脱・完璧主義。|失敗から逃げ続けてきた私が、オーストラリア事業を3倍成長させる決意をするまで。──#01| THE LIFE CHANGE
世界にライフチェンジを届ける、株式会社ブルード。
挑戦、失敗、そして変革。世界で「正解のない問い」に挑むメンバーに迫る、ドキュメンタリーシリーズ。──THE LIFE CHANGE
記念すべき第1回目を飾るのは、第二新卒としてブルードにジョイン。入社2年目の今年6月からオーストラリア事業のカントリーマネージャーを務める高木さんです。
元々の自分を「レールを歩いてきた優等生タイプ」と評する高木さんが、ブルードでどんなライフチェンジを目指しているのか。
渡豪してから約3週間が経った今、彼女の胸の内に迫りました。
愛知県出身。名古屋大学を卒業後、イベント会社や河合塾の子会社にて新規事業立ち上げに従事。2025年1月にブルードに入社。
100点が当たり前。失敗が許されない「優等生」の原点
──まず、高木さんの原点から聞かせてください。
親が公文の教室を営んでいて、0歳から訳もわからずに英語と算数をやってました。
家族のみんなは、テストで100点取っても「それが当たり前だよ。」という反応だったので、テストは常に100点。毎日必死に勉強をしていました。
100点を取りすぎて、地元では「エリート」と呼ばれていましたね(笑)。
テストで1点でも失えば、家では「なんで?」と問われるような生活でした。
その過程で物事を突き詰めることの重要性を学べたと思っていますが、同時に「失敗は絶対に許されないものだ」という価値観が私の中に形成されました。
高木:一番手前
──まさに、絵に描いたような優等生だったんですね。
はい。失敗することが本当に怖かったです。
ただ、実家の公文にきている子供たちが難しい問題に何度もトライして失敗を重ねた先に、ある日すっと解けるようになる瞬間。あの「失敗を重ね、できなかったことが、できるようになる瞬間」を見るのが、子供ながらに大好きでした。
どこか失敗を恐れない姿勢に憧れを抱いていたのかもしれませんね。
──ちなみに、海外との接点はどこで?
中2の夏の、1ヶ月のフィジー留学です。最初は文字通り「絶望」してました。(笑)
Wi-FiもLINEも使えなくて、カレーは「手で食べろ!」って言われるし、ずっと「帰りたい」って泣いてました。
でも帰国直前になって1つ、気づいたことがあります。
生まれ育った地元で、中学時代から海外に行く子は私くらいしかいない。
もともと教育熱心な親のもとに生まれたからこそ海外に行けて、世界を知ることができている。
だから、日本の教育ってもっと海外に目を向ければ面白くなるんじゃないかって子供ながらに考えていました。
親が家業を営んでいた影響もあり、そこから「教育×海外」で人生が変わるきっかけを届けられる事業を、自分で作りたい」と思うようになりました。
漠然とですが、理想として、公文を超えるような教育事業を作りたいと考えていましたね。
──「公文を超える」なら、公文に入る道もあったのでは?
はい、公文は本当に好きです。
でもすでに完成された大手企業なので、公文の中に入っても、公文以上のものは作れないじゃないですか。
私がやりたいのは、ゼロから自分で作って、いつかそれを超えること。
だからこれまでワーホリに行ったり、2社経験したりと、社会に出てからずっと「教育事業を作れる場所」を探していました。
ただどの選択も「教育」か「海外」の片方しかなく、自分が当事者として事業を作れる場所は、なかなか見つからなかったんです。
──ワーホリ中は、現地での就職活動もしたそうですね。
はい、しました。
海外に行くだけでなく、海外で事業を作る挑戦も両立したかったので。
でも面接での「君、明日から何ができるの?」という問いに対して、当時は何も答えられるようなスキルも持ち合わせておらず、半ば諦めムードになっていた節もあります。(笑)
だったら、まず日本で事業を作れる実力をつけて、20代のうちに海外挑戦できる場所を探そうと思うようになりました。
大手の内定辞退。レールから外れ、「逃げ癖」のある自分にピリオドを打つための決断。
──転職活動では、大手の内定も持っていたんですよね。
はい、持っていました。
実は内定承諾の最後の最後までブルードに入るか、その大手企業に行くかで迷ってました。
当然、私の親戚は皆「大手企業にいきなさい。」と言っていましたよ。
私の中でも大手の安定や福利厚生、それに加えて年次が上がれば確実にキャリアが積み上がっていくことに対してメリットを感じていました。
でも逆に言えば、海外キャリアを描ける確率や年齢までも全てが会社、自分ではない誰かに委ねることになるじゃないですか。それは絶対に嫌だと思っていましたね。
──そこからなぜ、ブルードを選んだんですか?
