住み慣れた九州の地を離れることなく、全国規模のプロダクトに関わり続ける。プロフェッショナルとしての飽くなき探求と豊かな暮らし、その両方を妥協せずに掴み取るためのベストプラクティスとは。開発ディレクターの三重野さんが自ら実践者として描くキャリアの最適解に迫ります。
安定の先に見えた限界と、人生の舵を切った好奇心
――まずは三重野さんのこれまでの歩みについて教えてください。
私は大分県大分市の出身で、大学進学を機に福岡へ出てきました。九州工業大学という理系の大学で学んでいたのですが、福岡の街のなんともいえない心地よさ、人の温かさにすっかり魅了されてしまいまして。「社会人になっても、この大好きな九州に根を張って生きていきたい」という思いが私のキャリアの根底にずっとありました。
――前職では、その希望通り九州でお仕事をされていたのですね。
はい、前職は大手SIerに新卒で入社し、大学院を修了してから約9年間勤めていました。当時は地元で働きたいという思いから大分支店に配属されたのですが、その後、転勤で福岡へ戻ってきて。その時にあらためて福岡の良さを再確認したんですね。
主に手がけていたのは大学向けのパッケージシステムの導入・カスタマイズという、非常に公共性の高いものでした。学生が履修登録をしたり、教職員の方々が入試管理やカリキュラム編成を行ったりするためのシステム全般を支える仕事です。
――9年間という月日は、一つの場所でプロフェッショナルになるには十分な時間です。具体的にはどのような役割を担っていたのでしょうか。
最初はシステムエンジニアとして、設計やテストなどの中流から下流工程を4年ほど経験しました。パッケージ製品を各大学の要望に合わせてローカライズしていくのですが、次第に案件全体の回し方が見えてきてからはPM(プロジェクトマネジャー)として要件定義やクライアントとの折衝をメインに上流工程を担当するようになりました。
窓口となる大学の担当者の方との関係性が重要で、時には打ち合わせの後に飲みに行ったりと、近い距離感で仕事を進めるスタイルにやりがいを感じていました。
――順調なキャリアを積まれていた中で、なぜ転職という道を選ばれたのでしょうか。
自分自身のキャリアの天井を感じ、より上流の工程に挑戦したいという好奇心を無視できなくなったことです。 前職では既にあるパッケージシステムの改修がメインでした。もちろんやりがいはありましたが、9年も経つと業務がパターン化し、知見の伸びしろに限界を感じ始めたんです。「このまま同じ場所で繰り返しの開発を続けていて、10年後の自分は胸を張れるだろうか」という不安。解決策が決まっていない状態から「何が課題なのか」を定義する仕事に挑戦したい。好奇心旺盛、悪く言えば飽き性(笑)なところがある自分にとって、常に新しい刺激がある世界に飛び込もうという想いが確固たる決意に変わるまで、さほど時間はかかりませんでした。
また、そうした新しい挑戦を長く続けていくために、ライフステージの変化に合わせた「働き方の見直し」をしたいと考えたことも後押しになりました。当時は夜遅くまでデスクに向かうのが当たり前の環境。仕事での成長を諦めるのではなく、むしろ成長し続けるために、家族との時間も大切にしながら働ける環境へ身を置きたい。そうした思いが重なり、転職を決意しました。
課題そのものを定義し、解決するミッションへの挑戦
――転職活動ではコンサルティングファームや事業会社など、多くの選択肢があったかと思います。どのように絞り込んでいったのでしょうか。
やりたいことの軸で絞り込んでいきました。前職ではクライアントからの要望や要求、課題感がある程度決まっていて、それに対する解決策を提案するスタイルでした。それだけに次にチャレンジするなら、さらに上流の「問題とは、課題とは何なのか」というところから定義して解決へと導いていきたいと考えていたので地場の金融系企業やコンサルティングファームなどニジボックス含め複数の企業を受けていました。
複数内定をいただきましたが、最終的にリクルートのグループ企業であることや業務領域もリクルートのサービスという大規模プロダクトという点に強く惹かれたのと現場で働くメンバーとの面談から得られた安心感でニジボックスに入社を決めました。もともと対面での業務が得意ということもあり、リモートメインでの勤務体系に若干の不安もあったのですが、それについても面談を通じて接点が生まれた社員の方々と一緒に働きたい、という気持ちのほうが上回りました。
――伝統ある大手SIerからの転職です。ご家族の反応はいかがでしたか?
