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「みんなの思いをカタチに」を仕事にしよう①認知症のご夫婦との出会い、NHKを辞めるまで

100BLGのメンバーを紹介するインタビューです。今回は、100BLGのCFOの徳田雄人さんです。社会課題を解決したいと取り組んだNHKのディレクター時代、そして、そのために「みんなの思いをカタチにする」ことを仕事にし、100BLGを立ち上げるまでの経験について語ってもらいました。3回にわけてお伝えします。

認知症のご夫婦との出会い、NHKを辞めるまで

会社の名前ではなく、自分自身のキャリアを歩めるようになった理由

100BLGの今後の展望、必要な人材とは

2001年、東京大学を卒業後、新卒でNHKへ入局。2009年、NHKを退職して、認知症の課題解決を目指して活動を開始。会社やNPOなどを運営を経て、2019年に、仲間とともに、100BLGを立ち上げ、CFOに就任。

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どんな学生生活を送っていましたか

運動部に所属していたのですが、どちらかというとインドア派で、休み時間は図書館に行って本を読んでいる、そんな感じでした。本を読んだら、なんかこう・・・全然知らない世界があって。何かそういうのが好きで、結構ジャンル問わず、図書館中をくまなく歩いて、マニアックな分野の辞典とかを読んだりしていました。笑

大学に入ってからは、環境問題に興味があったので、環境サークルで活動していました。環境問題は、工学とか経済学のようなひとつの学問だけでは解決できない領域で、いろんな分野にまたがっています。複雑で解きにくい問題に取り組むことに魅力を感じていたのだと思います。

というのも、何か1つの流派をコツコツと極めるといったことが苦手で・・・。学問でも何かの専門分野でも、だんだん、長くいる人が偉いみたいな感じが出てきちゃって、素直に違うことが違うと言えなくなる感じが嫌いなんです。分野横断的なテーマだと、ひとつの考え方や手法では解けないので、権威がある人でも、素人でも土俵は同じというか。

医学の専門家でもないし、ケアの経験者でもないし、法律や制度の専門家でもないのに、いろんな分野の知見みたいなものを選んで組み合わせるところに面白さを感じているのかな。

今追いかけているテーマである認知症も同じような理由かもしれません。

NHKの取材を通して出会った認知症のご夫婦

卒業後の進路も、環境問題に取り組む仕事をしたいなと思っていました。問題のフレームについて提起するような仕事をしたいと思って、メディアの仕事を選びました。当時、NHKが学生向けにやっていた映像制作の研修みたいなのを受けたら、映像の力に魅せられてしまい、NHKを志望しました。

環境問題のことをやりたいと思って入ったのですが、配属されたのは、「生活ほっとモーニング」という朝の情報番組。料理や健康、詐欺被害、自殺など、ジャンルを問わずいろいろな番組を作ることに。そうした中で出会ったのが、若年認知症の方のご夫婦でした。他のディレクターの代打で取材を始めたこともあり、予備知識はほとんどありませんでした。取材を始めた当初、知り合いにも親戚にも認知症の人っていなかったんで、認知症のご本人とお話ができるのかとか、どんなことに気をつけたらよいんだろうかとか、疑問や不安でいっぱいでした。認知症に関する本をたくさん集めて一夜漬けで読んでみたり・・・

ところが、実際に取材でおうちにお邪魔してみると、そこには、ごく普通のご夫婦がいらっしゃって、お話もすることができましたし、ごく普通の暮らしがあったんです。妻が50歳の時に認知症と診断され、病院には定期的に通われていました。もちろん、生活の中では、物の位置がわからなくなったりとか、名前が出てこなかったり、約束を忘れてしまったりといった困りごとはあるのですが、生活上の工夫をされながら、日常を過ごされていました。認知症についていっぱい本を読んで、頭を知識でいっぱいで伺ったので、なんだか拍子抜けしてしまって。

自分の中に、何か思い込みがあったんですよね。認知症のことを正しく知らないと、会っちゃいけないんじゃないかとか、医療や福祉の勉強をした人だけが接してもいいというようなイメージですね。もちろん、誰かが、そうしてくださいと言っている訳ではないんですが、認知症をとりまく漠然とした雰囲気があるような気がするんです。自分は認知症なんですと言い出しにくい、認知症と診断されてから、周囲の反応が変わってしまった・・・実は、認知症の当事者が感じる暮らしづらさの多くは、僕らがなんとなく持っているこの雰囲気から生まれているのかもしれない。そんなことを感じたんですね。

番組を作る上では、多くの人が知りたいこと、期待することが重要な要素となるので、「薬がいつできるのか」「最新式のケアの方法」といったテーマを取り上げることが多くなります。漠然とした空気感によって、暮らしづらさが生まれているといったことは、なかなか取り上げづらいもので。当時の僕には、そうしたことを番組で取り上げる方法が見当たらなかったんです。

番組で取り上げるという方法以外で、何かその課題に取り組みたいなと思ったのが、NHKを辞める前後で考えていたことでした。

会社の中の自分と、本当の自分

わりとよくあるパターンだと思うんですけど、会社に就職したての頃は、組織の文化に違和感をもったり、取材や編集の当たり前のやり方に疑問を持ったりしているけれど、何年かして、仕事に慣れてきて、ある程度成果も出せるようになってくると、会社の中の自分こそが、アイデンティティになっていくという感じがあると思うんですよね。仕事を通じて自分のアイデンティティが形作られているので、それ以外の人生の選択肢が頭の中にないという感じですよね。今となっては全然そんなことはないということが分かっているのですが、当時は、それしかないという気持ちの中で葛藤がありましたね。

(当時はうまく言語化できていなかったですが)認知症をめぐる社会課題を解決したいという自分の気持ちと、それを番組という形に昇華できないもどかしさがあったように思います。いまはだいぶ改善されたようですが、昼夜を問わず働くというような労働スタイルもあいまって、ストレスも日増しに高くなっていきました。徐々に、会社の中の自分と、本当の自分が乖離していった感じですね。

あー、このままじゃいけないなあと思い、2009年にNHKをやめました。

(第二回に続く)

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