東京都葛飾区育ち。中学生の頃から国際協力に興味があり、東京外国語大学に進学。共通テストで失敗し妥協の末にビルマ語(ミャンマー語)専攻を選ぶも、ミャンマーの全てにハマりいつか行きたいと夢見るようになる。 しかしコロナとクーデターの影響でミャンマーへの渡航を一度断念、それでも諦めきれず、先輩の伝手で友人を紹介してもらい大学を休学して一人タイ・ミャンマー国境の街メーソートへ。 現地の学校でボランティアに携わるもその限界を目の当たりにし、現状を変えるのはビジネスしかないと痛感。大好きなミャンマーに関わりながらビジネスを学べる環境で働くことを決意し、2025年4月から株式会社LivCoにJoin。現在はミャンマー担当CA(キャリアアドバイザー)として奮闘中。
ミンガラーバー!こんにちは。株式会社LivCo・ミャンマーCA(キャリアアドバイザー)のカウンです。
私は東京育ちの純日本人ですが、海を渡ってタイ・バンコクから車で北西に7時間、遠く離れたこの街にもう一つ故郷があります。 タイ・ミャンマー国境の街、メーソート です。
実は大学3年生の時に休学して半年間ここに滞在しており、ホームステイをしながら移民学校(以下、ラーニングセンター)でボランティアをしていました。国境ということもありミャンマー人が多く暮らしており、決して観光地ではないもののミャンマー関係者の方々からすればよく名の知れた街で、年に何度も訪れている方もいるほどです。
とはいえ、ホテルではなくミャンマーの人の家で暮らし、外国人としてではなく「ミャンマー人」として、兄弟の一人として長く滞在し、これほどにもこの街を故郷のように懐かしく感じている日本人は私一人だけなのではないかと思っています。
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私は昨年7月の上旬から約1ヶ月半ほどメーソートに「帰郷」しており、今回は現地で私が見てきたもの、感じた想いをここに綴りたいと思います。
第二の故郷、国境の街メーソート かつて私が暮らしていたメーソートは、ミャンマーとの国境に位置するタイ・ターク県の街です。ミャンマー移民およびミャンマー難民のメーソート内の人口は 3年前の時点でもタイ人の3〜4倍 と言われていますが、ミャンマーからの人口流入は止まらず実際の正確な人口を調査することは難しいほどです。
日本橋から始まりユーラシア大陸へ続くあのアジアンハイウェイが通るこの街は経済特区に指定されており、中心地にはモールや自動車のディーラーが並び、夜は綺麗なレストランで賑わいます。そしてそのまま道を辿ればタイ・ミャンマー友好橋。検問所を通り抜け橋で小さな川を渡ればそこはミャンマーなのです。
メーソートならではの特徴といえば、スーパーの看板でも空港内の標識でもなんでも タイ語表記の下にはミャンマー語表記 が必ずされていること。これだけでもいかにミャンマー人が多く暮らしているかが良くわかります。私が住んでいた場所は郊外で特にミャンマー人が多く、そのためほとんどタイ語ができない私でもミャンマー語のみで基本的に生活ができてしまうのです。例えば、近所で毎週日曜に開かれる大きな市場があるのですが、その光景はミャンマーそのもの。 商売人もお客さんも99%ミャンマー人、聞こえてくるのもミャンマー語、売っている惣菜もミャンマー料理。 これが国境の街・メーソートです。
ミャンマー市場。 早朝から多くのミャンマー人で賑わい、思わず「ミャンマーに来たのか?」と錯覚してしまう。
そしてもう一つの特徴が、 多種多様な背景を持つ人々がこの小さな街に集まっている ということ。メーソートはミャンマーのカレン州と国境が接しているため、特にカレン族の人々が多く暮らしており、私のホストファミリーもカレンです。ただ、私のボランティア先である移民学校ではラカイン人の方が校長をしており、他にビルマ人の先生もいます。 135の民族が存在すると言われる多民族国家・ミャンマー。 あらゆる地域から、あらゆる民族がここに来て暮らしているのです。
来た時期も来た理由もそれぞれです。何十年も暮らしている人もいれば、2021年のミャンマーのクーデター後に逃れてきた人もいて、きっと昨日きた人もいるでしょう。ミャンマーの国軍に捕まるリスクから逃れてきた人、お金を稼ぐために来た人、それぞれに違った背景があります。先ほどミャンマー移民、難民と書きましたが、 簡単に移民や難民というように一括りにすることはできない のです。
ダムにて、自分(一番右)と友人たち。 観光地もなく、友達と遊ぶときは大体ダムに行って、少し歩いて話したりしていた。
置かれた場所で今できることを。 このようにさまざまなバックグラウンドを持つ人が同じ場所に集まれば、もちろん人間関係でうまくいかないこともあります。私も部外者ではなく同じ「ファミリー」の一員であるので当然巻き込まれます。去年は仲良しだったおばさんとお兄さんが、久々に戻ってきたらいっさい口も聞かず会いもせずという状態になっていたり、移民学校の先生の間でもいろいろとトラブルがあって去年と先生のメンバーがガラッと変わっていたり…
