この記事の結論
- 求人票の「実務経験3年以上」は、人事担当者が冷酷だから書かれているのではありません。各社が合理的に判断した結果です。
- しかし、全社が合理的に「育てない」を選ぶと、業界から即戦力そのものが消えていきます。経済学ではこれを「集合行為問題」と呼びます。
- 業界の構造はすぐには変えられません。それでも、一社の採用基準で今日から動かせる抜け道があります。それが「育成コスト」です。
はじめに――「Web系は未経験ですね」
筆者には、忘れられない経験があります。
製造業向けの業務アプリケーション開発と、工作機械の組み込み開発を経験してきた筆者が、あるときWeb系の現場に参画しようとしたときのことです。経験量こそ多くはないものの、ポテンシャルでは通用するだろう――そう思っていました。しかし、返ってきたのは「Web系は未経験ですね」という一言でした。それで終わりでした。
製造業向けアプリ開発で培った経験も、組み込み開発で培った経験も、その瞬間にゼロにリセットされたかのように扱われたのです。
この記事は、そのとき「未経験ですね」と判断する側にいる方――企業の採用担当の方に向けて書いています。あなたの判断を責めるためではありません。その判断がなぜ合理的で、そしてなぜ業界全体では裏目に出るのかを、一緒に考えたいからです。
第一章 「経験がないから参画できない」悪循環
SES業界に身を置くエンジニアなら、似たような言葉を耳にしたことがあるはずです。
「未経験者は受け入れていません」「最低でも実務経験3年以上が必要です」「即戦力として現場に入れる方を探しています」
ここで言う「経験」は、単純な年数の話ではありません。クライアントが求めているのは「自社の業界・技術領域での経験」です。組み込みや業務アプリの経験は、Web系のクライアントから見れば「未経験」になります。下流工程の経験がいくらあっても、上流工程の現場に入るには「上流の経験」が問われます。
すると、こういう問いが生まれます。「経験がないから現場に参画できない。現場に参画できないから経験を積めない。では、最初の経験はどこで積めばいいのか」。
この悪循環は、新卒の未経験者だけの問題ではありません。組み込みからWeb系へ、下流から上流へ――領域をまたぐたびに、経験は「ゼロ」に戻されます。
これは、個人の努力不足の問題ではありません。資格を取れば解決する話でも、自己研鑽の量を増やせば突破できる話でもありません。SES業界という構造そのものが生み出している現象です。本稿では、この構造を経済学者マンサー・オルソンの「集合行為論」で読み解きます。
第二章 「経験を積んだエンジニア」は集合財である
育成コストを払う者と、果実を得る者のずれ
業界全体で見たとき、「経験を積んだエンジニアが市場に十分に存在する状態」は、すべての企業にとって望ましい状態です。クライアント企業は人材調達がスムーズになり、SES企業は提案できる人材の幅が広がり、エンジニア個人は選択肢が増えます。
ところが、この状態を生み出すには、誰かが最初の経験を提供しなければなりません。未経験者に現場での経験を積ませる、つまり「育成」のコストを誰かが負担する必要があります。
問題は、コストを払う主体と、果実を得る主体が一致しないことです。ある企業が未経験者を受け入れて育成しても、その人材は数年後に転職するかもしれません。育成した経験者は業界全体の人材プールに流れ込み、他社も採用できる状態になります。
これは経済学で言う「集合財(公共財)」の典型的な構造です。集合財とは、簡単に言えば「誰か一人が用意したものを、みんなで分け合って使える財」のことです。ある人がお金を払って街灯を立てても、その明かりは通りすがりの全員が利用できます。育成された経験者という人材プールも、転職を通じて業界全体に流通します。「育てた企業だけが恩恵を受ける」という形には、なりにくいのです。
経験を供給できるのは、クライアント企業だけ
では、SES企業が自社で育成すればよいのでしょうか。これは強力な効果を持ちにくいのです。
クライアント企業が求めているのは、書籍やスクールで学んだ知識ではなく、「実際の業務現場で、本物のシステムを相手に、本物のチームと協働した経験」です。求人票に「実務経験3年以上」と書かれているとき、資格や個人開発のGitHubリポジトリでこの要件を突破するのは、ほぼ不可能です。
しかも、クライアントが評価する経験は、そのクライアントが属する業界・技術領域の現場で積んだ経験に限られます。そして、その現場はクライアント企業の中にあります。
つまり、本稿の集合行為問題は、SES企業間の問題ではなく、クライアント企業間の問題です。経験という集合財を供給できるのは、各領域のクライアント企業だけなのです。
