「『数字』の熱狂の中で『意味』を問うことを諦めたくなかった」僕がITベンチャー、アフリカを経てvery50で挑戦する理由 ー 事業開発担当インタビュー・後編
very50は、社会にインパクトのあることをし、かつビジネスとして成立させることで多くの人に届ける、という2つのことを同時に進める、少し欲張りな挑戦をしています。一般企業では味わいづらいこの二兎を正面から追っているvery50にどんな思いで入社し、現在何を目指しているのか。事業推進を担う中嶋が、自身の原点から現在地までを自分の言葉で語ります。
原点ーインドネシアの直売所で学んだ「楽しい」社会貢献
森岡(広報担当): very50との最初の接点は、大学の時に参加したMoGプロジェクトだったと伺いました。現地で何を見て、何を感じたのかを聞かせてください。
中嶋: 私がMoGに参加したのは大学1年の時でした。受け入れ先はインドネシアのガルー。バンドンからさらに内陸へ入るかなり田舎の町で、舗装のされていない道を長時間揺られて辿り着くような場所でした。
プロジェクトの舞台は、ある若い起業家が私財を投じてつくったファーマーズマーケット(直売所)。地元の農家が直接野菜を消費者に販売することで、仲介人の買いたたきを防ぐことが目的でした。私たちは集客と収益改善を任され、現地の中間層を呼び込むためのチラシ配りやイベント企画など、泥臭いマーケティング施策に奔走しました。
直売所のオーナーである起業家のアントンさんは、実は裕福な家の長男。優秀な教育も受け、普通に生きればエリートとして楽な道もあったはずでした。けれど彼は、受け継いだ資産を地域のために使うと決め、この直売所だけでなく学校なども作り運営していました。
そんな彼の元で、正直に言うと、私はろくに貢献できませんでした。 チームメイトには社会人もいる中、私は最年少の大学1年。英語はほぼ話せず、同い年のインドネシア人が流暢に英語で議論する横で、私は言葉が出ない。日本語の議論でさえ内容を追い切れず、自分の意見が持てない悔しさが残りました。「ついていくので精一杯」どころか、「ついていくことすらできない」瞬間の連続でした。
それでも私はこのプロジェクトに参加して良かったと心から思いました。それはアントンさんとの出会いのお陰です。 いつも凛として、とても楽しそうに、「やってあげてる」という態度も一切なくお金を「社会のために使うのが当然であり、それが喜び」とでも言うような姿勢に、私はハッとしました。
今でこそ何も不思議に思わないのですが、学生時代とにかくサッカーに夢中だったサッカー小僧からすると、それはとても大きな驚きでした。それまで自分の中に漠然と、しかし根強くあった「社会活動=自己犠牲で耐えるもの」というイメージが音を立てて崩れた瞬間でした。あえて不器用な道を選び、楽しく、誇り高く、社会に変化を生み出す。そんな生き方に魅了された。右も左もわからない10代の私にとって、はっきりとしたロールモデルとの出会いでした。
大学4年での再就活—手触りのある仕事をやりたい
森岡: 就活では一度出た広告代理店の内定を辞退して、就活をやり直したそうですね。その決断の理由を教えてください。
中嶋: 大学3年生の時、私は外資系の広告代理店から内定をいただき、就活を終えている状態でした。内定先の大口クライアントはロレアル。入社したらシャンプーの広告をつくるのかな、と漠然と想像していたころです。
一方で、very50のインターンは続けていて、その中で、アジアの社会起業家を探すため、カンボジアの起業家10社にアポを取り、一社ずつ会いに行きました。ガルーで出会ったアントンさんと同じく、“当然のこと”として社会に向き合う人たちに次々と会う。お金が足りなかったり、ビジネスとしては泥臭かったりするけれど、生き生きと働く姿がまぶしかった。
そんなある日、銀座のオフィスからの帰り道。地下通路いっぱいのロレアルの大型広告が目に入った瞬間、ふと「自分は自分がどのシャンプーを使っているのかも知らない」と気づきました。思い入れのない商品で、思い入れのない広告をつくる仕事に、私はどんな意味を見いだせるのか。アントンさんのような熱量で仕事に向き合い、その仕事で心から望んでいるような成長ができるのか。インターンで感じていた手触り感のある仕事とのコントラストが強すぎて、胸に空虚さが残りました。
