【代表対談】「月収100万円の大学生」も続々誕生。日本でいちばん"仕事にわくわくできる会社"の創業秘話 | SI株式会社
2022年10月、SI株式会社は「自分の人生をわくわく生きる人を増やす」ために生まれました。SNSの運用代行から事業をはじめ、現在はLIVEクリエイターのマネジメントにまで事業領域を拡大し、SN...
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こんにちは!
SNSマーケティング支援とクリエイタープロダクション事業を展開するSI株式会社です。
弊社代表・片岡憲哉が語る、SIに込めた想いと目指す未来。全3回にわたる連載で、弊社代表・片岡憲哉の言葉をじっくりお届けします。
第1回のテーマは「原点」。ひとりの少年が、ある日、人生を書き換えられたその物語を、聞かせてもらいました。
八尾、僕が育った場所
「学生のうちに、遊んどけよ」
消去法の人生
母が、倒れた
「こんな大人が、いるのか」
ワクワクは、楽ではない
もっと早く、知っていれば
だから、SIを作った
—— まずは、憲哉さんの幼少期について教えてください。
大阪の八尾という街で、僕は生まれ育ちました。
大阪の中でも、わりと閉鎖的な土地で、外の世界に興味を持つ人が少ない。いわゆる「田舎あるある」な場所です。
家も、お世辞にも裕福とは言えなくて。父は地元の中小企業で、定年まで勤めて年収は400万円に届かないくらい。母は高卒で、介護の現場で働いていて、住んでいたのは、築100年を超えるおんぼろの一軒家でした。
中学に上がる頃には、両親が離れることになり、僕と弟は母についていくことに。母子家庭になってからの暮らしは、それまで以上に厳しくなっていきましたね。
生活そのものに困ることはなかったんですが、海外旅行に行ったことは一度もないし、外食もほとんどしない。家族旅行らしい旅行をした記憶も、ほぼない。 そういう家で育ちました。
—— 幼少期、憲哉さんは『働く』ということをどう捉えていましたか?
正直に言えば、「大人になりたくない」と、ずっと思っていました。
というのも、周りの大人たちが僕にかける言葉は、いつも決まっていたんです。
「学生のうちに、遊んどけよ」。
両親も、親戚のおじさんも、 口を揃えてそう繰り返す。その言葉を浴び続けるうちに、「仕事は、しんどいもの」 「社会人になることは、苦しみに耐えること」という考えが、少しずつ、芽生えていきました。
電車の中で、死んだ目でスマホをいじるサラリーマン。疲れ切った顔で家に帰ってくる父。目の前にあった光景のすべてが、僕の中に「働く」のイメージを刷り込んでいったんです。「できることなら、大人になんてなりたくない」。子どもながらに、ずっとそう思っていました。
—— そんな考えの中で、憲哉さんはどんなふうに進路を選んでいったんですか?
正直に言えば、僕の人生は、ずっと消去法でした。
大学を選んだときも、明確な夢があったわけじゃありません。
お金がないから、学費の安い国立大学に行くしかない。学びたい学問もとくになかったので、大好きだったバスケが関西で一番強かった神戸大学を選びました。それだけの理由です。
周りの友達も、似たようなものでした。
「将来こうなりたい」と語れる人はほとんどいない。苦労したくないからいい大学に行く、就活で楽したいから勉強する、まだ社会人になりたくないから大学院に行く。そんな将来から目を逸らした人たちが、僕の周りには集まっていました。
夢がない自分を、心のどこかで恥ずかしく思っていた。だからこそ、考えること自体をやめていた。「国立大学に行って、体育会のバスケ部で頑張っている。それで、いいだろう」と、自分に言い聞かせていました。
—— そこから、憲哉さんの人生はどう変わっていったんでしょうか?
こんな僕の人生を大きく変えたのは、母が過労で倒れたことでした。
しばらく、母が働けない状態が続きました。よりによってそのタイミングで、弟の受験期が重なっていて。弟には国立大学に進むだけの学力がなく、私立の受験が必要だったんですよね。
想定以上の、お金がかかる。僕がなんとかするしか、なかったんです。
大好きだったバスケ部を、泣く泣く辞めました。そしてお金を稼ぐために、ひとつの営業会社に飛び込むことになるんです。
その会社は、「若者のロールモデルを創出する」という理念を掲げていて、大人はたった3人しかいない。学生が中心になって、事業のすべてを回している、完全成果報酬型の組織でした。
母が倒れたから。弟の受験費用を、なんとかしないといけないから。そんな切実な事情で飛び込んだ世界がのちに、僕の人生そのものを書き換えることになるとは、思ってもいませんでした。
—— そのインターンで、何が憲哉さんの人生を変えたのでしょうか。
そこで働く、大学生の先輩たちを見た瞬間です。
僕のなかにあった「仕事」のイメージが、180度ひっくり返りました。
先輩たちは皆、自分の目標や未来に「ワクワク」しているんです。「早く社会人になりたい」「早く社会に出て、活躍したい」と口にしながら、まだ大学生のはずなのに、本気で仕事に向き合っている。
熱を持ってワクワク働く人たちのなかに身を置いて、毎日を過ごしているうちに、ひとつの確信が芽生えていきました。
「仕事って、こんなにワクワクできるものなんだ」。
自分も、少しずつ前向きになっていきました。成果も出るようになっていく。そして、仕事を楽しめたこと自体が、自分の成長やこれから先の可能性を、どんどん広げてくれたんです。
それまでの僕は、「大学生は人生の夏休み」だと思っていました。それが終われば、あとはただ、生きていくために嫌々働くだけ。
平日は息を殺して耐えて、土日にやっと息継ぎをして、「早く平日が終わってほしい」と願いながら一生を過ごしていく。そんな未来像を、漠然と抱えていた。
でも、気づいたときには、早く社会に出たいと自然に思える自分に変わっていました。将来に不安しかなかったあの僕が、未来をポジティブに捉えられるようになっていた。
人生の見え方そのものが、根っこから書き換わった瞬間でした。
—— 憲哉さんの言う「ワクワク」って、どういうものなんですか?
