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ぼくらが学童保育を起業したワケ 〜トライエッジ創業ストーリー①〜

はじめに


みなさま、こんにちは。

トライエッジの代表取締役をつとめております、中野です。



弊社は創業2011年9月。間もなく7期目を終わろうとしておりまして、今のところ順調に8期目を迎えられそうな感じです。

個人で起業して、設立幾年も経たないうちに経営を続けられなくなる会社も多い中、どうにかこうにかここまで会社を継続してこられました。


ひとえに関係者の皆様、働いてくれているみんなのおかげだと思っています。

本当に本当に、関係者の皆様ありがとうございます。



さて、最近「トライエッジは創業してから順調に事業を運営してこられたんですか?」という質問をよく受けるようになったのですが、全くそんなことはありません。

「あー、もう終わったな」と思うような瞬間が、今軽く思い出すだけでも何回かありました。

終わってしまえばそれまでなんですが、危機に直面したその時は、本当に生きている心地もしなかったですし、今日を迎えられるなんて想像も出来ない状況でした。

よくぞ乗り越えたなぁと今でも思います。その中で多くの学びを得たことも事実です。



あまり自慢をするような話ではないですが、当時を振り返って、そのときに遭遇したことや得た経験を文字に残しておくことは、我が社の教訓とするだけでなく、将来経営者を志している方にとっても多少なりとも意味のあることなのではないか。

そう思い、今回トライエッジの創業ストーリーを綴ってみようと思いました。

トライエッジは創業時に学童保育事業からスタートし、その後ベビーシッター事業、マーケティング支援事業へと変遷していきます。学童・ベビーシッター事業からマーケティング支援事業に辿り着くまでのことを、創業ストーリーとしてご紹介します。

将来起業をしようと思っている方は、ぜひとも反面教師にしてください。
経営を学ぶ方には、バッドケースのケーススタディとしてご活用いただければと(笑)


そんなわけで第一回。


なぜ会社を起業することにしたのか

そもそも、私は「起業をしたい」とか「経営者になりたい」といったことを考えたことはありませんでした。

現在共同で経営を担っている齊藤は、新卒のときから「僕は将来経営者になりたいんです」などとキラキラしたことを言っていました。

でも、当の私はそんな話を聞いても「そんな茨の道進みたいなんて変わった奴だな。まぁせいぜい苦労して生きるがいいさ」と小馬鹿にしながら、自分には関係のないことだと思っていました。


そんな私に転機が訪れます。

大学を卒業して7年目の2007年。
新卒から勤めていた人材派遣会社が、別の会社に買収されたのです。

会社の業績も全く問題なく、事前にそんな予感もなく、まさに青天の霹靂としかいいようのない出来事でした。

私は当時、その勤めていた会社に対して特に不満もなく働いていました。

給料もいいし、それなりの実績も上げていたので社内での評判も悪くない。会社の業績も悪くないから将来性もある。

なんとなくですが、この会社で部門長や、あわよくば役員なんかやれたらいいなぁと思っていました。

そんな何の危機感もない中での買収劇。

呆然としてあれよあれよという間に、買収された会社のオーナーが新たに設立した会社に転籍をさせられることになります。

気がついたら新卒のときに入っていた会社とは全く別の会社に籍が移ってしまいました。自分の意思とは裏腹に、勝手に転職させられたようなものです。

愛着を持っていた会社を突然転籍させられ、気がついたら全く違う会社。全く違う環境に身をおくことになり、私は気が付きました。

「会社員でいるかぎり、会社の都合で自分の人生は動いてしまう」

ということを。



私は新しく転籍させられた会社に愛着が持てませんでした。
これまでと違う業界やそこで働く人たちにあまり興味が持てなかったのです。

そこで、私の中にこんな気持ちが湧き上がりました。

「一番好きだった居場所がなくなってしまった。会社員を続けることにおいて、あの会社より面白くて好きになれる環境は多分無いだろう。だったら自分で作ろう」


よく起業をする方は「○○という社会問題を解決したい」とか「○○の技術で世界を変革したい」というようなことをおっしゃいますが、当初私にはそんな意志や思いは無く、単に「居心地が良くて、毎日楽しいと思える会社を作ろう」「一緒に働きたいと思える仲間たちと、何かをしよう」という発想が原点でした。

