前回のインタビューで、代表の辻はNANICAが考える「成長」について語りました。
一時的に成果を出すことではなく、自分自身が変化し、環境が変わっても結果を生み出せるようになること。
そして仕事で身につけた力が、その人の人生そのものを豊かにしていくこと。
だからこそ、NANICAは一人ひとりの成長に向き合っています。
では、そもそも会社は、社員の人生にどこまで関わるべきなのでしょうか。
以前の社員との対談で、辻は採用についてこんな言葉を口にしました。
「この人の人生を背負いました、で採用する。」
もちろん、会社が一人の人生すべてを背負うことはできません。
それでもなぜ、あえて「人生を背負う」という言葉を使うのか。
今回は、NANICAが考える**「人を採用することへの責任」**について聞きました。
幹部になってから大切になるのではない。入社した瞬間から大切な存在
インタビュアー:
以前の対談で、採用について「この人の人生を背負いました、でスタートする」という話がありました。
かなり大きな責任を伴う考え方だと思うんですが、なぜそこまで採用した人に向き合うんでしょうか?
辻:
僕は、新人の時が一番「宝」だと思っているんですよね。
そこから幹部になっていく可能性もあるわけじゃないですか。
幹部になった人を大切にするというより、そこまでの能力がまだ足りていない状態から、できるようにしていくことに価値があると思っています。
会社に大きな成果をもたらしたから、大切な人になる。
役職がついたから、経営者と近い存在になる。
NANICAでは、そう考えているわけではありません。
まだ何者でもない時から、その人の可能性を見る。
そして採用した以上は、その可能性をどう伸ばしていくのかを会社も一緒に考える。
辻にとって、採用は単に「必要な人員を確保すること」ではありません。
一人の人と、ここから一緒に時間を使っていくことを決める行為でもあります。
「人生を背負う」と「人生を決める」は違う
ただ、「人生を背負う」という言葉だけを聞けば、少し重く感じる人もいるかもしれません。
会社が社員の人生すべてに責任を持つことはできない。
そして、持つべきでもない。
では、NANICAはどこに線を引いているのでしょうか。
インタビュアー:
会社として背負えるところと、本人が背負わなければいけないところ。その責任の境界はありますか?
辻:
自分の意思の部分ですね。
前に進む意思だったり、変わっていく意思だったり、成長していく意思。
そこは本人の責任だと思っています。
その意思がなければ、こちらが責任を持ったとしても引き上げることはできないので。
会社が代わりに、
「あなたはこう生きなさい」
と決めることはできません。
何を目指すのか。
どうなりたいのか。
変わりたいと思うのか。
最後にその意思を持つのは本人です。
一方で、その意思を持っている人に対して、必要な環境や経験を用意することは会社にできる。
課題を一緒に整理する。
必要なことを伝える。
失敗すれば、次にどうするのかを考える。
成長するための機会をつくる。
NANICAが考える「人生を背負う」とは、本人の人生を代わりに決めることではなく、
本人が選んだ人生に向かって進もうとする時に、会社も無関係ではいないこと。
その考え方に近いのかもしれません。
「本人次第」で終わらせない
とはいえ、人はいつでも明確な意思を持って前へ進めるわけではありません。
迷うこともあります。
自信を失うこともあります。
何をしたいのか分からなくなることもあります。
だから辻は、「意思は本人の責任」と言いながら、それだけで人を切り離すわけではありません。
辻:
放っておいて良くなるんだったら、もう勝手に良くなっていると思うんですよね。
そうならないから、関わる必要があると思っています。
「成長したい人だけついてくればいい」
そう考えれば、会社としてはもっと簡単なのかもしれません。
けれど、今はまだ前を向けていない人でも、何かをきっかけに変わる可能性はある。
だから、簡単には放っておかない。
もちろん、すべてを会社が解決できるわけではありません。
それでも、
「本人の問題だから」
という言葉だけで終わらせる前に、会社としてできることはなかったのかを考える。
そこにNANICAらしさがあります。
会社と本人の方向が違った時も、まず「合わせられないか」を考える