誤解してほしくないのですが、 僕の言う「ワクワク」は、「好きなことをする」という意味では、 まったくないんですよね。
一時期、「好きなことをして生きていく」というキャッチコピーが流行りましたよね。僕が言う「ワクワク」は、そういうことではないんです。
僕が言う「ワクワク」は、何をするかで決まるものじゃなく、心理学でいう「フロー状態」に入っていること。 これに尽きるんです。
思い出してほしい光景があります。部活で、限界まで追い込んだ練習をやり切った、あの瞬間の充実感。試合のなかで、本気で勝ちにいって、時間を忘れて夢中になっていた、あの瞬間。
決して、楽しいだけではなかったはずです。むしろ、しんどかった。それでも、振り返れば人生でいちばん充実していた時間のひとつだった、と感じる人は多いんじゃないでしょうか。
これは、心理学の世界ではよく知られた現象です。「フロー」と呼ばれます。提唱したのは、アメリカの心理学者・ミハイ・チクセントミハイ。彼は、長年の研究の末に、こう結論づけました。
“人が最も深い充実感と幸福を得るのは、自分のスキルが、ギリギリ届くか届かないかの「本気の挑戦」をしているときだ。”
簡単すぎる課題には、人は退屈する。難しすぎる課題には、不安になる。けれど、自分の力をすべて出し切らないと届かない挑戦に本気で向き合っているとき、人は時を忘れて没頭し、最大の充実感を得る。スポーツでも、仕事でも、それは同じだと証明されています。
僕が長期インターンで体感したのも、まさにそれでした。完全成果報酬の世界で、毎日数字と向き合い、何度も挫折し、悔しさを噛み締める。決して、楽な世界ではありません。
それでも、本気で挑戦したからこそ、本気で楽しかった。自分の限界を超えた、あの瞬間。仲間と高め合いながら、昨日の自分より一歩前へ進めた、あの瞬間。それは、まさにフロー体験そのものでした。
なりたい姿に向けて、本気で挑戦する厳しさ。そして、それを乗り越えた先にある、本物の充実感。それが、僕がSIで大切にしたい「ワクワク」の、本当の意味です。
—— そこからどうやって、今の憲哉さんへと繋がっていくんでしょうか?
強い感情が、僕の中に立ち上がったんです。「もっと早く知りたかった」と。
早く知っていれば、自分のキャリアをもっと能動的に選べたはず。 可能性も、もっと広がっていたはず。そう思ったんですよね。
僕が「ワクワク」に出会えたのは、たまたま母が倒れて、必死に働く環境に身を置いたから。そういう偶然がいくつも重なって、なんとか今の自分にたどり着けたに過ぎないんです。
今でも人生に苦労していたり、将来にワクワクできず、ただ毎日を、死んだような目で繰り返している人がたくさんいる。この状況をどうにかしたい。心の底から、そう思うようになっていったんです。
そこから、「仕事はワクワクするもの」だと、どうすればもっと早く気づけるのかを、一人で考え続けたんです。そして出た答えが、身近にいる大人の存在でした。
僕がそれまで見てきた大人たちは、電車の中で死んだ目をしてスマホをいじり、ただ義務のように仕事をこなして生きていく、そんな姿ばかりだったんです。
でも、もし周りの大人たちが、仕事や将来にワクワクして、目を輝かせて生きていたとしたら。学生時代の僕は、きっとこう思えたはずなんですよね。「あれ、社会人のほうが楽しいのかな」「早く、仕事をしてみたいな」って。
そういう人を、なくしたい。 まず、ワクワクして働く大人を、増やす。これこそが、僕の使命だと確信したんです。
その先に、見ている景色があります。
ワクワクしながら働く大人たちが、その姿を、次の世代に伝えていく。その背中を見た子どもたちが、自分の将来にワクワクしながらキャリアを選び、誰もが未来に期待を抱ける。そんな世の中が訪れたら、すごく素敵じゃないですか。
僕は、その未来を、本気で作りたいと思ったんです。 ひとりのワクワクが、次の誰かのワクワクを生む。それが連鎖して、社会全体に広がっていく。これが、僕がSIに込めた、ひとつの願いなんです。
—— そうして、SIができたんですね。
僕が自分の将来にワクワクできるようになったのは、大学生のとき、ワクワク働く人たちに出会えたからでした。
あの環境で、社会に出てから成果を残せる「再現性」も、活躍できる「スキル」も、本気で仕事に取り組める「裁量」も、すべて手にすることができた。だからこそ、今も走り続けられているんです。
当時、同じ環境で本気で働いていた仲間たちも、今、みんな仕事や自分の将来にワクワクしながら、充実した人生を歩んでいます。
あのとき僕を変えてくれた環境を、今度は、僕が作る。
「日本一ワクワクできる会社を作る」。
その想いで僕は、SI株式会社を立ち上げました。
「大人になりたくない」と思っていた少年が、ある日、ワクワクして働く大人たちに出会い、人生が180度変わった。
その経験を自分だけのものにせず、次の世代へと渡していく。
それが、 SIを立ち上げた憲哉さんの原点です。
では、憲哉さんが描く「ワクワクが連鎖する社会」とは、具体的にどんな未来なのか。
なぜ、それを今、日本で実現する必要があるのか。
次の記事で、その答えをお届けします!
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【代表インタビューVol.2】「100人に6人」しか、日本人は仕事にワクワクできていない(近日公開)
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