最後の決め手は「失敗をしない道を選び続けてきた自分にピリオドを打ちたかったから」です。
これまで失敗を避けて、逃げの意思決定をしてきた自分に辟易としていました。
少しでも嫌なことがあれば、居場所を横へ横へと移してしまう私。
失敗しないような、ぬるま湯で安心してしまう私。
できない自分を直視しないで生きてきた私。
自分を守ることはできるけど、同時に「逃げ癖であり、自分の弱み」だと理解していましたし、何かを成すことができないのが嫌でした。
だから次は自分の弱さに向き合いたい、自分の限界を超えるような挑戦をしたいと思っていたんです。
──なぜブルードであればそれが叶えられると?
まずはブルードのミッションです。
「これは、私がずっと作りたかったものだ」と直感的に感じました。
1社目は1日16時間以上。本当に限界まで働き詰めましたが、結局好きなことじゃなかったので心身ともにボロボロになっちゃったんですよ。「私、何でこんな仕事に毎日頑張ってるんだろう」って。
だから自分の限界に向き合う挑戦をするなら、好きなことでやった方がいいと思っていました。
そしてもう1つ大きかったのがブルードの「挑戦を応援し、失敗を賞賛する文化」です。
これがただの言葉ではなく、20代のメンバーが当たり前のようにフィリピンやオーストラリア、カナダへ挑戦している。
その姿を見て、「ブルードには環境が用意されている。だから他責にして逃げることはできない。最後は自分と向き合えるかどうかだ。」と、ブルードなら挑戦と失敗から逃げている自分を変えられると確信しました。
失敗前提の超高速PDCA。カオスの中で掴んだ成功体験。
──入社してからはどうでしたか?
「いきなり海外行ける!」とはならなかったです。
当然ですが、「今のレベルだと私、海外いけないじゃん!」って率直に思いました。(笑)
先にオーストラリアで立ち上げを行っていた、橋口の姿やレベルの高さを見てまずは日本で実力をつけないといけないなと思いましたね。
──その後、何かターニングポイントはありましたか?
役員と一緒にインサイドセールスの施策について議論をしていた時の話です。
どうすればKPIを伸ばすことができるか、議論が行き詰まっていた時にジャストアイデアで施策を提案してみたんです。
対する役員の反応は「いいじゃん!やってみよう!」でした。
さすがに異常なスピード感だったので「いや、とりあえず言ってみただけでロジックも何も、、」と返したんです。
そしたら「正直、成果は出ないかもしれない。でも、誰もやってない一手が、次の100手に繋がるから。とにかく、やってみよう」って言われました。
そこから実行まで繋がり、結果として成果は出なかったのですが、やってみたからこそ見えた次への改善点や成功イメージが確実に掴めたんです。
──そこから、自身にどんな変化が?
