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今ならギリギリ間に合う。通信企業役員から「丁稚奉公」に出た理由。

話を聞いたらいろいろ出てきそう。ABEJAにはそう思わせる人たちがいます。

今回は佐藤隆彦さん。

年商12億円の通信企業役員から、「丁稚奉公がしたくなった」とABEJAへ。これまでの経験を生かし、新規事業の立ち上げにかかわっています。

2019年5月にリリースされた「ABEJA Insight for Contact Center」(AICC)では、立ち上げからかかわり、プロダクト終了まで見届けました。

事業を立ち上げ、ときには見切りもつける「新規事業請負人」の素顔は。


「サソリが枕元に来るんだ」にトキめいた

さとう・たかひこ=京都大学大学院工学研究科修士課程修了後、電気エンジニアとして日揮株式会社で海外プラントの設計を担当。その後、MVNO事業を行うベンチャー企業の取締役に就任、事業企画、営業、マーケティング、コールセンター運営、財務・経理、総務など幅広く担当し、事業基盤の整備を行うとともに事業拡大に貢献。2016年に同会社を売却し、売却先でITx通信を軸とした事業企画に従事。大手企業を中心に共同企画を立ち上げ、戦略立案だけでなく現場オペレーションまで一気通貫したビジネス構築を得意とする。2019年ABEJAに入社、様々な新規事業を担当。


大学院を出て、海外各地でプラントを作っている日揮にエンジニアとして入りました。

ーーなぜプラント企業に?

砂漠やジャングルにも大きなプラントを作っている会社ですから、OB訪問で世界中のワイルドな話をずいぶん聞いたものです。

「現地に行って寝てたらサソリが枕元に来るんだ」
「砂漠に向かって打ちっぱなしができるんだ」
「先住民とまず話をして(プロジェクトの)了承を得なきゃいけない」って。

バックパッカーでもそんな経験できないでしょう?
「なんなら、イスラム女性と宗教を超えた恋愛して『国際恋愛小説家』にでもなってやろう」くらいの妄想を膨らませて入社したんです。

ーー実際、どうでした?

入ったらやっぱり「優良企業」でした。考えてみたら当たり前なんですけど、そこまで社員を危険な目に遭わせる訳もなく、だいぶマイルドで。

素晴らしい会社でしたけど、でも「ちょっと思ってたのと違うな」と。

プラント開発や石油精製など数千億円規模のプロジェクトは社会的な意義は大きいけれど、自分が手がけた実感が持てなかった。もっと地べたで自分でリアルに手ごたえのあることをしてみたくなったんですね。

そんなころ、起業したばかりの大学の先輩に会いました。かなり変わった人だったのに、起業後にあったらちゃんとした大人になっていた。

「やっぱり起業すると人間もこんなに価値観が変わるんだ」といたく感心して、入社から1年10か月後、日揮を退職して手持ちの財産20万円だけもって彼の会社にジョインしました。2008年、ちょうどリーマンショックが広がった時期に。

今思えば怖いもの知らずです。何にも知らずに入ったら、いわゆる代理店ビジネスでした。営業の経験はゼロ。荒野に放たれた鹿みたいな気持ちで、いやいや電話営業したのを覚えてます。


鮮魚センターの2階がオフィスだった

この会社を3~4ヵ月続けるうち、別の話が舞い込んできました。ある会社がMVNO(仮想事業体通信事業)の子会社を立ち上げたが担い手がいない、と。そこでこの先輩と一緒に、取締役としてこの会社に入りました。2人とも通信業界の経験なんて全然なかったのに。

清澄白河の住宅街にある鮮魚センターの、アパートみたいな階段をカンカンと上った2階がオフィスでした。通信・IT会社のシュッとしたイメージとは真逆です。そのせいか、何度か面接をドタキャンされました。

ある日、採用面接の予定者を待ってたんですが来ない。なにげなく窓の外を見たら、リクルートスーツを着た人がクルリと背を向けて帰っていく姿が見えた。建物見て「働けない」と思ったんでしょうねえ。

