資金繰りを悪化させていた実態が見て取れます(金融庁 (2022). サステナビリティ情報開示に関する制度整備)(中小企業庁 (2024). 下請取引適正化に関する施策概要)。
2024年からは支払サイト60日超が行政指導対象です。
つまり、ROIC改善のための行動が、サプライチェーン全体には悪影響を与えていた可能性があるということです。
4.これからの企業経営に必要な視点
(1)「ROICだけの時代」は終わりつつある
最近は非財務情報への関心が急上昇しています。
人的資本、無形資産、サステナビリティ。
金融庁も有価証券報告書での開示を求めています。
もはや財務指標だけでは企業の価値は語れません。
(2)経営指標に万能薬はない
結局のところ、どんな指標も万能ではありません。
経営・事業・現場それぞれに合ったKPIを組み合わせて使うしかありません。
「ROICこそが最も正しい」という考え方は一種の思考停止です。
(3)結論:ROICは便利。でも“それだけ”に頼ってはいけない。
ROICやEVAは確かに強力なツールです。
ただし、それはあくまで“ツール”。
企業価値そのものではありません。
ROICだけに頼ると、
- 成長投資を抑えてしまう
- 企業の個性や戦略を歪めてしまう
- サプライチェーンに負担を押しつけてしまう
など、さまざまな副作用が生まれます。
これからの経営に必要なのは、
率と規模、短期と長期、個社と市場全体――それらをバランスよく見渡す視点なんだと思います。
最初に申し上げたROIC経営の危うさとは、これら複雑な現実を「ROICという一つの数字」に押し込めてしまい、あたかも“すべて分かったつもり”になってしまうところにあります。
そんな魔法の指標は絶対に存在しない!!、、と今ならある程度自信を持って言えると思います。