1
/
5

【インタビューシリーズ1】創業のルーツを振り返る:可能性にBETする

弊社初めてのストーリーは、株式会社エクレクトの創業者インタビューをお届けします。代表取締役の辻本が創業の経緯やエクレクトのこれから目指すべき組織について語りました。

パートナーと互いの人生にBETする


登場人物:株式会社エクレクト辻本 真大

2004年シャノンに新卒第一号として入社、日本初のSaaS/クラウド型マーケティングオートメーションシステムを開発/提供。導入コンサルティング部門を立ち上げ、マーケティングソリューションサービス部長などを歴任し、宮崎支社立ち上げのため宮崎支社長を経験。2015年マネーフォワード入社後、マーケティング、法人セールス・アライアンス部門責任者として従事。2017年12月にエクレクトを創業、代表取締役に就任。趣味はボルダリングとサウナ。

ーー共同創業したパートナーとの出会いについて

共同創業者の井口(いのくち)とは、新卒で入社した株式会社シャノンで知り合いました。当時私は入社3年目で25歳、井口は中途入社で24歳。私たちが出会った頃のシャノンは、まだ20名も従業員がいなかったと思います。もともと私は、1日でも早く一人前のビジネスパーソンになりたいと考えており、ベンチャーでの成長環境を求めて、シャノンの新卒第一号として入社しました。制度やルールが固まっていないカオスな中で、”どんなことでもやらないといけない状況“は、まさに、私が求めていた環境でした。

入社当初は、副社長のカバン持ちをして、テレアポや通帳記帳書類の整理など、なんでもやっていました。その姿勢からか、目にかけてもらっていたので、その期待に120%応えていくことを心がけました。昔から人がやらないことをやるのが、処世術だと思っていましたし、負け戦はしたくないので、人がやっていない領域で勝ちたいと考えていました。そんな中、お客様から案件を受注した後のシステム導入が営業活動の片手間で行われていることに気づき、お客様先へのシステム導入を専門に行う部門を2年目で立ち上げました。

井口も営業として入社したての頃はとても苦しんでいたようです。数字も上がっておらず、入社早々このままだとクビと宣告されていたのを覚えています(笑) でも面白いなと思ったのが、それからまもなくして営業部門を構造改革することになったんですけど、数いる営業の中で、会社に残ったのは、当時の営業部長以外は井口だけでした。後から聞いたのですが、井口も営業部長の雑用や苦手なことを必死にやって活路を探っていたようです。だから営業部長も井口を手放したくなかったんだとわかりました。私とちょっと似てますね(笑)その当時、私はお話ししたシステム導入部門の部長をしていました。井口がメキメキ成果を出すようになった頃からは、一緒に仕事を行うことが必然と増えてきました。

私と井口は、リスクをとって成長を求めるベンチャー志向など、似ている部分はありながらも得意な領域や性格の違いが刺激になり、仕事を通して信頼関係が出来て密にコミュニケーションをとっていました。2008年くらいに「一緒になにかやりたいよね」と話していたら、たまたまビジネスコンテスト(優勝したら起業支援1億円)の情報を見つけました。そこで井口が事業計画を書いて、私がプレゼンをするというコラボレーションで出場したところ、数ある企画の中から予選を突破しファイナリストとして上海に招待されることになりました。実はこのときの事業計画のコンセプトが「今後、世の中に優れたSaaSが増えていくから、それを顧客の課題に合わせてマッシュアップするSaaSインテグレーター」という内容だったんですね。まさに、今の弊社がやっているビジネスです。

当時、私達は自社でSaaSプロダクトを作るベンダーとして営業や 導入をしていましたが、自社だけでは解決できない様々な課題を感じていました。顧客のためになるSaaSの提案をするには、ゼロから何でもできるスクラッチの製品ではないので、顧客の課題に沿って自社プロダクトだけでなく、さまざまな製品やサービスを組み合わせて提案できる能力が求められます。また、ROIを高めるためには組み合わせた製品やサービスを実際のお客さまのビジネスに沿って稼働させ、成果を出す実装能力、運用能力が求められます。しかし、特定製品の営業かつ実装ビジネスでは、そのような提案やサービスを行うことは難しい。そのことは私達がよく話していたことでした。

余談ですが、そのビジネスコンテストでは「複数SaaSを理解して提案/インテグレーションする優秀な人が数多くいないと成り立たないビジネスは拡大しない。」と、人材要件の高さがボトルネックになるとフィードバックを受け、優勝できませんでした。時代としても早過ぎたのかもしれません。当時、まさか10年後に同じビジネスモデルで起業することになるとは、私も井口も思っていませんでした。

そして私は、このビジネスコンテストの熱もあり、そのまま退職しました(笑)


ーーその後、起業されたのですか?

