【サマリー】
新規事業のCPF(Customer Problem Fit:顧客と課題の適合)を阻む最大の壁は、社長自身の「思い込み」であることがある。顧客の声を聞いているつもりが、都合のいい声しか集めていない。確証バイアスが、事業の方向性を静かに狂わせる。COO代行の仕事は、その「見えない構造」を言語化することだ。今回は、支援先の社長の認知の歪みに気づき、CPF検証をゼロから立て直した現場の話をする。
【本文】
「完璧な課題設定です」
桐島さん(仮名)はそう言って、ノートPCを私に向けた。福岡市内のシェアオフィス。窓の外は曇っていた。
40代前半。大手マーケティングコンサル会社で10年、企業の営業課題を扱ってきた人物だ。「現場で同じ課題を何百社と見てきた。自分ならもっとうまく解決できる」と確信し、1年前に独立した。いまは5名のチームで、中小企業向けの営業支援SaaSの立ち上げを準備している。コンセプトはまとまっており、画面の設計も進んでいた。プロダクトはまだ存在しない。「作る前に顧客の課題を確認する」という順序で動こうとしていた。その姿勢は正しい。
画面を眺めながら、正直、感心した。課題設定の解像度が高い。スライドも整理されている。さすがコンサル出身、問題の構造化は上手い。
ただ、一つだけ引っかかった。
「桐島さん、これまでに何人の顧客候補と話しましたか?」
少し間があった。
「10人ほどです。みんな『これは欲しい』と言ってくれました」
その瞬間、内心で少し冷えるものを感じた。全員が賛成しているとき、何かが間違っているかもしれない。長年の経験則だ。嫌な予感がした。
「その10人は、誰ですか」
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◆ 全員が「批判できない人」だった
答えを聞いて、理由がわかった。
元同僚。業界の知り合い。前職のクライアント。桐島さんに好意的な、あるいは批判しにくい立場の人たちばかりだった。「批判してくれる人を探した」わけではなかった。都合のいい10個の声を集めて、「手応えあり」と判断していた。
「欲しい」は、「買う」ではない。
確証バイアスという言葉がある。自分の仮説を支持する情報だけを集め、反証を無意識に排除してしまう認知の歪みだ。新規事業のCPFフェーズ —「顧客が本当に課題を抱えているか」を確認する段階— では、これが命取りになる。
悪意はない。むしろ、熱量がある人ほどはまりやすい。自分の事業を信じているから、信じさせてくれる声に引き寄せられる。コンサルタントとして「課題を何百社と見てきた」という自信が、かえって確証バイアスを強めることすらある。
言いにくいことを言う必要があった。
「桐島さん、正直に言います。そのヒアリングでは、CPFの手応えを測れていません」
桐島さんの顔が一瞬、止まった。
「どういうことですか」
「聞いていた相手が、批判できない立場の人たちです。本当の顧客候補 —見ず知らずの経営者 —に、同じことを聞いてみてください。反応が変わると思います」
空気が少し重くなった。
「私のリサーチが足りないと?」
責める気はなかった。しかし「そうです」とだけ言うのも違った。
「桐島さんのリサーチは丁寧です。ただ、構造が少しずれています。それだけです」
COO代行の仕事はここにある。問題を責めるのではなく、見えていない構造を言語化すること。桐島さんが悪いのではない。確証バイアスという構造の中にいることに、気づいていないだけだ。
◆ なぜ20人なのか
「では、何人と話せばいいのか」という問いを、私と桐島さんで一緒に立てた。
UI/UXとユーザビリティ研究の世界的権威、ヤコブ・ニールセン氏が打ち出した「マジックナンバー5」という理論がある。同じセグメントのユーザー5人と話すと、問題の80%は発見できる、という考え方だ。
ただし、プロブレムインタビューの最初の段階では、相手がどのセグメントかまだわからない。インタビューを重ねながら、顧客を4つの象限に整理していく。セグメントが4つなら、5人×4で20人が必要になる計算だ。
「最低20人です。しかも1人あたり1時間は話さないと、本音は出てきません」
ここで大事なことがある。インタビューは、社長自身がやるべきだ。外部委託でも、担当者任せでもない。創業者が直接現場に出て、顧客の課題に触れることで、初めて事業のストーリーを語れる人間になれる。
「誰に、何を、どう聞くか」。その設計は一緒に考えた。しかし足を運ぶのは、桐島さん自身だ。
そうして桐島さんが向き合った顧客候補の中に、一人の経営者がいた。
