森澤 有人

株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント / デザインセンター プロダクトデザイングループ/シニアアートディレクター

森澤 有人

株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント / デザインセンター プロダクトデザイングループ/シニアアートディレクター

始めたことは最後までやりきる

フィラデルフィア芸術大学卒業、ニューヨークに拠点を置くデザイン会社で様々なプロダクトデザインのディレクションに従事。2002年ソニー株式会社デザインセンターに入社。2017年にソニー・インタラクティブエンタテインメントに入社し、シニアアートディレクターとしてPS5関連製品のデザイン及びディレクションを担当しています。趣味はマウンテンバイクダウンヒル、スキーなどのマウンテンスポーツ、キャンプ(特に雨キャンプが好きです)。と、何よりも物を自分で作る事と直す事が好きです。

この先やってみたいこと

未来

若手クリエイターやこれからクリエイターを目指す人たちが集うことのできる、ものづくりの場をつくりたいと考えています。最近長野に広大な第二拠点を手に入れたので、場所を活かしつつコミュニティのようなものを形成したい。今までたくさんの先輩に教えてもらってきたことを、これからは後輩にどれくらい分けていけるかを意識したいと思います。

株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント7年間

デザインセンター プロダクトデザイングループ/シニアアートディレクター現在

- 現在

画面と物理世界の壁を壊すような体験を提供するとともに、「Mr. PlayStation 5」と呼ばれるようになりたい

  • 「PlayStation 5」デザイン
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  • コンセプトに1年頭を悩ませる

    PS5の開発で最も苦労したのは「コンセプトづくり」。そこがしっかりしていないと、あとからガタがくるのがわかっていたからです。 会社からは「デザイン自由にやっていい」と言われていたものの、ブランドの分析、プロジェクトメンバーとの会話など核となる要素を洗い出し、「5次元」というコンセプトが生まれるまでは約1年ほどの期間を要しました。何をしていても頭の片隅で考え続ける生活を送っていたのを今でも思い出します。

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受賞歴現在

インタビュー出演現在

ソニー株式会社の会社情報

ソニー株式会社16年間

デザインセンター/アートディレクター

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設計段階から、周りの人と会話を重ねていいデザインを生む

受賞歴

KARIM RASHID Inc.4年間

Creative Director

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カリム・ラシッドを守る存在として社内やチームのクオリティを高め、なるべく多くのいい製品を世に出す

  • 日本に帰国

    アメリカ生活も長くなり、このままではカリムラシッドを超える以外のキャリアの選択肢がないと思い悩んでいた頃、たまたま読んだ雑誌でソニーデザインの求人を発見。 もし日本で働くならソニーしかない、ダメだったら独立だと思い先に退社して応募したところ合格し、日本に帰国することになりました。 カリムラシッドと働いた数年間はとても濃いもので、今でも感謝しています。

  • 化粧品パッケージやインテリアなどのデザインを担当

    カリム・ラシッドでは香水からインテリアまで様々な案件を担当。中でも思い出深いのが、ファッション系メーカーの香水デザインを担当したことです。僕が在籍している期間は一度だってコンペを落とさないと決めてお仕事していました。 提案中、そのメーカーの代表である著名なデザイナーから「もっと虹の向こう側を見てほしい」と言われました。それはつまり、視野を広げるべきということなのですが、今でも心に残っている一言です。

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University of the Arts Philadelphia School5年間

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デザインの基礎を学んだあと、プロダクトデザインのコースに進む

  • 作品をゴミ箱に捨てられる

    専攻を決める前のプロダクトデザイン科の授業で、課題で制作した作品を教授にゴミ箱に捨てられたことがありました。 「こんなものは無駄でしかない。プロダクトデザイナーはゴミをつくる職業ではない」と教授から言われ、捨てるほどではないはずだと議論を重ねるうちにプロダクトデザイン科に絶対に行く!と気持ちが固まりました。その時の教授の一人がカリムラシッドでした。

幼少期〜高校時代19年間

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  • 授業でカルチャーショックを受ける

    日本にいた頃は勉強が大の苦手で、すぐに「これを覚える意味はあるのだろうか…」と考えていたのですが、アメリカの高校の授業は好きでした。 たとえば歴史の授業でも、日本では暗記が多かったですが、アメリカでは「君がリンカーンだったらどうしていたと思う?」と先生が問いかけてくれる方式で、カルチャーショックを受けました。みんなでディスカッションする環境もあり、始めて勉強が楽しいと思えた瞬間でした。

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  • 16歳で単身渡米

    受験も差し迫った中学3年生の頃、学校の先生に進路相談したところ「行ける高校なんてほとんどない」と言われたことにショックを受けていたら、母から「アメリカの学校で学ぶ選択もある」と言われそんな事ができるんだと気が付く。16歳で単身渡米。 みんなが受験勉強しているなかとにかく英語だけ勉強したり、留学を志す子ども向けのプログラムに参加したりと、留学準備を重ねて旅立ちました。両親にとっても簡単なことではなかったのですが、2人のサポートのおかげで行くことができました。 一人で、というのはもちろんどきどきしていましたが、特段不安はありませんでした。

  • 父のようなカメラマンを目指す

    写真家だった父の影響で、子どもの頃からカメラマンを目指すように。 でも、高校生の頃から自分が撮る写真は、人でも風景でもなくモノのディテールばかりだと気づきました。その話を父の知人に話したところ「プロダクトデザイナー」という仕事が世の中にあるのだと教えてもらい、デザイン方面へと方向転換することになります。

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  • アメリカでホームステイを経験

    中学2年のとき、勉強嫌いで受験のことを何も考えない僕を見かねたのか、母が小学生の弟とアメリカ・カンザス州へ連れて行ってくれました。そこで現地の家庭にホームステイした経験は、人生の大きな転機になりました。 なぜか母とは別の家に滞在することになり、弟と僕は英語が通じない状態でホームステイ先の家族と過ごすことに。でも、同じ年齢くらいの兄弟がいる家庭だったので、その兄弟と近くのひまわり畑で遊んで、とても楽しく過ごすことができました。 また、その兄弟が辞書みたいに分厚い教科書で楽しそうに勉強しているのをみているうちに「なんで日本とこんなに違うんだろう」「僕もここでなら勉強したい」と思うようになっていきました。 あとから母に聞いてみると、僕の自主性を伸ばすためのことだったそうで、その狙い通り数年後にアメリカに旅立つことになります。


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