私は退職しましたが、井口はそのまま営業部長としてシャノンに残りましたので、結局一緒にビジネスは始めてないですね。まぁ時期尚早なところもありましたし、私の退職理由の一つとしてもっと小さいベンチャーで「新規ビジネス立ち上げを一緒にやろう」と誘われたからというのがありました。ただ、誘ってくれた人は入社前に突然音信不通になったんですよね。とても悲しかったと同時に、このようなことがあるんだと学習になりました。

私が退職して少し日が経った頃、毎日のように井口から電話が掛かってくるようになりました。「やっぱり一緒に仕事したいから頼むから戻ってきてくれ。事業を伸ばすには力が必要だ。」と。もちろん、一度辞めて別の道を選んだわけですからプライドがあります。しかし、転職先では誘ってくれた人はいないし、信頼できて一緒に仕事をしたいと思える人が見つからなかったこともあり、自分のプライドよりも井口の信頼に応えたいという気持ちが日増しに膨らんできました。最終的には頭を下げてシャノンに出戻りすることにしました。そして、私は井口の部下のイチ営業として業務を再スタートしました。

役職も格下だった後輩の部下になって、気まずさや恥ずかしさがなかったのか、他人の目が気にならなかったのか?と思われるかもしれません。これが、不思議となかったんですね。井口となら一緒にやれるし、上下なんて関係ない。求められたらその思いに応えるだけ。やるべきことに応じた役割分担をしている、それだけのことだと思っていました。成し遂げたいことや自分の信じるものの前で、他人の目は気にならないし、プライドはいらない。井口とは、このタイミングで本当のビジネスパートナーになれた気がしますし、背中を預けるということを学びました。それから、共に組織づくり、ビジネス拡大に邁進していきました。

その後、お互い、シャノンを退職し別々の道を歩んでいたのですが、とあるベンチャーの副社長になった井口から、いきなり「一緒にビジネスをやらないか?」と連絡がきました。当時、私は上場前のマネーフォワードで要職に就いていましたが、新しいチャレンジを求めていたこともあり、この誘いに関してもYESと応え、自己資金1,000万程度を投資し参画しました。しかし、入社3ヶ月くらいでこの会社はうまくいかないと私は感じました。事業そのものは今から作っていけばいいので、そこが問題では有りません。ベンチャーとして10名に満たない程度の組織にもかかわらず「信頼して背中を預け合う」ということが組織として出来ていなかったからです。不確実で変化が大きい現代社会において、事業を新しく立ち上げることは、想定通りに行かないことの繰り返しです。そんな中でも、仲間同士が相互に信頼し、愛情を伝え合うことで、逆風を乗り越えていくことがベンチャーの醍醐味であり、成長できる理由だと考えています。半年が過ぎた頃、井口にこのままだと続けられないということを伝えて緩やかにフェードアウトすることを考えていました。とにかく組織の問題でビジネスに未来が見えなかった。その翌月くらいに井口も意を決したのか、このままだとうまく行かないからもう一度ゼロからやらないか、私達が思い描く組織をゼロから作らないか?と、三回目の誘いがありました。

だいぶ大変な思いをしましたし、流石に即答しませんでしたが、今回の失敗は何が原因なのか?を冷静に考えました。様々な要因はあるものの、一番は組織全体の意思統一がなされていない、信頼関係が構築出来ていないことだと。であれば自分たちでゼロから信頼関係をベースにした環境をつくれば、チャンスは巡ってくるのではないかと思いました。それに、私と井口が二人で力を合わせるなら、少なくとも自分たちとその周りの仲間が死なないように食っていくことは絶対できるという自信がありました。やらない後悔よりやった後悔を選びたい。ビジネスコンテスト後にすぐ起業しなかったのも、私一人ではできることではないと思っていたからですし、そもそも一人でやりたいわけじゃない。本当に信頼できる相手とチームとして、組織としての成長にチャレンジしたかったんです。振り返るとビジネスモデル云々よりも、そのチーム作り自体がプライオリティ高い目的だったんだと思います。それに私としては、井口もまだまだ本領発揮できておらず、才能が勿体ないって思ってましたしね(笑)

