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僕が走る理由

吐露するに僕は、それほどたいしたスピードでマラソンを走るわけではない初心者レベルのランナーだ。だからとうていかっこいいことは何も言えない。

しかし、マラソンは仕事や人生に良い影響をもたらすと思っているので、この観点で読者の参考になればと思い文章を残しておこう。自分が何を考えているかの記録にもなるし。

もちろん、マラソンはハードなスポーツなので、万人向けのスポーツではないが、読んだ人に何か学びがあれば幸いである。

というわけで、僕はマラソンをする理由は、3つある。

第1に、努力が報われるということ。

マラソンは、練習すると練習した分だけ成長がタイムという定量的dataで計ることができる。逆に、練習をさぼると、サボった分だけ、タイムが落ちるので、これも実にわかり易い。

練習は裏切らず、成果に繋がることが多いのが、僕はマラソンという競技が気に入っている。

一方、僕が考えるに仕事は、主に不確定要素が高い中から、最適解を見つけ出し、それを実行して、成果を出さなければならないプロセスの繰り返しだ。また、根拠の無い自信から、やらなければならない背景から、事業運営、プロジェクトなどをやるしか無い、やるなら成果を出せるように実行していかなくてはならない。練習量、汗の量は関係無い。

だから、やっていた仕事が、努力がゼロになることだってある。営業や、プロポーザルの案件などでは、受注しなければ結果はゼロで、成果は基本的にはゼロだ。もちろんポジティブに考えれば、次の機会にはこの経験が生かされる、成功確率が上がるなどのメリットはあると思うが、瞬間的にはゼロになってしまう。もちろん、営業などの仕事は相手のあることだし、景気などの外部環境変動要素が多いので、そもそもマラソンと比較することは違うのでは無いか?という議論もあるだろう。が、それにしても仕事に比べるとマラソンは実に努力が報われる機会が多く、満足度が高い。僕は定量的に計ったことは無いが、マラソンにより、ドーパミンも放出されていることだと思う。


第2に、完走、ゴールした時の無上の喜びだ。

子育てをしている母親は、家事、育児によって、掃除、洗濯、食事の用意、叱るなどの主にあまり楽しく無いことを繰り返し、日々行うが、幸福度が高いという。子育ては、他へ貢献、スキンシップなどでオキシトシンが出やすい環境にあるということはあるだろう。

私は、母親では無いのだが、誤解を恐れずに言えば、母親が子育てに感じる、喜び、幸福も、マラソンに近いプロセスだと思う。

僕にとって、42.195kmまでに至る道のりは、我慢の連続であることが多い。自分の体調と相談しながら、タイムを確認しながら、身体、心肺、膝や腰などの間接、足の裏などは大丈夫かどうか、ペースは保てているか、気持ちは萎えていないか、腕は触れているのか、などいろんなことを考えている。このプロセスは正直面白く無いし、マラソンで坂道を上るときは殆ど僕は下を向いて走っていから、景色などを楽しむ余裕も無い。

一方で、もちろん無心の瞬間もある。

様々なほぼ苦痛に近いことが多いプロセスが、42.195kmに詰まっていて最後に救いがある。これが僕にはたまらない。

第3に、人生への執着が産まれることだ。

人にもよると思うが、自分の限界を知り、その限界を超えようと努力することが、マラソンでは重要なプロセスだと僕は考えている。

もちろん、42.195kmを完走することだって、チャレンジだということもあるが、サブ3、サブ4などタイムを達成していくことも、チャレンジだ。

このチャレンジを執拗に、執着して続けていくと、いつしか仕事への執着、人生への執着もついてくる。まず、マラソンをしていると体形的にも、ストイックになってくる傾向があると思うし、体調も良いことが多いと思う。例えば、寒い冬の日でも、他のマラソンやスポーツをしていない人と、体感温度を通じたホット感と体の動きや軽さ、メンタルの充実感が違うのではないかと思っている。

僕は5時に起きて、腹筋50回、体幹ストレッチ3セットを行う。

自然と朝からやる気がみなぎって来る。

朝から気分が良いので、一日のスタートは最高だ。

一日のスタートが最高なら、ポジティブなことを考える。ポジティブなことを考えているから、どんな時でも、目標やゴールを達成したり、人生をより良くすることを考えたり、行動したりすることが好きだ。

とにかく、毎日良いコンディションで、執着、執着、執着を持ってチャレンジし続けることが大切だと思っている。

世界をより良くするために。


ということを考えていたが、ブッダの教えの根本を「空」だととらえると、この3つは全部いらなくても良さそうだ。


結局、すべては「空」なのだ。


ということで、この話はおじゃんになりました。


おあとがよろしいようで。笑