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【サツドラヒストリー】―11~20年目―

※ こちらの記事はサツドラHD公式noteより転載したものとなります。

サツドラHD公式note
本ページにお越しいただきありがとうございます! サツドラHD公式note編集部です。 この記事では、既にこのnoteを読んで頂いている方にも、はじめましての方にも、サツドラHD公式noteで発信している情報をご案内いたします。 はじめにこのサツドラHD公式noteでは、 サツドラホールディングスグループのヒト・モノ・コトについてと、 そこに込められた想いについてお届けしています。 ...
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みなさんこんにちは!サツドラHD公式note編集部です。

サツドラの50年の歩みを振り返る「サツドラヒストリー」。
前回は創業から10年目(1972年~1981年)までをお届けしました。


今回は11~20年目(1982~1991年)を振り返っていただいたインタビューの内容をお届けします!

従業員みんなで目標に向かう

―創業10年目の1982年には8店舗まで増え、1店舗の薬屋さんから少しずつ事業も拡大してきましたね。

富山光惠副会長(以下副会長):
そうですね、店舗数が増え、働く従業員数も少しずつ増えていきました。
そこで、従業員みんなでよい数字を作るぞ!という想いから、1986年に「異常値作戦」という企画を社内で行いました。

―異常値作戦!初めて聞きました・・・!どうしてこの異常値作成の企画を行おうと思ったのでしょうか。

副会長:
今までのような普通の日常を過ごしていたら山を越えられない、良い数字を作り上げていくことができないと感じていたんです。
そこで、従業員の皆さんにとって自分の限界がどれだけなのか、どれだけがんばったら山を越えることができるのかを、従業員一丸となってみんなで挑戦出来ないかと感じ、企画を考えたんです。

登山は一つの山を越えると次の山を越えやすくなりますよね。それと一緒で、まず一つ目の山を越えるために、大きな数字目標を立てて、みんなで限界を超えて良い数字を作り出すぞ!という意気込みで企画が始まりました。

富山睦浩会長(以下会長):
この異常値作戦を土台にして、1987年7月に「大創業祭 ~讃々祭(サンサンフェア)~」をスタートしました。
本来は12月が創業した月なのですが、冬で雪があると店舗の前に商品を出したり、など大々的にPRができない季節で・・・
そのため、天候の荒れも少なく、お客さまが多く出歩く夏の時期に、大きなイベントをやろうと思い、7月に設定しました。

決起大会には従業員だけに限らず、お世話になっているメーカーさんや問屋さんにも来ていただいて、みんなで「エイエイオー!」と掛け声を挙げて、大創業祭の決起を行いました。

決起大会の様子

従業員もメーカー様も、みんなで円陣を組んで士気を高めました!

副会長:
皆が頑張って叩き出した数字が燦燦と輝く「サンサン」と、133パーセントの「33」と、みんなで頑張りを褒めたたえる「讃美」の「サン」をかけて、
「讃々祭(サンサンフェア)」と名付けました。
昨年自分達の作った高い数字に33パーセントをのせる。そこからスタートしよう!と高い目標を掲げました。
この大創業祭を毎年行うことで、みんなここにかけて頑張るわけですよ。
決起大会もやるし、メーカーさんも一緒になって頑張って貰って数字がどんどん伸びていきましたね。

数字だけじゃなく、どれだけ地域の方に喜んでもらえるか、従業員を巻き込んで色んなアイディアを出し、抽選会や、手作りPOPやポスターでにぎやかに行いました。

旧手稲店

旧くすりのロイヤル五晃

―大創業祭は新型コロナウイルスの影響により中止した年もありましたが、現在も継続して行っており、約34年間続いているサツドラに無くてはならないイベントになりました。
今後もみんなで手を取り合って一つの目標に向けて頑張る、大創業祭を継続して行っていきたいと感じました!

札幌市北区に本社を落成

そして大創業祭が始まった翌年の1988年に、本社移転で札幌市北区太平に本社(旧 三号館)が落成されたのですね。

新社屋落成披露パーティーの様子

副会長:
そうですね。太平の本社ができる前は自宅を事務所兼倉庫のような形にしていたのですが、従業員の数も増え、物も増えてパンクしてしまって。昭和63年10月に落成していて、正式に公表したのが平成元年の1989年です。

旧三号館

―この頃の写真を拝見すると、旧三号館でみんなで集まってお祭りなども行っていたのですね。社員旅行も家族のようにみんな楽しそうにされている写真がたくさんで、楽しそうだな~と感じました!

