2026年も、気づけばもう1ヶ月が過ぎようとしています。年が変わったからといって、何かが劇的に変わるわけではありません。それでもこのタイミングは、一度立ち止まって、これまで自分たちが大事にしてきた価値観を見直すにはちょうどいい節目だなと思い、改めて「誠実」という言葉について考えてみました。
誠実という言葉は、企業の採用ページやミッション、カルチャー紹介の中で頻繁に使われています。
丁寧な対応をすること、やさしい言葉を選ぶこと、相手の気持ちを慮ること。どれも間違ってはいませんし、もちろん大切です。
ただ、それらすべてが「誠実」という一言にまとめられてしまうと、この言葉は一気に輪郭を失ってしまうようにも感じます。
誠実とは「やさしさ」ではなく「設計」だと思っている
aciassが考えている誠実さは、もう少し地味で、目立たなくて、手間のかかるものです。それは、しっかりルールを作り、それを守るために「よしな」を通さないこと。この2つが揃ってはじめて、誠実さは機能すると思っています。
「よしなでいきましょう」という言葉は、とても便利です。その場の摩擦を避けられるし、話も早いし、誰も嫌な顔をしない。大人の対応のようにも見えます。
でも、その便利さの裏側には、必ず歪みが生まれます。
声の大きい人、説明がうまい人、決定権のある人に関係性を持っている人が得をして、ルールを信じて黙っている人や、事情をうまく言葉にできない人が、静かに置いていかれる。
これは優しさでも配慮でもなく、ただの無責任だと思っています。
よしなで崩壊した会社を、実際に知っている
正直に言うと、私は「よしな」で崩壊していった会社を実際に知っています。その会社はひとつではありません。そして最初から悪い会社だったわけでも、誰かが極端に悪かったわけでもない。
立ち上げ当初は勢いもあり、優秀な人も多く、外から見れば「いいチーム」に見える会社でした。
決まっているようで、何も決まっていなかった
ただ、その会社には共通点がありました。判断が、常によしなだった。ルールはあるようで、ない。決まっているようで、変わる。昨日OKだったことが、今日は通らない。その理由は、だいたい説明されない。
「今回は特別で」
「状況が状況だから」
「まあ柔軟にやろう」
最初はそれが大人な判断に見えるし、スピード感もある。でも、時間が経つにつれて、少しずつズレが生まれていきます。
人は「判断」ではなく「空気」を読むようになる
あの人は通ったのに、なぜ自分はダメなのか。この前は問題なかったのに、なぜ今回は怒られるのか。誰に聞けば、ちゃんと判断してもらえるのか。
そうした小さな疑問が説明されないまま積み重なっていくと、人は判断しなくなります。
自分で考えるより、「通りそうな人」を探すようになる。ルールを守るより、空気を読むようになる。
最後に残るのは「判断を避ける文化」
結果として組織の中には二種類の人が残ります。
よしなを使いこなせる人と、黙って耐える人。
前者は調整役として消耗し、後者は「ちゃんとやっているのに評価されない」という感覚を抱え続ける。
気づいたときには、主体性のある人から静かに抜けていき、最後に残るのは、判断を避ける文化だけでした。
誰かが声を荒げたわけでも、大きな失敗があったわけでもない。ただ、よしなが積み重なっただけ。でも、その組織は確実に壊れていきました。
スタートアップに必要な「柔軟さ」と「よしな」は別物
スタートアップやベンチャー企業では、「柔軟さ」や「スピード感」が重視されます。それ自体は正しいし、必要な要素です。
ただ、その柔軟さが「よしな」と混同された瞬間から、組織は静かに壊れ始めます。
判断基準が人によって変わる、タイミングによって変わる、関係性によって変わる。
そうなると、組織は「何を信じて動けばいいのか分からない場所」になってしまいます。
aciassが「面倒でも」ルールを言葉にする理由
だからaciassでは、できるだけルールを言葉にします。
いつでもだれでも見れるようにします。
面倒でも曖昧にしない。後出しで変えない。
例外を作るなら、その理由を説明する。