第三章 合理的な会社ほど、育てない
オルソンの条件式
オルソンは1965年の著書『集合行為論』で、「共通の利益があるからといって、人々が自発的にその利益のために協力するとは限らない」と論じました。そして、ある企業が自腹を切って集合財を供給するかどうかを、次の条件で説明しました。
(ここで数式が一つだけ出てきますが、数式がわからなくても大丈夫です。すぐ下で、言葉で説明します。)
Fᵢ > C / Vg
Fᵢ は、業界全体の利益のうち自社が得られる分け前(シェア率)です。C は集合財を供給するための総費用(ここでは育成コスト)、Vg は業界全体が得る利益です。平たく言えば、「自社の取り分が、業界全体の利益に対する育成コストの割合よりも大きいときだけ、企業は自腹で育てる」ということです。
二人の社長の頭の中
同じ業界、同じ「クラウド人材を業界で1000人育てよう」という話を前にした、二人の経営者の頭の中をのぞいてみましょう。
ケース1:業界シェアの大きい大手企業の社長
「育成費用は重い金額や。……ただ、育った1000人のうち、うちで採用・活用できるのは半分近いやろう。育てたコストは、うちが採用する人材からしっかり回収できる。よし、自社で育てよう」
ケース2:業界シェアの小さい中小企業の社長
「育成費用は重い金額や。……でも、育った1000人のうち、うちで採用できるのはせいぜい1人か2人。残り998人は他社にとられる。これでは払ったコストは絶対に回収できん。育てない」
ここで重要なのは、両方の社長が同じ問いに合理的に答えていることです。前者が道徳的に立派で、後者がケチなわけではありません。シェアの違いが、合理的な判断の答えを真逆にしているだけです。
育てた人材が流出する、構造的なタダ乗り
日本国内でITシステムを発注しているクライアント企業は、官公庁から中小企業まで含めれば膨大な数になります。一社あたりのシェアは、極めて小さくなります。
すると、「自社で育てるより、他社が育てた経験者を採用するほうが安い」という判断が生まれます。これは感情的な判断ではなく、純粋に経済合理的な判断です。コストを払わずに、誰かが用意した恩恵だけを得る――経済学で言う「タダ乗り(フリーライド)」の構造です。
そして、ほぼすべてのクライアントがそう考えるため、新人を受け入れる現場が業界全体から消えていきます。
求人票に「実務経験3年以上」と書かれているのは、各社の人事担当者が冷酷だからではありません。各社が個別に、純粋に合理的な判断をした結果が、業界全体の門を閉ざしているのです。
しかも、各社が求めるのは「自社の領域での経験」でした。「うちはWeb系の経験者だけ」「うちは金融系の経験者だけ」「うちは上流の経験者だけ」。各社が自分の領域に閉じた採用をするほど、領域をまたごうとするエンジニアの道は塞がれていきます。
誰も動けない集団
オルソンは、人数が極めて多く、一人ひとりの行動が全体に影響を与えない集団を「潜在的集団」と呼びました。一社が育成をサボっても誰にも気づかれず、一社が頑張っても全体は動かない。だから、原則として集合財は供給されません。
日本のクライアント企業群は、紛れもなくこの潜在的集団にあたります。SES業界の現状は、オルソンの理論的帰結通りの姿をしています。
第四章 抜け道は「育成コスト」にある
業界レベルの処方箋は、誰が実行するのか
オルソンの理論からは、業界レベルの処方箋も導けます。たとえば、地方に拠点を構えて集団を小さくし、シェア率 Fᵢ を実質的に引き上げる方法。あるいは、中小企業庁の「パートナーシップ構築宣言」のように、協力する企業に公的なお墨付きや加点を与える「選択的誘因」を設ける方法です(参考:価格転嫁・取引適正化対策とパートナーシップ構築宣言について)。
ただし、これらを実行できるのは経営層や業界団体、行政です。一社の採用担当の方が、明日から選べる選択肢ではありません。
Fᵢ を上げられないなら、C を下げればいい
もう一度、条件式を見てください。
Fᵢ > C / Vg
変数はシェア率 Fᵢ だけではありません。右辺の C、つまり育成コストが小さくなれば、シェア率の小さい会社でもこの式は成り立ちます。
まったくの未経験者をゼロから育てれば、C は大きくなります。だから多くの会社は「育てない」を選びます。ただ、育成コストの中身は一様ではありません。
たとえば組込みからWebへ移るとき、新しく必要になる技術の多くは、本や研修、個人開発でも身につけられます。一方で、現場で時間をかけないと育たないものもあります。
その「現場でしか育たないもの」を別の畑ですでに身につけてきた人なら、新しい畑で育てるのは、外から身につけられる部分だけで済むはずです。