副会長:
そこが我が社の特徴ですね。イベントが好きで、みんなで集まってわいわい騒ぐのが好き。私自身、従業員みんなを本当の家族だと思っており、本社落成前は自宅に従業員みんなを呼んで、家族のようにお正月でもわいわい過ごしていました。
ただ、従業員数が増えるにつれて自宅に入りきらなくなってしまって(笑)、旧三号館の大きな会議室で集まるようになりました。

大創業祭の中間報告会では、会議室のフロア全部に青いビニールシートを敷いて、会長の故郷である根室の名物 花咲ガニをドーンと用意して、従業員みんなに鉄砲鍋をふるまってみんなで飲みました。

更に従業員数が増え、旧三号館にも入りきらなくなってしまって、そのあとは居酒屋やホテルの会場などでみんな集まって創業祭の中間発表会やお祭りなどを行っていました。

新年会の様子

―「従業員みんなを本当の家族だと思っている」というお言葉、とても嬉しく、心が温かくなりました!そう思ってくださって、本当にありがとうございます。

初のシティドラッグがオープン

―そして本社落成の翌年、1989年1月に初めてのシティドラッグとして札幌駅ビル内に旧パセオ店がオープンしましたね。

旧パセオ店

会長:
1987年の国鉄分割民営化により、北海道の国鉄が北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)となりました。そして1988年に札幌駅高架化に伴い、1990年に「札幌駅高架下商業施設 パセオ」を作るという情報が入ったんです。

当時全国的に駅ビルの中で商売ができるのは一つのステイタスとなっており、本州あたりだと当時コクミンドラッグさんが多くの駅ビルに出店されて繁盛していて、当社もなんとか駅ビルに出店したい!と思い、即座に応募しました。

パセオ出店は全国の薬屋業界から話題となり、34社の薬屋業界の人たちが応募していました。出店の権利を得るために、当時八重洲口でドリンクバーが話題になったのでそれを取り入れようと立ち飲みをやったり、様々なプレゼンをしましたね。

また、この国鉄分割民営化に伴い、国鉄の従業員向けに民間の企業による研修会が行われたのですが、そこで「若くてやる気のある人に講演して欲しい」と、当時商工会議所を通じて私に講演依頼がきたんです。
まだまだ店舗数も少ないのに講演なんて、と思ったのですが、「待てよ、これはパセオに出店できる機会につながるかもしれない!」と思い講演を引き受けました。

研修会では講演終了後必ず感想文を提出してもらっていたのですが、その感想文の一部を持って北海道旅客鉄道(JR北海道)の初代代表取締役社長である大森 義弘おおもりよしひろさんに会いに行きました。
さらに私が参加していた北海道の経営者交流会「一への会」で大森社長を呼んで講演をしてもらうなど、つながりを作っていきました。

そして、34店舗応募の中、見事うちが選ばれて出店が決まりました!
当時の一次開業の時は一番売り上げが良かったのが玉光堂で、なんとその次は当社でした!東京で売れている一番新しい商品を持ってきたりすると結構売れましたね。パセオへの出店でJRとの接触が出来たことで、現在はパセオ西口の方でクレアーレパセオ西店が出店できています。

現 クレアーレパセオ西店

この旧パセオ店の出店には1億のお金がかかりました。銀行が1億貸してくれるかと不安になったのですが・・・パセオに出店する権利を持ったというだけでも評価されて、無事借りることができ、出店することができたんです。

―パセオ出店にはそのような経緯があったのですね・・・!
現在もクレアーレパセオ西店では、通勤中の方や駅ビルにお買い物に来られた方など、多くのお客さまにご利用いただいている店舗となっていますね。

会長:そうですね。そして多くの人たちと翌年20周年を迎え、関係者の皆さんと共にパーティーを行いました。

20周年パーティーの様子

――次回21年目~30年目のヒストリーに続きます。

最後までお読みいただきありがとうございました!
次回のヒストリーをお楽しみに。

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