鮮魚センター2階にあったオフィス。この部屋全部を借りる資金的余裕がなく、半分だけ借りていた。


その後会社も成長して、従業員10人の会社で、年商12億円、営業利益20%まで伸びました。オフィスも鮮魚センターから東京駅前、永田町、日本橋と移っていきました。

その間、事業をいくつも立ち上げてきました。大変だったけど面白い経験もたくさんできた。創業から10年がすぎた2019年、「キリもいいので辞めます」とグループ会社の社長に伝えて退職しました。

「丁稚奉公」、今ならギリギリ間に合う。

ーー軌道に乗ってきたのに、退職ですか。

未体験の領域で「丁稚奉公」から始めたくなったんですよね。

いま新規ビジネスを立ち上げるなら、「ソフトウエアありき」で考えるのが常識になってますよね。逆に言えば、アプリやシステムを作らないと付加価値がつかない。ならば、エンジニアと関係を築けないといけない。なのに、僕はエンジニアが大事にしている価値観が分からずにきてしまった。

エンジニアたちは、僕の知らない価値観を大事にしている印象があります。共感される価値観でないといいエンジニアも集まらないし、いいプロダクト、いいサービスが生まれない。AIやソフトウェアの領域で、しかもエンジニアの方が多いような会社でいちプレイヤーで働きたいなと考えました。

ーー周りに驚かれませんでした?

そうでしたけど....でも、ここに落ち着くのもどうだろうって。かと言って、マネジメント職での転職は面白くない。もっと「地べた」から見るには、ぎりぎり今のタイミングだろうと。

ふらりとエージェントに行って「こんな感じで探してるんです」と伝えたら「なぜ?」と戸惑われました。「特に不満があるわけでもないのに、いきなりゼロスタートしたい、と言われましても」と(笑)。

紹介された企業の中にABEJAがありました。カルチャーも含めて面白そうだった。面接で会う人と話すうち、感性みたいなものを大事にしている会社なんだと思いました。

ーーいろんなビジネスを手掛けて、見えてきたことは?

会社・事業の状況が「縦軸」だとしたら、時代性が「横軸」としてある。この2つのタイミングがあわなければ、どれだけ頑張ってもビジネスは成長しないだろうと思ってます。

前職のMVNO事業でいうと、「格安スマホ」という言葉とともに、LINEモバイルやDMM mobile、楽天モバイルなどが相次いで参入するようになったのはここ数年です。かたや僕たちは、「MVNO、何それ?」と言われてた10年前に始めた。先行プレイヤーだったから事業が伸びた面もある。

でもそれは今だから言える「結果論」です。成功の理由はだいぶ後にわかること。MVNO事業も当時はやれることがそれしかなかったし、成功する確信は全然持てなかった。

東京ヤクルトスワローズの元監督、野村克也さんの言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがあります。負ける時の理由は明確だけど、勝ってる時の理由は、当の本人も実は分からない。

ーーまさに「タイミング」ですね。

それで言うと、ABEJAが始めたAICCは他社より2〜3年参入が遅く、競合は正直、たくさんいました。でも、どこか攻められる領域はあるはず、と思って立ち上げに入りました。

Slack上で、佐藤さん自身のつぶやきを投稿する#times_sugarから


その後、数社でのプロダクト検証を行い、SaaSとして事業化する方法論を見出すところまではいきましたが、最終的にはいくつかの要因があり、事業化するための承認が経営陣から得られませんでした。SaaS以外に、個別案件として対応する道も残っていましたが、「もったいない」と中途半端に続けることは顧客も自社も幸せになれないことは、自分の経験から分かっていました。なので、ここはきれいにクローズしたほうがいいと経営陣に進言しました。

「イケそう!」という空気に巻き込まれない

いろいろな考え方はありますが、僕が新規事業をつくる時は、必ず最終的なユーザーの目線を獲得できるまで丹念に調べたりして「深掘り」をしなきゃいけない、と思っています。AICCで言うと、コンタクトセンターで働く「オペレーターの目線」ですね。それが獲得できないうちは、何を言っても絵空事にすぎません。

#times_sugarの投稿から。


事業を深掘りしていくと、気持ちが落ち込んでいきます。あれもやったし、これもやった。できることはもうない。さらに競合がでてきた。あの会社も「参入」のプレスリリースを打ってきたーーと。

社内に「出遅れてる、向かい風だ」というムードが漂うこともあるし、そういうときは強い孤独感も味わいます。でも、そこで「無理に盛り上げない」のが、僕の持論です。だから周りからの「頑張れ」「期待している」という応援コールも、あえて耳に入れないように気をつけています。

