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ジミーをめぐる冒険(13〜16話)

(第13話)
この物語の先を話すにはもしかすると存在するかもしれない読者と僕の溝を埋める必要があるのかもしれない。
僕は新興国で起こるいくつかの災難を感情に流されずに合理性で理解をする訓練をし続けている。ベトナムで会社経営を始めた2011年から毎日欠かさずにだ。

それは怒りに任せた侮蔑とも違い、その対極のようで実は隣合わせた優越からくる憐憫でもない。
合理的な解釈による理解だ。

例えばあなたは見知らぬ土地で、タクシーに乗り込むとする。メーターを回さずにおそらくは相場の数倍の金額を請求されたとする。
それが新興国のどこかだったとする。
ほとんどの人はそれに対して苛立ちを感じるし、僕もそうだ。
もしくは優位な立場からくる憐憫でそれを拭い去るかもしれない。
もしくは本当の寛容さを持つ人は博愛の精神でそれを許すかもしれない。

あなたはこの文章を翻訳なしで読んでいれば、多くは日本という先進国の出身で、もしそうではなくとも比較的に豊かな人なのだと思う。
僕もそうだ。少なくともそのドライバーと比較すれば間違いなく豊かだ。

タクシーのメーターを使わずに何倍もの金額を請求する行為は不当なことだし、糾弾されるべきことであるのは間違いない。
僕たちが怒ったとしても仕方がない。

合理的理解というのは、もしこの国の経済状況が同じで、メーター料金も日本と変わらず、このドライバーの賃金が日本と同じだったとしたらこれは起こりえたことなのかということを考えることだ。

読者の方は知っているかもしれないが日本のタクシー料金は世界的に比較しても圧倒的に高い。
新興国はおろか日本よりも経済発展を遂げている国と比較してすら圧倒的に高い。
例えばアジアで最も経済発展を遂げているシンガポールと比較しても東京のタクシー料金はおおよそ倍近い。
つまり、日本でメーター以上に請求する可能性というのは合理的に限りなく小さいということを知り、他の国で起こるその災難に対して向き合う訓練をずっとしているという趣旨のことを僕は言っている。
それが出来れば、ある程度は感情のコントロールもしやすくはなる。

この事例で言えば日本の1/5程度の運賃で1メーターに近い距離もきちんとメーターを使って99%運んでくれるベトナムという国のドライバーは控えめに表現してとても誠実だ。
残りの1%は空港や観光地に集積しているので、懸命な読者の方はそこだけを注意を払い、不運にもそれにめぐりあったときはどうかこの文章を思い出して、怒りを薄めてほしい。

そうそんな僕の習慣とも化した訓練をこの物語の先を語るには伝えなければならない。

つまりセキュリティルームに向かう僕は希望と焦燥を胸にしながらもそこにそれがない可能性やそれの中のものが、どこかで失われる可能性は日本よりは低くないことを合理的に理解はしていた。

そう新興国で起こる災難に合理的に向き合う7年をこえる訓練は習慣と化し、もはや自身を形成する一部となっている僕は確かに理解はしていたんだ。

(第14話)
不確実性のない人生はつまらない。
先の見えない道を歩くからこそ、その先に訪れる景色に人は感動し、その道の先をなんとか見通そうもがき、その道を時に急ぎ、ときに立ち止まる。
そう思えば不確実性を抱えながらセキュリティルームへとと進むこの数分の道のりこそが生きるということそのものだと言えるかもしれない。
その見えない道の先に待つ景色を確かめるために僕は道を急いだ。

たどり着いた国内線の1階でセキュリティルームを探しながら進むとやけにこちらを見つめるセキュリティがいることに気づく。
歳の頃は40過ぎくらいだろうか。日によく焼けてベトナム人にしては比較的がっしりとした彼は明らかに僕のことを正確にはものを紛失した日本人か韓国人かがセキュリティルームに向かっていることを知っているようだった。
僕が彼のことを強く見つめ返した10メートルほどの距離にはお前がそうかということを彼の目は語っていた。
彼に僕がそうだと告げる。
こっちだと彼が案内するその先に数名のセキュリティが見えるセキュリティルームがあった。
ついに目的の場所にたどり着いた。
セキュリティルームはカウンター形式のデスクがありそのカウンターの内側に3名のセキュリティがいた。

その中でおそらくは最も若いセキュリティが僕にカウンターの前のイスに座るように促し彼はその向かいに座った。
アナウンスが名前を読み上げているのだから、当然鞄の中身は改められているわけで、そこにあるパスポートの顔写真と照合すればすぐにでも分かる。当然それが行われると思っていた。もしくはそれがないのであればおそらくは望まない何かが起こる可能性の高まりを感じさせずにはいられなかった。

そんな僕の気持ちをよそに彼は僕に鞄をなくしたのか問う。僕はそうだと答える。そしてアナウンスを聞いてここに来たんだ。と加える。
どんな鞄だと彼は続けて問う。
銀色のクラッチバッグでジミーチュウのものだと勢い込んで返す。
これくらいの大きさでと手で示しながら。
あなた達がもってるあれだよと。

その後の一言に耳を疑った。
そう耳を疑った。
パスポートは?パスポートを持っていないのか?
パスポート?パスポートだって。それが入ったジミーチュウを失ったことをあなた達は知ってるんじゃないのか?
知っているからこそ僕の名前がアナウンスに呼ばれたのではないのか?
鞄の中だと叫ぶように絞り出したあとに焦燥と困惑の表情を浮かべながら望まない方向に大きく振れだした運命の振り子を感じた。