リクルートの大規模サービスに関われるスキルアップ環境や一緒に働きたいと思える社員がいたという熱意で妻にも納得してもらえました。今ではテレビでリクルートのCMが流れると、あ、これパパの仕事じゃない?と食いついてきてくれることも(笑)。なかなか福岡でここまで知名度の高いサービスに関わる機会は少なく、家族にパパ頑張ってるよという姿を見せられる機会もありませんからね。あのとき強めの熱量で押しきって良かったなと思いますし、理解してくれた妻にも感謝です。
――仕事に関するところでお伺いしたいのですが、前職での経験が活かせそうだと感じた点は?
前職ではプログラミングそのものよりも、設計や要件定義といった「仕組みを考える」ことに重心を置いてきました。3〜4年のSE経験を経てPMになったことで、案件の回し方や顧客との折衝スキルを磨いてきた自負はあります。だからこそニジボックスが掲げる「課題そのものを定義し、解決していく」というミッションに、これまでの経験を武器として持ち込めると考えたんです。
――不安よりも期待が勝った状態での入社だったのですね。
もちろんです。9年間培った基礎があるからこそ、新しい領域でどこまで自分が通用するのか試してみたい。そのステージとして、ニジボックスはこれ以上ない環境に見えました。福岡に居続けたいという願いと、最前線の仕事をしたいという欲求。その両立を叶えるための、最高のリスタートが切れるという予感がありました。
爆速でリーダーに抜擢される成長環境
――2024年1月に入社され、現在はどのような案件を担当されていますか?
現在は、キャッシュレス決済サービス『Airペイ』のプロダクトデザインに携わっています。社内の運用改善や工数削減の提案などプロダクトをより良くするための企画段階から深く入り込み、事業成長にダイレクトに寄与する役割を担っています。
――実際に業務に就いてみて、前職との違いを感じた点はありましたか。
あくまでも、私の実感としてですが、何よりもスピード感とコミュニケーションの密度、そしてアウトプットへの期待値の高さです。会議での会話のキャッチボールも高テンポに感じました。前職でもコミュニケーションには一定の自負があった私でも、当初はその圧倒的な速度感と密度の濃さに食らいつくのが精一杯で、正直に言えばかなり苦戦しました。この“基準の高さ”こそが、前職までとは決定的に違う点だと感じています。
――そのような環境に、どう適応していったのですか?
分からないことを放置しない、を徹底しました。Slackの履歴をさかのぼって背景を読み込み、不明点は即座に15分程度のミーティングを依頼して解消する。また、リクルートには「よもやま」というカジュアルな1on1文化が根付いており、多忙な中でも対話を惜しまない土壌があります。そこで疑問を一つひとつ潰し、自分の意見を壁打ちし続けることで、次第に周囲のスピードに自分の“CPU”が同期していく感覚がありました。
――そして、入社わずか4ヶ月でリーダーに抜擢されたそうですね。
はい、4月にリクルート案件のプロダクトリーダー、さらに10月からは開発ディレクションのグループリーダーを拝命しました。ニジボックスには、年次や居住地を一切問わず、純粋なアウトプットと意欲に対して役割を与える「ミッショングレード制」が浸透しています。
前職のように一歩ずつ階段を登るのを待つのではなく、本人のポテンシャルを見越して、いきなり一段高い場所へ置く。そして「ここをどう攻略するか」を考え抜かせる。 この、ごく自然にストレッチがかかる環境こそがニジボックスで働く最大の醍醐味であり、成長を加速させる本質だと確信しています。
――福岡在住でありながら東京のメンバーを率いるグループリーダーとして、場所の壁を感じることは?
物理的な距離が業務の質や評価に影響することは全くありません。 現在、私は福岡から東京のメンバー2名のマネジメントとプロジェクトの進捗管理を行っています。リモート環境だからこそ、チャットのレスポンス速度や「よもやま」を通じた微細な変化の察知には人一倍意識を向けていますが、それは場所がどこであれリーダーとして当然の振る舞いです。
週2回の全体会議や頻繁な対話によって、東京のメンバーとも強固な信頼関係を築けています。「どこにいるか」ではなく「何を成し遂げたか」が全て。地方にいながらにして、最前線のプロダクトでリーダーシップを発揮し、天井知らずに成長できる。 それを体現できている今の環境は、私にとってたまらなく刺激的です。
地方から描く、開発ディレクターの未来
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――「正解がない」中で答えを出していく、仕事のやりがいを感じる瞬間はどんな時でしょうか?