一言で言えば起業して「何をするか」ではなく「誰と働くか」という軸で会社を起こしたいと思ったのです。

よく皆さんから「以前からマーケティングの仕事をしたかったのですか?」と言われるのですが、私達の事業の軸が固まったのは実は創業後4年以上経過してからでした。

それまではいろいろな事業に手を出し、都度痛い目に合いました。

正直、創業後に何をするかというのは「起業する」というのを決めてから考えだしたので、事業内容は「農業」でも「たこ焼き屋」でも何でも良かったのです。



ぼくらは学童保育に賭けることにした

私は起業することを決めると、すぐに昔の職場の仲間たちに声をかけました。

以前ビジネススクール(青学MBA)に通っていたときに、とあるベンチャーキャピタルの方が「仲間を集められないような経営者では、成長は見込めない」とおっしゃっていたのを覚えていて、「起業するなら絶対に仲間とやる」と決めていたのです。

「起業を共に行う」というのは「一緒に人生を賭ける」に等しく、そう簡単にメンバーが集まるとも思えません。ですが、これを乗り越えないと事業は起こせないと思いました。

繰り返すようですが、起業をすると決め仲間を集めようとしていましたが、この時点でもまだ何をするかは決まっていません(笑)

私が声を掛けると、あっさり仲間が集まりました。

人材派遣会社のマーケティング職だった時代、それなりに仕事をやれていたので、信頼を得ていたのかもしれません。

「よし、これで会社を起こせる!」と高揚感にあふれていたことを今でも思い出します。

そして、仲間が集まり、「何をするか」を考え始めました。

今思えば、自分たちが培っていた経験を活かしたビジネスをするのが最もリスクが低く、かつ安定した事業を起こすことが出来るんじゃないかと思います。

しかし、当時の私達は「とにかく面白いことをしたい。せっかくだったら世の中に貢献できることをやりたい」という、割と抽象的なことばかりを考え、毎日悶々としていました。



そんな中で注目をしたのが保育事業です。

現在でも待機児童が問題となっていますが、当時も保育園に入れるかどうかは大きな社会問題となっており、私達も強い関心を持っていました。

そこで最初は保育所を作ろうとし、業界調査をスタートします。
しかし分かったのは、保育園事業の参入障壁の高さと運営の難しさでした。

よく考えれば我々は保育士の資格を誰も持っておらず、人材確保がかなり大変であることに加え、保育施設を作ることは様々な国の要件があり、多額のコストがかかることが分かってきたのです。

そこは「何をするか」を軸で起業をしていない私達。

じゃ保育園はやめよう、ということであっさりと方向転換をし、そのときに目をつけたのが「学童保育事業」でした。



当時民間で運営する学童保育事業は、新たなビジネスとして各方面で注目を集めていました。

学童保育は主に公設で運営をされているのですが、公設学童のサービスに不満を持つユーザーが多く、より付加価値の高い学童保育施設が次々に都心でOPENしていたのです。

学童保育事業は保育事業と違って国の規制もなく、運営に専門資格も不要。
未来を担う子供たちに「より充実した放課後を提供する」という社会貢献性の高い仕事。
そして何よりまだ出来たばかりの新しい領域の事業。



よし、この事業からスタートしよう。
私達の起業すべき事業内容は固まり、一斉に走り出しました。


しかし、私達は大きな間違いにまだ気がついていませんでした。
「やりたいこと」と「やれること」の大きな違いに。


このとき「学童保育事業で起業をする」という決断は、その後多くの困難を招くことになります。


②へつづく!

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