とにかく高速で施策立案から実行、改善までを回せるようになりました。
挑戦と失敗へのハードルは間違いなく下がりましたね。
単月に打つ施策数はブルードのインサイドセールス史上過去最高と言われるまで攻め続けました。かなりカオスな状況にはなりましたけど。(笑)
結果的に、部署としてのKPIも連続達成。部署のみならず会社を巻き込んだ施策により成果を出すことができました。
この成功体験は今まで失敗が怖くて実行しなかった自分が、失敗前提にアクションを起こし続ける。そこに対する不安は完全に拭えたわけではないですが、確実に前進している感覚を持つことができましたね。
──そのまま入社9ヶ月目には、インサイドセールスの責任者に任命されます。
はい。当時の責任者から直接「高木に引き継ぎたい」と言われました。嬉しかった反面、「なぜ自分が?」となったので理由を聞いてみたんです。
そしたら帰ってきたのはスキルの話ではなく「できないことが出てきた時に絶対に最後までやり切る。諦めない。そして誰よりも人と向き合う。そこを信頼しているから。」と回答が返ってきました。
今振り返っても、ブルードの抜擢基準で「①人として信頼を得ること ②やり切ること」は大事だなと感じています。
──責任者として、何を意識していましたか?
当時、意識していたことは2つです。
1つは自分一人でなんでもやろうとしないこと。
確実に私よりもスキルを持っているメンバーがいて、それぞれの得意領域も違う。だからみんなの強みを最大限に生かしながら、知恵やスキルを徹底的に借りるようにしました。
もう1つが、「誰でもできることを、誰よりやる」ことです。
これは高校の部活の監督からも常に言われていた言葉です。
特別なことはできなくても、みんなが「やったほうがいいけれど誰もやっていない」ことを全部拾う。
すると自然と周りのメンバーからも応援されるようになっていきました。
──組織としては、何を変えましたか?
とにかく業務の仕組み化を進めました。当時のインサイドセールス部署はベンチャーゆえに仕組みが整っておらず、成果を出すためのナレッジが点在していました。
だから、そのナレッジを1つにまとめるようにしました。
数字進捗が悪くなるパターンを特定し、各パターン毎の打ち手まで言語化して残すことで、今後自分を含めて誰がインサイドセールスを担当したとしても組織が回り続ける仕組みを構築しました。
当時の属人的な強さを、組織の強さに変えにいったんです。
全体の1時間あたりアポ取得数も向上、そして現在も部署の責任者を他のメンバーへ引き継ぎましたが連続達成が継続できています。
──入社1年が経った頃から、フィールドセールスのリーダーまで兼務しましたよね。
はい、兼務しました。
ただ初月に持ったチームでは惨敗でした。
リーダーとして、チームをグッと引っ張るリーダーになろう。と慣れないマネジメントスタイルへ挑戦しました。
ただ失敗して学んだのが、ただ引っ張るだけでは人は動かないということ。
2ヶ月目からは1人ずつ、モチベーションの源泉を探るようなコミュニケーションとサーバント型のマネジメントスタイルを取るよう心掛けました。
メンバーとは「ブルードに何を期待している? 今月、何ができたら一番嬉しい?」と話しました。そしたら意外にも、モチベーションの源は「営業達成」と関係ないところにある人が多いんです。
そこを理解して、レバーを引くようにすると、2ヶ月目、3ヶ月目は連続でチームが成果を出せるようになっていったんです。
インサイドセールスでも、フィールドセールスのリーダーでも「挑戦して、失敗して、改善点を見つけて改善する。」
とにかく繰り返して成果が出せるようになった時、オーストラリアに行かないか?と打診を受ける日が来ました。
海外抜擢の4基準と、「高木ならやり切れる」という周囲からの信頼。
ブリスベンオフィス
──打診されたときの、第一声は?
「え、私ですか!」です。(笑)
「教育×海外」の事業を作りたくてブルードに入って、入社してからは失敗から逃げ続けてきた自分を変えつつも、海外へ挑戦するための実力をつけてきました。
心の中では「ついにこの挑戦が回ってきた…!」とワクワクしました。
──なぜ高木さんが選ばれたのでしょうか?
そこですよね。
私も純粋に知りたくて、社長に直接聞きました。
──そしたら社長は何と?
口頭説明ももらった上で4つの理由が送られてきました。これはブルードが海外に出す人を見ている資質です。
海外支社抜擢に求められる資質4点
①スキルの習得
ー 考え方、知識、スキルを習得し、メンバーを育成できる
②自 燃 型
ー 自律しており、一人でも安定して期待役割にミートし続けられる。海外では仲間が少ないため
③点 火 型
ー 周囲のメンバーのやる気を引き出し、チーム全体で大きな成果を出す巻き込み力。海外でも仲間を巻き込む
④個人課題
ー 個人特有の課題を克服することに向き合い続けられる
──なるほど、該当するメンバーは他にもいると思います。最後の決め手は何と?