ただ、対立する両者のどちらからも話を聞かされ板挟みになる私の立場から言えることは、 誰一人として自分のためだけに生きている人はいない ということ。学校の先生であれば本気で子どもたちの教育のことを考えているし、友達であれば本気でその友達のことを考えている。そのパッションが熱いだけに少し解釈のずれが生まれたり、性格の相性のせいでうまくいかなかったりするのです。
学校の先生の話に戻りますが、色々とトラブルがあった背景には メーソートの情勢やタイにおける移民教育の課題 があります。私が住んでいた地域は郊外で周囲に学校も少ないため、バイクや自転車のない子どもは学校に通うことができません。また、比較的大きく体制の整った学校に通える子どもはGEDの試験(アメリカ版の高卒認定試験で、合格すればGEDカリキュラムを採用している大学に進学可能)を受けることができますが、仮に合格しても奨学金に申請できなかったり入学に必要な書類を準備できなかったりという理由で進学ができない子どもも多くいます。
タイはこれまでにインドシナ難民を受け入れてきたり、国境を接するミャンマー、カンボジア、ラオスといった国々からの移民を多く抱えてきた歴史があり、タイ人ではない子どもたちへの教育支援も早くから行われてきました。しかし、 “Education for All” という言葉がこの国でも謳われているのにも関わらず、現地でさまざまな人の話を聞いていると それは現実とは程遠い ことがわかります。不安定なステータスであるミャンマーの子どもたちは、初等教育、中等教育、高等教育、と各フェーズで壁にぶつかっているのが現状です。
ラーニングセンターにて。 昼休みはみんなでドッジボール、とにかく元気で人懐こい子どもたちだった。
メーソートには数多くのラーニングセンターがありますが、その多くはタイ政府に認められておらず、 移民教育はあくまで非公式の教育 という位置付けにすぎません。学校の先生方自身も パスポートもビザもない 不安定なステータスであることが多く、加えて非公認のラーニングセンターに先生として居続けることには大きなリスクが伴います。教育の機会を子どもたちに与えたいという思いとの葛藤が常に付き纏うのです。
私のボランティア先の学校では子どもたちは授業料なしで通えますが、それは 先生たちも一切給料をもらえない ことを意味します。支援に頼るしかない状況で、ラーニングセンターの教育現場において持続可能な仕組みを生み出すことは依然として困難です。
先生たちは信じています。子どもたちへの教育、その先にあるのがミャンマーの明るい未来だと。だからこの置かれた場所で、限られた選択肢の中で、精一杯できることをやっているのです。でも、もし親が安定した職につけて学費を払えたなら。それで学校の先生が自力で生活していけるなら。 彼らの未来を変えるのは教育ですが、それ以前にその教育を変えるのは雇用の機会、自分で働いて給料をもらい自分で生きていくチャンス なのです。それが今、この場所では大きく欠如しています。
次の場所へ、新たな自分へ。 2023年に初めてメーソートに行った時と、今回改めて滞在して感じた違いは、 「ここじゃないどこかに行きたい」 という思いが現地の人々の中で強くなってきているということです。2年前は私の友人たちもミャンマーから逃れてきて日が浅く見通しも立ちにくい中での生活を強いられていて、一日一日を生きていくことに精一杯という状況でした。しかし、ある程度時間が経ち将来を考え始めた時に、もっとチャンスの多い場所に移りたいと思うようになったのだと思います。
特に印象に残ったのは、同じラーニングセンターで先生をしている自分と同世代の子の言葉でした。
「本当は、全くここ(メーソート)に来たくはなかったんだ」
彼女はミャンマー西部のラカイン州で生まれ、地元の小・中学校に通い、ヤンゴンの大学に進学しエンジニアを専攻していました。私と同じ代に生まれ、私と同じように初等教育を受け、大学に進学し、将来に夢を抱いて勉強していたのです。
しかし それを大きく変えたのが2021年のクーデター でした。その後紛争で彼女は故郷へ帰る道も閉ざされ、やむをえず今年の2月にメーソートに渡ってきたのです。ここで先生として今できることをやっていますが、決してチャンスは多くありません。
「24, 25歳は人生の中で最も良い時期。それまでに一つ大きな決断をしなくちゃいけない、ここには居たくない。」 自分と同じ時代を生き、同じような道を歩んできたのに、クーデターが明暗を分けたのです。普通の大学生が一瞬にして安定した身分を失い、安定な収入もなくこの場所に留まるしかなくなるという現実。方や自分は今大学での学びを活かして自分のやりたいことができていて、 いかに自分のいる環境が恵まれているか を再認識しました。彼女の言葉は強く心に刺さり、彼女やここにいる人たちの人生を知った以上、 彼らの自己実現のために自分も努力をしなければいけないしその責任がある と感じました。