そのうえで、一度決めたことは誰に対しても同じように適用する。
仲がいいから、昔からいるから、今は大変そうだから、そういった理由で線を歪めないようにしています。
ルールを作るというと、冷たい、堅い、融通が利かないと思われることもあります。
でも、ルールがない状態のほうが、実はずっと不親切だと考えます。判断が属人化し、毎回空気を読まなければならない環境は、長くいるほど人を消耗させます。
給与や評価にこそ、誠実さは表れると思っている
誠実さが一番試されるのは、実は給与や評価の場面だと思っています。 ここが曖昧なままだと、どれだけ理念や文化の話をしても、最後に不信感が残る。
「なぜこの金額なのか」 「なぜこの評価なのか」 「なぜあの人は上がって、自分は上がらないのか」
これに説明ができない状態は、組織として不誠実だと思います。
だからaciassでは、給与や評価についても、できるだけルールとして言葉にし、誰でも確認できる状態にしています。
感覚や印象、好き嫌いで決めない。評価者の気分でブレない。「今回は頑張ってたから」「よしなで少し上げておこう」といった判断を、あえてしないようにしています。
よしなで上がる給与は、次のよしなを生みます。 よしなで決まる評価は、必ず不満を残すと考えます。
一時的には丸く収まるかもしれない。でもその裏で、「ちゃんとやっている人ほど損をする構造」が静かに出来上がっていく。
評価とは、本来「納得できるかどうか」がすべてだと思っています。 高い評価であっても、低い評価であっても、その理由が言語化され、再現性があること。それが誠実さだと考えています。
aciassでは、「頑張ったから」ではなく、「何をやったか」「どう価値を出したか」「次に何を期待しているか」をセットで伝えるようにしています。評価は過去の点数ではなく、次の行動につながるものであってほしいからです。
もちろん、完璧な制度だとは思っていません。運用の中でズレが出ることもあるし、見直しが必要になることもあります。でも、そのときも「なかったこと」にせず、ちゃんと向き合って直す。その姿勢そのものが、誠実さだと思っています。
給与や評価をよしなで決めない。 これは冷たい判断ではなく、長く一緒に働くための最低限のフェアさだと思っています。
ルールがあるから、安心して挑戦できる。 基準が見えるから、努力の方向を間違えずに済む。
そういう状態をつくることが、組織としての誠実さであり、文化を続けるための土台だと考えています。
誠実さがないワクワクは、長く続かない
誠実さは、その場を丸く収めるためのものではありません。
長く一緒に働くために、安心して判断できる状態を作ることだと思っています。
文化が続かない組織の多くは、ワクワクが足りないのではなく、よしなが多すぎる。
決めない、言わない、守らない。その小さな積み重ねが、信頼を静かに削っていきます。
誠実さがない状態でワクワクだけを演出すると、それは一時的な盛り上がりで終わります。
イベントは楽しい、言葉も前向き、スローガンも立派、壁に付箋もいっぱい。
でも、日常の判断が曖昧なままだと、いずれ現場との乖離が生まれる。その乖離に気づいた瞬間、人は一気に冷めていくと考えます。
2026年も、aciassが変えないこと
2026年も、aciassは特別なことをしようとは思っていません。
急に会社を大きく見せることもしないし、分かりやすい成果だけを追いかけることもしない。
ちゃんと決めること、ちゃんと伝えること、ちゃんと守ること。それを誰に対しても同じ温度で続ける。
その積み重ねが、「文化が続く会社」をつくると信じています。
誠実さは、制度やスローガンではありません。
日々の判断や会話の中で、無意識に選び続ける姿勢だと思っています。
よしなを手放すことは、冷たくなることではなく、人を信じるための前提条件だと思っています。
2026年も、私たちはこのスタンスを変えません。
よしなに頼らず、ルールを信じる。そのうえで、ワクワクを積み上げていく。
それがaciassの考える誠実さであり、これからも守り続けていきたい文化です。