社長からは「周りのリーダーが全員『高木ならやり切れる。信頼している。』と言ったから、決めた」と聞きました。
これはインサイドセールスの責任者になった時も同じで、最後は困難な局面においてもやり切れるか、人として信頼できるかが大切なんだと思います。
──オーストラリア行きを決めた時、掲げた目標は?
「1年でオーストラリア事業を3倍成長させること。」です。
スタートアップの海外拠点なので、それくらい事業成長しなければ生き残れないだろうと思って設定しました。
どうせやるなら大胆に挑戦したいし、行くからにはデカいインパクトを残したいと思っての設定です。
完璧だった頃より、ずっと面白い。
大胆なリスクを取り、リターンを得る人生を。
──現在、オーストラリアに来て3週間です。率直に、どうですか?
一言でいえば、武者修行みたいな感覚です。
毎日「できないこと」ではなく、「そもそも正解すらないこと」に向き合っています。事業を作ることの難しさを肌で感じている状況です。
この3週間は、正解のないものに向き合うマインドセットを自分の中に醸成することで精一杯でした。
──具体的に何か変わったことはありますか?
ひとつは、思考の時間軸が伸びてきたことです。
「今月の数字」ではなく「1年後、2年後にどれだけ成長させたいか」で考える。事業を半永久的に伸ばし続けるためには、今月の成果だけを見るのではなく、1-2年後の事業成長を前提に次から次へと打ち手をうち続けなければいけません。
もうひとつは、失敗への怖さとの付き合い方です。
大きな数字を前にすると、やっぱり今でも怖いんですよね。
でも「何が怖いのか」を分解すると、行き着くのは結局「失敗したらどうしよう」です。
でも、海外でほぼ0ベースから事業を立ち上げているため正解はありません。正解がないなら、別に「失敗」も存在しないんですよね。
あるのは仮説検証だけ。仮説を持って臨めば、外れてもすべて成長になる。いちばん無駄なのは、何となくやって、何となく失敗することなんです。
──これまでの人生を見ていると、別人のような考え方ですね。
そうですね、私自身も驚いています。(笑)
「失敗してはいけない!100点を取らなければ。」と思って生きてきたのに、今は「失敗してもいい、それは仮説検証のデータだ」と思えています。
だから、すごくポジティブな意味で、自分が変わってきています。
今の私って、なんだろう…例えるなら生物が環境適応するのに近いと思っていて、生存戦略的に、変わるしかない環境にいるんですよね。
「レールを歩いてきた人ほど、挑戦が怖い。だから、文化に押してもらえばいい」
──最後に高木さんと同じように「失敗を恐れてしまう」人へ、何か伝えたいことはありますか?
誰かが期待するレールを歩いてきた人ほど、野心的な挑戦にリスクを感じると思うんです。失敗したらどうしよう、って。
私も「失敗が怖い」と思いながら生きてきた人間で、オーストラリアに来る前も、ずっと怖さが消えなかったのですごく気持ちがわかります。
多くの人の考え方は、「土台を確実に整えて『これで大丈夫』と確信してから行く」だと思います。でも、事業を作る場面では土台が整う日は来ないんです。
私がここまで変われているのは「挑戦を応援し、失敗を賞賛する」というブルードのカルチャーに、勇気づけてもらったからです。
自分の意志だけで変われる人は多くない。
だったら、背中を押してくれる文化の中に、自分を置けばいいんじゃないかなと思います。
今は人生でいちばん「できないことだらけ」ですが、同時に人生でいちばん面白い。完璧にやれていた頃より、ずっとです。
私も少しずつ感覚は掴めていますが、この機会にもっと大胆なリスクを取れるような人材になりたいと思っています。リスクを冒さなければ、リターンを得ることはできませんからね。