「うちの営業が困っているのは、ツールじゃないんです。動かないんです、そもそも。ツールがあっても使わない。そういう人間の問題です」
その人は話が止まらなかった。1時間、言葉が溢れ続けた。
後で桐島さんから聞いた話では、インタビューが終わった後に「こんなに話したのは久しぶりだ」と言ってくれたらしい。強い課題を持ち、解決策を切実に求めている人間だけが持つ熱量だ。こういう人物を早期に見つけ、事業の壁打ち相手にできるかどうかが、CPF検証の精度を左右する。
◆ 「作ろうとしていたものが、課題とずれていた」
30名と向き合った結果を、私と桐島さんで整理した。
結果は明確だった。
桐島さんが想定していた「営業管理ツールの使い勝手に不満がある会社」は、全体の2割以下だった。実際に強い課題を抱えていたのは、「営業担当者の行動変容を促す仕組みがない会社」だった。構想していたサービスと、顧客が本当に困っていることがずれていた。
「今の方向性では、刺さらないと思います」
静かに言った。
沈黙があった。2秒か3秒か。長く感じた。
「わかりました」
桐島さんの声は、思ったより落ち着いていた。覚悟を決めた人間の声だった。
「正直、うすうす感じていました。でも認めたくなかった」
その一言が出たとき、少し力が抜けた。ここまで来るのが一番しんどい。社長が自分の仮説を手放せるかどうかが、新規事業の分水嶺だ。手放せない社長を、私は何人も見てきた。
そこからの桐島さんは早かった。構想を根本から書き直した。「ツール」ではなく、「営業担当者の行動変容を支援するサービス」へ。まず課題の再定義だ。
CPFが確認できた。ようやくスタートラインだ。
次のステップはPSF(Problem Solution Fit)—この課題に対して、自分たちのソリューションが本当に刺さるかを検証するフェーズへと進む。プロダクトを作り始めるのは、それからだ。
「CPFが取れたからといって、すぐに売れるわけじゃないんですね」と桐島さんは言った。
「そうです。でも、これで初めてスタートラインに立てた」
別れ際に「あのとき正直に言ってもらってよかった」と言われた。
言えなかったら、どうなっていたか。それを考えると、今でも少し背筋が冷たくなる。
◆ 問いの精度が、事業の精度を決める
CPFを阻むのは、技術力でも資金でもないことが多い。社長自身の確証バイアスだ。
そしてその確証バイアスは、当事者には見えない。社長は一生懸命やっている。間違っているとも思っていない。だからこそ、外の目が必要だ。
COO代行の価値は、実務を肩代わりすることではない。社長が見えていない「認知の構造」を言語化すること。その構造に気づいた社長が、自ら動けるようにすること。
「顧客が欲しくないものを一生懸命作ってしまう」
——CPFフェーズとは、その前に立ち止まるための検証だ。その立ち止まりを、社長一人で設計するのは難しい。
優しく問うのではなく、正直に問う。それがCOO代行の仕事だと思っている。
【この記事のまとめ】
・CPF(Customer Problem Fit)とは「顧客が本当に課題を抱えているか」を検証するフェーズ。アイデア段階の話であり、ここをおろそかにすると後の全てが無駄になる。
・確証バイアスとは、自分の仮説を支持する情報だけを集め反証を排除してしまう認知の歪み。熱量がある社長ほど、経験豊富な起業家ほどかかりやすい。
・COO代行の価値は実務代行ではなく、社長が見えていない構造を言語化し、社長自身が動けるようにすること。
【よくある質問】
Q. COO代行は新規事業の現場で具体的に何をするのですか?
A. 実務を代わりにやることではありません。「なぜ進まないのか」「何が見えていないのか」という構造を診断し、言語化することが主な仕事です。例えば、社長が確証バイアスの中にいるとき、外から「その10人は誰ですか」と問える存在が必要です。社長が自ら動ける状態をつくることが、COO代行の提供価値です。
Q. プロブレムインタビューは何人やればいいですか?
A. 最低20名が目安です。根拠はヤコブ・ニールセン氏の「マジックナンバー5」理論です。同じセグメントのユーザー5人と話すと問題の80%が見えてくるとされていますが、CPF初期段階ではセグメント自体がまだわかりません。4象限で整理すると仮定した場合、5×4=20人が必要になります。ただし数より「批判してくれる人と話せているか」の質が重要です。
【前回・次回へのリンク】
前回:COO/CHRO代行のリアル(新規事業編)① 頓挫の正体は、組織にあるはこちら
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