だからといって即座にvery50に行こうとは思いませんでした。外の世界をきちんと見たい。大学4年の11月、周囲にほとんど例がないタイミングで就活をやり直すことにしました。条件はシンプル。自分のスマホに入っていて、日常的に使っているサービス。手触りのない仕事では熱量が続かないし、どれほど優秀な人に囲まれても自分は成長しきれない—そう直感したからです。いくつか受けて、国内IT系スタートアップに進むことを決めました。
国内IT系ベンチャーでの鍛え—完璧な成長環境、けど問えない「意味」
森岡: IT系ベンチャー企業では得たものがあった一方、働くうちに違和感も覚えていったそうですね。
中嶋: 入社先は上場直前。私はアプリ決済の立ち上げチームに配属され、会社の中でも大きな投資領域でした。半年で組織が10倍に膨らむスピード感。制度設計やバリュー浸透、情報共有の仕組みづくりなど、他社が真似するような良い例を新卒の最前列で見られたのは本当に大きかった。時を戻しても、私は同じ会社を選ぶと思います。それほど成長環境としては完璧でした。
ただ入社して1年が過ぎ、少しだけ客観的に会社や仕事が見れるようになったとき、胸の中で別の違和感が育ちました。 市場には競合の決済サービスがいくつも出ていて、正直、自社のサービスを使っていても「他社サービスと何が違うのか」が全くわからなかった。「これ、本当に価値あるのかな?」と自分でも思ってしまう。身近で自分たちのサービスを使う人もほとんど見ない。
でも、社内は「拡大こそ正義」という凄まじい熱気に包まれている。 今思えば、みんな賢い大人たちだから、本当は心のどこかで「これ意味ある?」と思っていたのかもしれない。でも、その問いを口に出すと、この勢いが止まってしまう。だから「意味」については触れずに、数字を追っている。そんな感覚がありました。
森岡:なるほど。
中嶋:そんな中、very50で見てきた「本当に意味があるのか?」を問い続ける本質を求める姿勢こそ、自分のアイデンティティだと思えたし、本当に大事にしたいことなんだなと改めて気づきました。その会社で沈黙を守り続けるのは、なにか違う。もっと社会に直接的な意味を生み出すことにエネルギーを使いたい。そう思っていた矢先、あるイベントで偶然、アフリカで事業を展開するスタートアップと出会いました。
実は学生時代、自転車でアフリカを旅したことがあったんです。その時、現地の生活の厳しさを目の当たりにすると同時に、人々の温かさにも触れ、「いつかここでチャレンジしてみたい」と感じていました。日々の忙しさですっかり忘れていたその想いが、その出会いで鮮明に蘇りました。「そこなら、もっと意味のあることができるかもしれない」。そう直感し、アフリカへ向かうことを決めました。
タンザニア—「社会への意味とスケール」両立の難しさ
森岡:就職したのは、アフリカの未電化地域に電気を届けている会社だったそうですね。どんな仕事を任されましたか。
中嶋: 私が担当したのは、タンザニアの未電化地域へ当時新規事業だった漁業用LEDライトのレンタルを広げることでした。事業拠点はムワンザ。現地では全くの無名の会社だったため、私は現地に移住し、漁業の現場に入り込むところから始めました。
現地のビクトリア湖での漁は、命を落とす人も出るほど危険な仕事です。にも関わらず、漁師の手取りは驚くほど少ない。 そこには構造的な問題——ボートを持つ「船主」の立場が圧倒的に強く、売上の多くを持っていく。支払いの慣行がバラバラで、どんぶり勘定だったり支払いが遅延したりして、漁師の手元にお金が残らない。など——がありました。
私が普及を担ったLEDライトは、集魚効果を高めて漁獲量を安定させるものでした。漁獲が増えれば漁師たちの収入が増え生活が少し楽になる。 私は何度も漁に同行して信頼関係をつくりながら、現地のマネジメントとしてP/L(損益計算書)を元に価格の設計や投資判断、採用などを回していきました。初めて事業全体を観ることができたのは、とてもいい成長経験でした。同時に、売上が数倍になり、チームの規模も数十人単位になっていくなか、自分の仕事が彼らの生活を支えているという“意味の手触り”が確かにありました。
一方で、壁にもぶつかりました。 低所得者向けに価値を届け、しかも人口密度の低い地域で商圏を広げようとすると、どうしても1件あたりの収益性は低くなります。故に、なかなかお金にならず、事業を撤退しなければならない地域なども増えていきました。
「社会にとって意味があること」と「ビジネスとして成立させること」。この2つの間には、想像以上に深い溝がある。収益設計そのものが難しい領域で、理想と現実の狭間でもがく経験をしました。
very50に戻る—「バトンを繋ぐ」教育だからこそスケールする
森岡: very50に戻るという選択の決定打は何でしたか?