その後、二人で神戸にあるホテルのBARに行って未来の話をしました。そして、ゼロから一緒にもう一度やるか!と決断しました。そこからは早かったです。もうその場で、会社名候補を20〜30だしたのですが、すぐに候補は今の会社名に絞られました。eclecticを語源とした「eclect」です。eclecticとは、様々な既存のアイデアや思想、考え方から良いところを組み合わせてより良いものを生み出そうというような意味合いの言葉です。私達の考え方や時代にも沿っているし、これしかないと思いました。

そして、すぐにWEBサービスを使って会社設立の登記を進めていったのですが、そのサービスは1名しか代表を記載できなくて井口と相談したら、ここは辻本が代表になったほうが戦略的に勝てると思うと…(笑)ということで私が代表になって会社を立ち上げたのです。

ヒトの可能性/成長に対してBETする

ーー創業を決めた時に重要視していたことは

先程、創業経緯の話で、ビジネスモデル云々よりも、チーム作り自体がプライオリティ高い目的だったと話しましたが、今の時代に沿った組織、良いチーム作りがしたかったし、できると思っていました。そこが重要だったのは間違いない。だからといって、ビジネスが後付だったかと言うとそういうわけではなく、コンセプトは当初からしっかりありました。世の中には良いサービスはたくさんある。サービスが足りていないのではなくて、そのサービスを使いこなすことができていないのが課題。だから、私達が本当に良いと思うものを組み合わせてイネーブルメントするというものです。ビジネスと組織、この2つは別軸で話していたことではありません。私達は社会人になってずっとクラウドやSaaSの先端ソフトウェアを扱ってきて、その業界の成長とともに自分自身が成長してきたから言えるのですが、こういったソフトウェアを課題解決の手段として自由に扱える能力や、そのソリューションが生まれた背景や思想、世界観、カルチャーを理解することこそ、このVUCA時代の教育機会として非常に優れたものになると考えています。エクレクトのビジネスモデル自体が、優れた教育機会となって組織と人を育てる。組織と人が育つとビジネスが成長する。その循環がうまく回るようなマネジメントモデルを作っていきたいと考えました。これが、10年前にビジネスコンテストでフィードバックを受けた、人材要件が高いのではないか?ということに対しての私達の答えかもしれません。

ただ、そのモデルを作ることが簡単ではないことも知っています。起業した頃は皆が新しいサービスや価値観を面白がって、目の前の課題やお客様に対峙して切磋琢磨しながら成長していくのに、組織が大きくなるにつれて制度や組織形態や上下関係、管理にがんじがらめになっていきどんどんエネルギーが内向きになっていく。結果、人も組織もビジネスも成長が鈍化してしまう、そういう姿をしばしば見てきました。

目先の管理のしやすさやコスト構造を意識するがゆえに、もっと大事な未来を後回しにしてしまう。旧来の製造業型のマネジメント戦略としては正しいのかもしれないですが、今の時代にそのやり方が正しいのか?井口とずっと話していたのは、コストサイドの管理強化ではなく、ヒトの持つ可能性に対してフォーカスしてアップサイドを伸ばしていく方が絶対に全員幸せになるだろうということでした。今の時代、情報やテクノロジーがこれだけ遍在している。それらを自由に使いこなし、多様なステイクホルダーとコミュニケーションしながら社会課題を解決できる人材は、決められた仕事しかできない人材と比較したらどれくらい生産性が違うのでしょうか。仕事に対しての面白さや自由度、やりがいも全然変わってくると思います。

そう思うきっかけになったのは、シャノン時代に支社長として宮崎支社を立ち上げた経験です。私自身、神奈川育ちで東京の会社で働いていたので地方のことは実際自分の目で見てみないと分からなかったのですが、この経験を通して地方や人の可能性を信じることができたので本当に良かったと思っています。宮崎ではIT業界未経験の地元の人材を採用して、先端サービスをお客様に導入、サポートしたりする業務チームを作りました。特別なプログラムを用意したわけでないのですが、適切なOJTをすることで皆ぐんぐん成長していきました。適切な環境、本人の素直さやモチベーションがあれば、人は1年もあれば大きく変われるんだとその時に学ぶことができました。成長できるビジネスと成長できる組織環境を用意できたら、ITビジネスの東京一極集中という問題を解決出来て地方から活躍できる場が創れるという自信に繋がりました。