既存のプロセスをなぞるだけではなく、自ら「仕組みそのものをアップデート」できる点に、この上ない手触り感を感じています。
私は常に「このフローは本当に最適か?」「もっと本質的な効率化ができるはずだ」と前提を疑うことから始めます。いま取り組んでいる保守業務の工数削減も自ら課題を特定し、解決策を提示し、裁量を持って実行に移しています。単に言われたものを形にするのではなく、自らの介在価値によってプロダクトの運用が劇的に良くなる。この「仕組みを創る面白さ」こそが、私が求めていた上流工程の醍醐味です。
――仕事への高いコミットメントの一方で、転職のもう一つの目的だった「ワークライフバランス」はいかがですか?
こちらも期待以上でした。実は入社8ヶ月後に第一子が誕生したのですが、フルリモートという環境のおかげで、子どもの成長を文字通り一番近くで見守ることができています。
例えば、夕方に一度仕事を抜けて子どもを沐浴させ、その後また集中して業務に戻る。そんな柔軟な働き方も、私の部署ではご理解いただいています。福岡にいながら東京の最前線の案件をリードし、かつ家族との時間も劇的に増えた。「いいパパができているね」と妻に言ってもらえるのは、このフレキシブルな環境があってこそ。仕事のパフォーマンスを最大化させるための基盤として、これ以上ない環境だと感謝しています。
――自身の介在価値だけでなく、プロダクトが世の中に広がっている「手応え」を実感する瞬間はありますか?
街を歩いている時、ふと立ち寄った飲食店やショップで『Airペイ』や『Airレジ』が実際に使われているのを見かけると、やはり誇らしい気持ちになりますね。前職の大学向けシステムはどちらかと言えば裏方の存在でしたが、今は自分が手掛けているプロダクトが社会のインフラとして溶け込んでいるのを目の当たりにできます。
さらに、その「反響」の大きさとスピード感は、この規模のサービスならではの醍醐味です。アプリストアのレビューやSNSでは、リリース直後からユーザーの率直な声がダイレクトに飛び交いますし、社内のカスタマーサクセス経由でも詳細なフィードバックが絶え間なく届きます。
数万、数十万という膨大なユーザーが利用しているからこそ、良い反応も厳しいご意見も、圧倒的な熱量を持って伝わってくる。自分の仕事がこれほどまでに多くの人の日常を動かしているのだという実感は、他ではなかなか味わえない、開発ディレクターとしてこの上ないやりがいになっています。
――三重野さんが目指す、これからの展望について教えてください。
個人的な話になるのですが、地方を盛り上げていきたい、という思いが非常に強いです。私は福岡在住の開発ディレクター第1号ですが、現在その仲間は3名に増えました。東京の規模に比べればまだ小さいですが、福岡にいながらにして全国規模の最前線の仕事ができるこのスタイルをもっと他の地域にも広めていきたいと考えています。
――地方在住で、キャリアの選択に迷っているエンジニアやディレクターは多いと思います。そんな方々へアドバイスをお願いします。
かつての私がそうだったように「地方にいながら首都圏の業務をするという、物理的に距離がある仕事が果たしてうまくいくのだろうか」と不安に思うのは当然です。でも実際に飛び込んでみれば、距離の壁は想像以上に低い。むしろ地方での豊かな暮らしと、全国規模のプロダクト開発による刺激的なキャリアは、完全に両立可能です。迷っているなら、まずは門をたたいてみてほしい。ニジボックスは、その不安を正直にぶつければ、誠実に答えてくれる場所ですから。
――具体的にどのような手段でその不安を解消していけばよいでしょうか。
自分が聞きたいことがあれば、ぜひ納得いくまでとことん確認してみてください。私も入社前に何度も対話を重ねましたが、良いことも悪いことも全て正直に話してくれました。その透明性こそが入社後のギャップをなくす鍵になります。自分がどう働きたいのか、何を成し遂げたいのか。それを包み隠さず話せば、きっとここには応えてくれる仲間がいます。
――自分が選んだ環境で全国規模のプロジェクトに携わる。この働き方は今後スタンダードなものになっていくでしょうか?
はい。自分が愛するこの街で、家族との時間を大切にしながら誰もが知るプロダクトを進化させていく。この生き方は、これからの時代のプロフェッショナルの一つの最適解だと思っています。大切なのは、どこに住んでいるかではなく、どこにいてもトップレベルの仕事に挑戦し、バリューを発揮し続けられること。私のような働き方がモデルケースとなり、場所を問わない挑戦が当たり前の選択肢として広がっていけば最高ですね。