組み込み、業務系、Web系と畑が違っていても、仕事の本質は同じです。その本質をとらえられていれば、スキルは転用できます。ところが現在のSES業界は、そのスキルの転用すら許さない構造になっています。
採用担当の方へ
皆が短期の目標を求めすぎて、視野が狭くなってはいないでしょうか。安定志向は重要です。しかし、領域の経験の有無だけで判断すると、育成コストの小さい人材まで「未経験」の箱に入れてしまいます。
もちろん、スキルを転用できる人とできない人はいるでしょう。だからこそ、その判断は「同じ領域にいたか」ではなく、「本質をとらえられているか」でする必要があるのではないでしょうか。
何がその「本質」にあたるのかは、仕事によって違うはずです。それを一番よく知っているのは、現場を抱える皆さん自身です。御社の仕事で、外から身につけられるものは何か。現場でしか育たないものは何か。一度、切り分けてみていただけないでしょうか。
これはきれいごとではありません。即戦力は業界全体で奪い合うので、高くつきます。本質をつかんだ転用組を見つけることは、シェアの小さい会社でも割に合う、合理的な選択肢になりうるのです。
第五章 筆者自身の実験――集団を極限まで小さくする
構造を待たずに、自分で現場をつくる
第四章で見たように、業界の構造を変える処方箋の実行主体は、エンジニア個人ではありません。では、個人は待つしかないのでしょうか。
筆者が立てた仮説は、「集団を極限まで小さくする」ことです。地方拠点化が集団を小さくしてシェア率を上げる戦略だったように、個人の単位で、自分が経験を積める小さな現場を自分で見つける。全国のクライアントという巨大な集団の中では誰も育ててくれないなら、クライアントが一つしかない小さな集団をつくってしまう、という発想です。
やったこと
筆者は、ある学生組織の入部手続きを自動化するWebアプリを開発しました。現在、その組織で本格稼働しています。
- 入部手続き11工程のうち、手作業だった8工程を2工程に減らしました(手作業を約75%削減)。
- 入部対応にかかる時間を、約161時間から約2分に短縮しました(約99.98%短縮)。
- 担当者が忘れると手続きが止まってしまう属人的な運用を解消しました。運用責任者の方からは、進捗が組織全体で共有される点を評価していただきました。
- 無償での運用から、月額の有償保守契約へ移行しました。
- 保守では、利用規模に合わせてデータベースとサーバーを見直し、サーバー実費を約41%削減しました。
本物の利用者がいて、本物の業務責任がある現場です。小さくても、書籍やスクールでは得られない経験でした。
これは、まだ仮説です
正直に書いておきます。この取り組みで「Web系未経験」の壁を突破できた、という実績はまだありません。集団を極限まで小さくするのが一番強い、というのは、あくまで仮説です。
そして、この方法には「運」が介在しています。筆者の周りには、たまたまシステムを導入できる環境がありました。チャンスがある人は、それを必死に探し、掴む必要があります。しかし、チャンスがない人には、どうしようもないこともあるかもしれません。筆者は、運が良かっただけです。
それでも、チャンスがあったのは運ですが、それを「経験を積める現場」として見抜き、有償の契約まで持っていったのは、筆者自身の判断でした。
この仮説が正しいかどうかを検証してくれるのは、もしかしたら、この記事を読んでいるあなたかもしれません。
おわりに――変えられないものと、変えられるもの
本稿の議論には、一つ大きな前提があります。クライアント企業がエンジニアを直接雇用せず、SES企業を介して調達する、という多重下請け構造です。もし直接雇用なら、育てた人材は自社に残り、この集合行為問題は起きにくくなります。その多重下請け構造がなぜこれほど頑健なのかは、取引費用理論など別の枠組みが必要な問いであり、別稿に譲ります。
神学者ラインホルド・ニーバーのものとされる祈りに、「変えられないものを受け入れる平静さ、変えるべきものを変える勇気、そしてその二つを区別する賢さ」を求める一節があります。
業界の構造は、一人のエンジニアにも、一社の採用担当にも、すぐには変えられません。けれども、筆者は自分の手で小さな現場をつくることができました。そして採用担当のあなたは、「同じ領域にいたか」ではなく「本質をとらえているか」で人を見る、という採用基準を、明日から選ぶことができます。
理論と技術で、景色は変わる。筆者はそう信じて、この実験を続けています。
本稿はマンサー・オルソン『集合行為論』を主な手がかりとして、SES業界の構造を分析しました。