働いていれば、会社が目指している方向と、本人が望んでいる方向がズレることもあります。
その時、会社にはいくつかの選択肢があります。
会社に合わせてもらう。
合わないなら別の道を選んでもらう。
けれど辻は、その二択にする前に、まず双方が重なる場所を探します。
インタビューでは、会社と本人それぞれにとって意味のある状態になるよう話し合い、双方の「WIN」が一致するところを探していると語りました。
会社には会社の目標があります。
本人には本人の人生があります。
どちらか一方だけを優先し続けることはできません。
だからこそ、
「会社が目指していること」と「本人が目指していること」を、どうすれば同じ方向へ持っていけるのか。
そこを考える。
NANICAにおける「向き合う」とは、何でも本人に合わせることでも、会社の考えを押しつけることでもありません。
双方にとって意味のある関係をつくろうとすることです。
人が離れた時、見るのは「誰が悪かったか」ではない
それでも、人が会社を離れることはあります。
本人側の事情が大きいケースも当然あります。
そんな時でも、辻はまず会社側に改善できることがなかったかを考えると言います。
インタビュアー:
以前の対談でも、人が辞めた時に「自分たちに何が足りなかったんだろう」と考えるという話がありました。
本人側の理由もある中で、それでも自分たちに矢印を向けるのはなぜですか?
辻:
意味のある振り返りだと思っているからですね。
次に活かせる振り返りだから。
それ以外は、極端に言えばあまり意味がないと思っているのかもしれません。
誰が悪かったのかを決めても、次の採用や育成は良くなりません。
しかし、
「会社として何ができたのか」
「採用の段階で確認できることはなかったのか」
「育成方法を変えられなかったのか」
と考えれば、次に活かすことができます。
自分たちを責めるための振り返りではありません。
次の一人に、同じことを繰り返さないための振り返り。
だから、会社側に変えられることを探します。
人は、会社にとって「コスト」ではなく「これからを創る人」
なぜ、そこまで人に時間を使うのか。
インタビューを続けていく中で、辻からとてもシンプルな言葉が出てきました。
辻:
結局、「人って宝だよな」というところから来ていると思います。
生き方として見てもそうですし、ビジネスとして見ても、人は宝だと思っています。
会社は、人がいなければ続きません。
サービスをつくるのも人。
お客様と向き合うのも人。
後輩を育てるのも人。
そして、次のNANICAをつくるのも人です。
だから、すでに完成している人だけを集めるのではなく、これから成長していく人に時間を使う。
新人を「まだ何もできない人」と見るのではなく、
「これから会社を創るかもしれない人」
として見る。
そこには、NANICAが採用と育成を分けて考えない理由があります。
採用は、「入社してもらうこと」で終わらない
採用活動では、ときに「何人採用できたか」が成果として語られます。
もちろん、会社にとって採用人数は大切な数字です。
でも、NANICAにとって採用は、入社承諾をもらった瞬間に終わるものではありません。
むしろ、そこから始まります。
採用した人が、
できなかったことをできるようになる。
自分の意思で次の目標を決められるようになる。
いつか後輩を育てる側になる。
そして、会社そのものをつくる側になっていく。
そこまでの可能性を含めて、人を迎える。
だから辻は、採用を
「この人の人生を背負いました、でスタートする」
と表現します。
それは、会社がその人の人生を支配するという意味ではありません。
本人にしか持てない意思があり、本人にしか選べない人生がある。
その前提に立ったうえで、
採用した以上、会社にもできることがある。
そう考えること。
NANICAが人を採用する時に持っている「責任」は、そこにあります。
そして、その人たちが成長した先で、NANICA自身も変わっていく。
では、NANICAが掲げる**「創る側であること」**とは、具体的にどういうことなのでしょうか。
役職がなければ、会社を創る側にはなれないのか。
新人でも、会社に影響を与えることはできるのか。
そして今、NANICAは何を「創っている途中」なのか。
次回は、辻が考える「創る側であること」と、これからのNANICAについて掘り下げます。