(第15話)
想定の範囲内。
かつて一世を風靡した時代の寵児が口にした流行語にそんな言葉があったことを思い出す。

合理的な理解をしている僕の最悪の想定は現実的には100%起こりえない、そんな放送はしていない。とかその放送後にどこかで紛失して今はない。と告げられて手元に戻ってこないことだった。その言葉が事実ではないと知りながらも受け入れるしかない状況は想定はしていた。

それはさながらベトナムという国をよく知り愛する僕からすれば今は大好きな彼女ともいつかは別れが訪れるかもしれないといった想像したくもなく、そんなことはないと否定したい願望を含む偽りのだが当人にとっては完全な確信を経験からくる冷静さで苦渋の思いで否定する想定のようなものだ。
おおよそ出来ない方が幸せでいられる想定。

それでも最悪の想像ですら想定の範囲内であることが激情に駆られて怒号や罵声を彼に浴びせることを踏みとどまらしていた。
一度は叫んでしまったことを悔いるようにつとめて冷静に、いやパスポートは鞄の中だ。加えていうと財布も。と告げる。
彼は特段表情を変えずに一枚の紙を僕の前に置く。それは何かの書類のようだ。
特にその書類に対する説明もなく書けと告げられる。
わかった。書けと言うなら書くさとベトナム語に英語の翻訳が添えられた書類を記入する。
氏名、生年月日、パスポート番号などを記入しながら、パスポート番号をそらでみんな書けるのかななんてことを思っていた。

その一方で、この書類は荷物の引き取り用の書類なんだろうか。であれば先に候補の荷物を見せて確認するよな。
やっぱりこれは遺失物届けで僕の荷物は見つかってないことにされるんだろうか。
そんなことを同時に考えながら記入を続けていた。
一文字一文字ごとに募る不安。
ついに不安からこの書類の記入自体何かの誤解による無為な行為なのではという思いに駆られる。

そこで気づく。つい数分前に気づけなかった解決策に。そうだ。秘書に電話してアナウンスがあって僕の鞄をもってると聞いてるからすぐに鞄を出してくれ。
ちゃんとそれが伝わってるかを彼に確認して貰えばいい。
なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだと自嘲的な笑いがこみ上げる。
僕は記入する手を止めスマホのリダイヤルボタンをおした。

(第16話)
この物語の読者の中でたった一人結末を知る人がいる。たった一人だけ。
そして僕はまさにその時そのたった一人の彼女にコールをしていた。
1コールか2コールで彼女につながる。今の自分の置かれた状況を手短に彼女に説明し、目の前に彼へと電話を話す。ベトナム語で何かの会話がなされ、1分も経たないうちに僕に返される電話。
審判を待つような気持ちで待っていた僕は彼女に尋ねる。
彼女は答える。
「大丈夫です。と彼は言ってます。」
身体中の力が抜ける。椅子に座っていて良かった。そうでなければその場にへたり込んでいたに違いない。
「分かった。ありがとう。また連絡する。」と言って電話を切る。

大丈夫。大丈夫だったんだ。さあ、ついに待ちに待ったジミーチュウとの対面だ。今までの苦難を乗り越え、ついに僕の元に返ってくるんだ。全ての誤解は解けて僕の元に。
顔を上げて、正面の彼が後ろの2人が動き出すのを待つ。待つ。待つ。
誰も何も動かない。
何もなかったようにその場にいる。僕を案内してくれたセキュリティを見る。動く様子はない。その場にいる4人のセキュリティは電話など無かったかのように、誤解など無かったかのように1分前と様子は変わらない。
大丈夫。大丈夫なんだろ。と思いながら何が起こっているかが理解出来ない。
もう一度リダイヤルする気力すら湧かない。

そんな僕に目の前の彼がいう。さあその書類の次の項目だけどそのカバンには何が入っていたのか。
記入してくれ。まるで何を呆けているのかと言わんばかりに促す。

混乱の中状況を理解しようと努める。大丈夫と彼女に告げたからには流石にジミーチュウがここにないことはないだろう。つまりはどういうことだ。
人間が長い進化の先に培ったものに豊かな想像力がある。その想像力をフルに働かした時に僕の脳裏に浮かんだ最悪よりはマシな想定。中身を抜かれていて今それを奥の誰かがどうにかしているんだろうか。
そのための時間を稼いでいるんじゃないか。
そんな想像が頭を過ぎった。
そしてそれは数分前の最悪の想定よりは幾分かマシなことは確かだった。

じたばたしても仕方ない。もうここまで来たら流れに身をませることしかない。
スマホをデスクに置いてもう一度ペンを持つ。
彼が僕に告げる。「鞄の中に何が入っていたかをここに書くんだ。」
パスポート、財布、現金、書類と思い出しながら書く。
それを見ながら彼が聞く「現金はベトナムドン?日本円?」
変な質問だと思いながらも、とにかく書き続ける。ベトナムドン、日本円、USドル、シンガポールドル、フィリピンペソ。あとは、そうお金で思い出したLi Xiが確か入っている。
Li Xiと書きながら、つい昼間の幸せな光景を思い出していた。

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