中嶋: コロナの影響もありアフリカから帰国をしたのですが、「いつかまたアフリカで起業しよう」と考えながら、日本にいる間だけ、と思い、数年ぶりにvery50の仕事を手伝い始めました。そこで気づいたのは、教育=人づくりという領域なら、設計次第で“規模と質の両立”に挑めるということでした。
very50が手がける教育の場は、単に知識を教える場ではなく、「バトンを繋いでいく場」です。MoGに参加した高校生が、現場で心を揺さぶられ、人生が躍動するような体験をする。すると彼らは、大学生になった時に、「あの時のメンター(※プロジェクトをサポートしてくれる大学生)のようになりたい」「あの経験を次の世代にも渡したい」と思ってメンターとして戻ってきてくれます。
では、戻ってきてくれた彼らにvery50が何を提供しているかというと、高校生の時よりさらに要求度の高い”挑戦の場”です。「高校生に何を残せるのか」を問いかけ、「自分の姿以上に高校生が成長してくれることはない」と場で一番パッションを持っている人になることを求めます。そうする中で、大学生は普段の大学生活では到底遭遇しない課題にぶつかり、そこから成長していく。こうした構造が、「自分の成長のために頑張る」という自然な感情を生み、それが原動力となるからこそ、こちらから無理にやらせようとしなくても、自ら頑張ってくれるし、高校生がそれまで遭遇したことのない、人生が動き出すような、躍動するような体験をすることができる熱い現場になる。
こういった流れを生み出す仕組みをより磨いていくことにより、プログラムの質を担保しながら、拡大させていくことができる。そう感じた私は、ここなら自分が胸を張って「意味がある」と言い切れるテーマで、事業を社会を変えるほどのスケールにしていくことができるのではないか—アフリカでの挑戦と同じくらい、いやそれ以上に意義のある戦いができるのではないか。改めてそう思えた時、私はvery50で挑戦することを選びました。
現在地—第二創業期の手ざわりと、very50らしい組織づくり
森岡: 現在のフェーズと、組織づくりの方針を教えてください。
中嶋: 手ざわりとしては第二創業期に近い。前回お話ししたように、2024年、営業を止めたことで、土台となるプロダクトはスケールに耐えうるものになり、生徒数も順調に伸びています。組織も拡大フェーズに入り、お互いが常に顔を合わせて意思疎通を図れる規模を超えたチームになったことで、これまでのやり方だけでは回らない領域が出てきました。
そんな中でも、very50らしさを保ったまま前に進む体制を自分たちで設計していこうと、日々議論を重ねています。カオスを楽しみ、ゼロからチームをつくる—その挑戦に、私は心からワクワクしています。財務的にも前向きな投資をする準備ができ、ようやく新しい仕掛けに踏み出せる態勢です。
チームの特徴を一言で言えば、「凹凸(デコボコ)が大きいのに、噛み合う」こと。 例えば僕は、1〜2年単位で物事を着実に形にするのは得意ですが、それだけではチームに熱狂は生まれません。一方で、代表の菅谷や他のメンバーは、5年10年先を見据えて「この社会課題をなんとかしたい!」という強烈な想いを持っている。
「着実に進める力」と「遠くを夢見る力」。一見バラバラに見えますが、お互いの苦手な部分を補完し合っているから、チームとしてすごく機能している。 もちろん、見ている景色が違うので議論や衝突はしょっちゅうです。でも、あくまで「コト」に向かった議論なので、終わればケロッと仲良くできる。そんな健全な関係性が、複雑な現場を抜ける推進力になっています。
これから—誰と、この先をつくりたいか
森岡: どんな人と、次の章をつくりたいですか。求める人物像を一言で。
中嶋: 二兎を追う人に来てほしい。圧倒的な成長を求め、数字を追いかけられる。でも同時に、社会へのインパクトから目を逸らさない。そういう貪欲さと不器用さを持つ人は、very50にフィットすると思います。
very50の現場で物事を前に進めるにはカオスを楽しむ力が必要です。教育の現場はステークホルダーが多く、プロセスは整然とはいきません。外から制度を持ってくるのでなく、自分たちで最適解をつくる。その上で、合意を取り切る粘り強さとスピード感を両立させる。ここに面白さを感じる人と働きたい。
私は、教育・人づくりの分野に、社会の最前線を走ってきた優秀な人材がもっと入るべきだと思っています。プロとしての矜持と対価を大切にしながら、人生が躍動するきっかけを生み出す仕組みを一緒に作りたい。組織も社会も自分の手で面白くしたい人—ぜひ一度、お話ししましょう。