こういった原体験をもとにして立ち上げたのがエクレクトであり、組織運営ではこれまで考えていたことを色々反映させたチャレンジを日々行っています。

過去の当たり前にすがるのではなく、未来の当たり前にBETしたい

ーーどういう組織を創りたいと思っているか

これまで話したように、今の時代背景に沿って人が成長し幸せになれる環境や組織を作っていきたいと思っています。丁度、弊社が創業してすぐにティール組織という本が翻訳出版されて話題になりました。我々もその次世代型組織モデルには魅せられました。セルフマネジメント、ホールネス、ミッションドリブンであることを大事にして一人ひとりがフラットに繋がり合う自律分散型の組織。このように有りたいと思いました。実際に組織図もなくMTGは極力しない、給与は自分の申告制で働く時間も場所も自由など様々な取り組みを重ねました。現在、従業員が100名を超えますが未だ評価制度も無いです。

そのすべてが上手くいっているとは全く思ってはいないです。テーマによっては、社内からの批判も上がってきています。だからといって、簡単に旧来型の制度やフレームワークを借りてきてそれを当てはめようとは思っていません。過去、当たり前とされていたやり方は過去の現実を反映したものであり、未来の現実を反映したやり方は自分たちで見出してリスクを取って試していくしかないと思っています。そう考えると、エクレクトらしい人や組織の在り方については創業以来アジャイルに様々なチャレンジやPoCを繰り返しながら今に至っていて、未だPMFを達成していない。まだまだこれから!というような意識でいます。

ーー未来の当たり前の働き方とは

私達は、様々な垣根がなくなっていく現代社会において、働くことと生活もより密接に繋がり合っていっていると感じています。一人ひとりの生活が充実するなら、そのエネルギーや覚えたことは働くことにおいてもすごくポジティブな影響があり、成果につながるはずだと考えています。だから、組織経営としても働くことだけに焦点を当てて考えるのではなく、如何にして一人ひとりの生活をその人の家族含めて豊かにしていくか、それに組織が貢献できるかを考えて実践したいと考えています。

ここまでテクノロジーが発達したおかげで、我々は24時間ビジネスと繋がっていますし、消費や消化しきれない膨大な情報がどんどん生み出されています。仕事のために仕事をしていくと本当にキリがなく、経済面やポジションとしては得られるものがあるかもしれないけど、同時に生活においては損なうものがあります。逆に、仕事を労働と割り切ってしまうと二極化も進み、デジタル化も進む社会の中で豊かな生活を送ること自体が難しくなってしまう。そういった、二律背反でない新しい暮らし方があるのではないかと思っています。

新しい働き方/チャレンジに必要なのは、時代に応じた価値観を共有し成長を遂げることができる環境や組織、仲間が存在することです。組織に属するということは、その組織における価値観や考え方、カルチャーを理解し受け入れて日々の業務や行動、意思決定をしていくということです。そうしないと、組織として成果を出したり周りのメンバーとうまくやるのが難しくなります。我々は、リスクを負っても新しい働き方や生き方、変化を求める人が居心地良いと思える環境を作っていきたいと思っています。仕事と生活を切り分けるというよりは、生活の中に仕事が自然と存在している。エクレクトというコミュニティの中に属して仲間と繋がり合い、理解を深めていくことが社会的欲求を満たし、かつ仕事としての結果につながり社会貢献できるような世界観です。

今や、バーチャルとフィジカルな世界を自由に行き来しながら、日常と非日常を混在させ、環境面で優れたローカル(地方都市)のメリットを享受しながらもグローバルの最先端サービスを使いこなして生きていくことが当たり前にできる社会になりました。エクレクトは、そういったニュースタンダードを当然として、様々な価値観を選び取りながらよりいいものを創り上げていくようなコミュニティ/居場所でありたいと思っていますし、このような価値観/世界観に賛同いただける方と、一緒に未来の当たり前を作り上げていきたいと思っています。

株式会社エクレクトでは一緒に働く仲間を募集しています
32 いいね!
32 いいね!
同じタグの記事
今週のランキング