新しい事業を立ち上げる際、周りの声に振り回されない「鈍感力」は必要です。皆あれこれ言うかもしれないけれど、一番事業を理解しているかどうかは別の話ですし。

空気で判断されるのが、一番危険です。空気だけで突き進むビジネスが一番どうしようもない。顧客の声が無視されていることが多いからです。

どんな経験も必ず次に生きる

AICC以外にも、前職で様々な事業を閉じてきました。
鶴の一声で立ち上がったものの、推進者がいなくなって「無縁仏」状態に陥ったもの。担当者が立ち往生しているもの。そんな事業を引き取っては撤退・存続の「白黒」をつけてきました。

事業にかかわったら成功させるために自分のあらゆるリソースを注ぎます。でも、ある判断ポイントにいたったら、あまり引きずらずにスパッとたたむ。その時点では「失敗」かもしれないけれど、ノウハウは必ずなんらか残るはずだから。

それにきちんと白黒つけないと、リソースだけが削られていくんです。請求書発行や顧客対応が漫然と続いて。顧客に迷惑がかかるし、担当も可哀想。誰も幸せにならない。だからこそ、けじめをつけてきた。

ーー切り替えが早いですね。

働き始める前からそうかもしれないです。
高校生の時「TK(小室哲哉)ファミリー」が流行っていて、僕もシンセサイザーや作曲をやってました。「将来プロデューサーになって、美人ボーカルとユニットを組む!」と本気で思ってましたから(笑)。

でも、大学に入ったらTKファミリーも下火になった。さらにシンセサイザーもピアノも、うまいヤツは死ぬほどいる。「変えなきゃ」と、ジャズに転向してトロンボーンをはじめました。

ーーTK路線からジャズですか。

飛びましたよねぇ。でも、TK路線から撤退しても無駄にはならないんですよ。

ジャズに転向してからビッグバンドを組んで、トロンボーンを吹きながら、コンサートマスターという指揮者みたいなこともしてました。

「こういう曲をやろう」「あなたはこういう風に吹いて欲しい」とメンバーに指示したり、作曲や構成を考えたりするのも、TK路線だったときの経験がきちんと生きた。

ビジネスも同じで、新しく何かを始めるとき、自分の蓄積から使えるものを手ぐりよせ、かけ合わせれば、「非連続」が生じて独自性につながっていくと思っています。「この道一筋」は、競争相手が多いなかで生き残るのは大変だな、と。

#times_sugarの投稿。これまでのビジネスの知見をもとにした味わい深い投稿に、ファンは多い。


ーーそういう視点、いつ頃自覚するようになりました?

ABEJA入ってからなのかな、特に。皆いろんな経歴を持っていてとにかくユニーク。「自分は本当に没個性的だな」と、ずっと思ってます(笑)。


「白いご飯」みたいなサービスを作りたい

僕は派手なサービスは、あまり興味ないです。どちらかというと「インフラ」(基盤)、いわば「白いご飯」にあたるサービスを作りたいと思ってます。

ーーインフラを「白いご飯」にたとえた人、初めて見ました。

白いご飯は「ワー」「キャー」と騒がれないですが、おかずを引き立たせるには不可欠な存在です。これをサービスにたとえたら「インフラ」(基盤)ですよね。振り返れば、日揮も「インフラ」、通信も「インフラ」。AICCもコールセンターのオペレーター向け「インフラ」だった。
地味だけど必要。これ、自分のベースラインかもしれないです。


取材・構成=一ノ宮朝子、錦光山雅子   撮影=川しまかおり

(2020年1月30日掲載のTorus(トーラス)by ABEJAより転載)

今ならギリギリ間に合う。通信企業役員から「丁稚奉公」に出た理由。|テクプレたちの日常 by ABEJA
話を聞いたらいろいろ出てきそう。ABEJAにはそう思わせる人たちがいます。 今回は佐藤隆彦さん。 年商12億円の通信企業 2019年5月にリリースされた「ABEJA Insight for Contact Center」(AICC)では、立ち上げからかかわり、プロダクト終了まで見届けました。 ...
https://torus.abejainc.com/n/n48daba4f50fc
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