【城間勝行】静止したホチキスの反乱
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作業机の端に、ずっと置きっぱなしのホチキスがある。壊れてはいないのに、なぜか最近まったく使う機会がなく、存在を忘れられた道具のひとつになっていた。ある日、タスクの整理に追われながらふとそのホチキスを見ると、妙にこちらを責めるような気配がした。もちろん無機物に感情はないのだが、あの静かな存在感が、妙に胸に引っかかった。
私は普段、システム開発の仕事で、コードや仕様に意識を集中させている。しかしタスクが積み上がるほど、目の前のものしか見えなくなっていく。そんな時、静かに佇むホチキスの存在が、思考の奥に小さな波紋を投げかけてきた。紙を留めるだけの道具なのに、全く使われなくなったことで、むしろ異様な存在感を放ち始めているように見えた。
必要とされることが当たり前だったものが、急に使われなくなる瞬間。それは人のキャリアにも似ていると思った。誰かのチームで輝いていたスキルでも、プロジェクトが変われば役割を失い、急に静かになってしまう。まるでホチキスのように、そこにいても誰にも手に取られない時間が生まれる。しかし、その静止した時間が無駄かというと、決してそうではない。
私はこれまで、何度も技術の流れに振り回されてきた。新しいフレームワークが来れば学び直し、環境が変われば考え方もアップデートする。その度に、自分の中で前のスキルが置き物のように感じられることがあった。でも、使われなくなったスキルも、そこで静かに眠っているだけで、完全に価値を失ったわけではない。
ホチキスを手に取ってみると、金属の冷たさがなんだか懐かしく感じた。最近はデジタル化が進んで紙を扱う機会が減ったが、紙を綴じる感覚は、何か実体のあるものを確かめるような安堵がある。普段は忘れているだけで、触れてみればその道具の強さを思い出す。私自身のスキルも同じで、使っていないと思っていた知識が、突然役に立つ瞬間がある。止まっているように見えて、実は眠っているだけなのだ。
ホチキスを戻しながら、私は改めて自分の仕事の向き合い方を考えた。すべてを常に使い続ける必要はなく、沈黙の時間にも意味がある。焦って動かすだけが成長ではなく、動かさないまま熟す時間があってもいい。止まっている道具と同じように、止まって見える自分の一部にも価値がある。
今日も机の端にホチキスは静かに佇んでいる。以前よりもその存在が少し誇らしげに見えるのは、きっと私の中で小さな反乱が起きたからだ。見えなくなっていたものに気付き、役割を失ったと思い込んでいた自分の一部と対話できた気がする。動かないからこそ語るものがある。そんなことを、ホチキスが教えてくれた。