仕事をしていると、時々、自分がどこまで本気で「信じて」動いているのか分からなくなる。スライドの数値を信じる。上司の方針を信じる。チームの空気を信じる。そうやって信じる対象をコロコロ変えながら、日々をなんとか進めている。だけど最近、デスクの上で転がっていた“シャープペンの芯”を見て、少し考え方が変わった。
芯って、あまりにも細い。あの細さで、文字を書くたびに世界と接している。圧力が強すぎれば折れるし、優しすぎれば書けない。まるで人間関係みたいだなと思った。押しすぎても、引きすぎてもダメ。絶妙な力加減で初めて、言葉が残る。芯が紙をすべるたびに、バランスの緊張感を感じる。それが気持ちいい。
気づけば自分の仕事も、似たようなものだった。プレゼンの言葉、Slackのメッセージ、レビューのコメント。どれも「力のかけ方」一つで意味が変わる。強く言えば折れる。柔らかすぎれば伝わらない。シャープペンの芯みたいに、折れないギリギリの場所で踏ん張る。それが、いまの自分にとっての“信じる”ということなのかもしれない。
昔は、もっと太い線で描きたかった。明快で、正解があって、誰もが納得する言葉を使って。でも今は、かすれるくらいの細い線でいいと思う。その方がリアルだ。ちょっとした揺らぎやムラが、人間らしさを描いてくれる。きれいな直線よりも、ちょっとブレた曲線の方が、心が動く。芯が紙をすべるあの感触が、そのことを教えてくれる。
芯が折れるとき、以前はイラッとしていた。でも最近は、それが少し好きになった。限界まで力を込めた証拠だからだ。挑戦した結果、折れた芯には、ちゃんと意味がある。仕事でも同じで、失敗したプロジェクトほど、あとで血肉になる。折れた芯を捨てずに、デスクの片隅に置いておくのが、ちょっとした習慣になった。
「信じる」とは、強く持つことではなく、細く、長く、使い続けること。折れたら削り直せばいいし、なくなったら新しい芯を入れればいい。その繰り返しが、成長なのかもしれない。毎日の小さな摩擦と手応えを感じながら、自分という芯を折らずに使い続けていきたい。
今日もまた、会議の前にシャープペンを手に取る。芯が紙に触れた瞬間、少し緊張する。けれど、その細さの中に、私の仕事が詰まっている気がする。