特に若い世代はこういった思いが強く、チェンマイに行きたい、バンコクに行きたい、そういった声を多く耳にしました。そしてその中で本当によく聞こえてきたのは、 「日本に行きたい」 という思い。それは自分が日本人だから気を遣ったという言い方ではありませんでした。海を超えた先にある遠くの日本が、彼らの目線の先にはごく身近に、自然で当たり前のように映っていたのです。
実際に現地でも日本語学校が開かれたり、日本語教室もあったり、と以前はなかった動きがジワジワとミャンマーからタイにも広まってきています。実際に私の友人も一人、ミャンマーからの出国が情勢悪化で困難な中で、タイを経由して特定技能のビザで来日し就職しています。そして、これからもこうしたケースは増えていく可能性は高いでしょう。このタイの田舎に住むミャンマーの人たちの間でも 日本という国はやはり身近なんだ と改めて認識しました。
ラーニングセンターでの最終日、お別れの前に、みんなで折り紙。 希望を諦めず大きく羽ばたいて欲しい、と願いを込めて。
日本人として、LivCoの一員として これまで綴ってきたように、メーソートは日々移り変わりながらも依然として厳しい状況にあります。そんな中で、自己実現のために、より良い暮らしのために、さらに別の場所へ行きたいという思いもここに住むミャンマーの人々の中で強くなってきています。そして、彼らの中には 「日本に行く」という思い を抱いている人も少なからずいるのです。
もちろん、東南アジア諸国の中では自国の発展に伴い日本への魅力が薄れてきている現状もあります。しかし依然として 日本は一つの目的地であり、夢を実現する舞台 であるのです。そんなこの国に住む私たちは この現実を他人事にすることはできません。 日本という国が、彼らが輝ける場所であり続けること。居心地の良い、長く住みたいと思ってもらえる場所であり続けること。そうすれば少子高齢化の現代日本にも新たな力が生まれ、それは まわりまわって私たちの助けにもなる でしょう。
現在私はLivCoでキャリアアドバイザーとして、主に日本国内のミャンマー人への仕事紹介を行っています。毎日何人もと話していますが、その一人一人が「日本に行く」という目標を叶え、志と覚悟を持って日本に来ているのです。 そんな彼らの人生と向き合う仕事をする以上、絶対に欠かせないのは彼らからの「信頼」です。
ミャンマー語には タンヨーズィン(သံယောဇဥ်) という言葉があります。これは私が一番好きな言葉で、他のどんな言語にも直訳できないミャンマー人の心を表す言葉だとも思います。離れていてもふとした時に思い出し、恋しく思い、家族のように大切で、その人が辛いと自分も辛くその人が幸せなら自分も幸せに感じる、そんな関係のことを指すのだと私は解釈しています。
メーソートに行って改めて感じましたが、 ミャンマーの人々は特に人とのつながりを大切にします。 冒頭で書いたようにその思いの強さが故にトラブルにつながることもありますが、一度人と人との信頼関係が築ければ家族のように互いを大切にします。一度築いた信頼は裏切ることはできないし、その信頼を守り続ければそれはいずれ自分に返ってくるのだと思います。
メーソートを離れる前日。「タンヨーズィン」の仲間たちに送り出してもらった。
最近仕事でミャンマーの人たちと話していると、「この前LivCoの紹介で内定をもらった〇〇さんの友達です!カウンさんを紹介してもらったよ!」とか、「うちの職場のミャンマー人はみんなカウンさんを知ってるよ!」というような声を時々いただくことがあります。一人一人との会話は画面越しでも、 そこで信頼を得ることができればもっと多くの人とつながることができて彼らの夢を叶えるサポートができるんだ、そしてそれが会社の成長にもつながるんだと感じています。
私としては特にタイにいるミャンマーの人たちに対しては強い想いがありますし、ゆくゆくはタイ経由で来日するミャンマー人にも仕事紹介を通して自己実現のサポートをしたいと思っています。その時のためにも、 日々の仕事で信頼をもっと得てい くことが必要だと思います。
メーソートにいて、友人が日本にいるとか家族が日本にいるという話もよく聞いたし、逆に考えれば、今日本で働いているミャンマー人からの信頼をもっと得ることができれば、いずれ彼らが日本に来るときに家族や友人からの紹介を受けてLivCoを選んでくれるでしょう。
私はまだまだ結果も出し切れていないですし、未熟な部分もあり現状には満足できていません。日々面接をして、その人に合った仕事を紹介し、内定をもらうまで一緒に伴走していくこと。仕事上はお客さんですが、 時には友達のように仲良く、楽しく、そして真剣に向き合えるキャリアアドバイザー になっていきたいと思います。一人一人と「タンヨーズィン」を築けるような、頼れる日本人ミャンマーCA・カウンでありたいです。
株式会社LivCoでは一緒に働く仲間を募集しています! 現在様々なポジションで共にチャレンジしてくれる仲間を募集しています!少しでも興味をお持ちの方は、ぜひ、採用情報をご覧ください!
弊社LivCoは「外国人も暮らしやすい社会を創る」をミッションに、東京/インドネシア拠点の外国人労働者に特化したスタートアップです。人材事業を皮切りに「外国人版リクルート」を目指し、教育・不動産・通信・生活サポートなど複数領域で新規事業を連続的に立ち上げる外国人特化のインフラ企業です。 今年6月にはタイミー小川氏や(株)クイックなど上場企業から累計調達額1.6億円となる戦略的資金調達を実施し、売上前年比350%成長、上場準備フェーズに突入しました。
HP: https://livco.inc
〜Why LivCo!?〜 【社会課題をビジネスの力で解決する】 日本では前例のない人手不足にも関わらず、外国人労働者の失踪は今や年間1万人以上。一方途上国では貧困や紛争による社会不安が続いています。しかし弊社の営業活動で外国人雇用機会を創り出し1人の東南アジア人の就職が実現されれば、年収は20倍以上、平均5人以上の故郷の家族の生活水準が向上し「妹が高校に行けるようになった」と泣いて喜んでもらえます。もちろん現場の人手不足も解決されます。社会課題の解決と事業スケールの双方をグローバルな視座で実現できるしごとです。 【マーケットリーダーとして業界構造を変えられる可能性】 外国人材市場は年間260%成長かつ3兆円超の巨大マーケットであり、競合ひしめくHR業界の中では最後のブルーオーシャンと言われています。外国人雇用制度開始直後に参入し一定のシェアを確保する弊社は業界リーダーとして市場構造そのものを変革できるポジションにあります。事業責任者として、業界全体にインパクトを与える介在価値の高い仕事に挑んでいただけます。また、裁量権も多く与えられる環境で、新卒2年目でインドネシア支社立ち上げマネージャー登用実績があります。 【途上国の未来を創る】 国境を越え雇用機会≒成長機会を創り出し、日本で学んだスキル・マインドセットを母国に持ち帰り途上国の発展に繋げていく。駒不足を補うべく右から左に外国人を流すだけの従来の「人材紹介」モデルとは異なり、日本とアジアの循環型の「人材育成」モデルを実践しています。日本就労経験者が途上国の中核人材となり日本での思い出を語る時、日本の国際的地位の向上にもつながるはずです。 【その他の特徴】 ・インドネシアで日本語学校を直接運営し、受入企業の人材要件に合わせたオーダーメイド型モデルを業界に先駆け実践。来年度から事前養成校のフランチャイズ展開によりスケール、業界構造の革新に挑む ・東京/インドネシア拠点、東南アジア人比率40%のグローバルスタートアップ ・社員30名程度の上場前フェーズでストックオプション付与可能性有 ・多様で優秀なメンバーと働くことが可能(出身企業・大学:リクルート、サイバーエージェント、JICA、ソウルドアウト、デロイトトーマツ、Speee、ラクスル、日鉄エンジニアリング、東京大学、大阪大学、早稲田大学、中央大学、明治学院大学など)
❒ 参考リンク メディア取材記事(Fastgrow): https://fastgrow.jp/articles/livco-sasa … 採用資料: https://speakerdeck.com/sasa_shotaro/6 採用動画: https://youtu.be/MJeTPEUaAmA?si=1xxU9anol58sqZrz … 社内の様子(YouTube取材): https://youtu.be/scSpLChOMSo?si=CtMVeqDnnu4hlr3z 代表佐々の監修記事「外国人業界の魅力」: https://fastgrow.jp/articles/foreign-employment … 資金調達のプレスリリース: https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000017.000089895.html 資金調達の裏側を記した記事: https://note.com/livco/n/n802c3da96f9c