1.はじめに
僕たちAPOCは、Wantedlyで「何を目指していて、どんな考え方で会社をやっているのか」を、きちんと世の中に共有したいと思っています。
その上で、価値観が合う方と一緒に挑戦できたら嬉しいです。
今回はその第一歩として、創業メンバーの僕(後藤竜生)が、これまでの自己紹介と価値観を、正直に書いてみます。
綺麗な成功談ではありませんが、だからこそ、今の僕たちが何を信じて走っているのかは伝わるはずです。
2. 18歳で口にしていた「GAFAみたいな会社を創る」
18歳の頃の僕は、起業経験もなく、バイトの経験すらありませんでした。
それでも当時の僕は、どんな場面でも自信のない根拠で「GAFAみたいな会社を創る」と口にしていました。友人との会話でも、進路の話でも、相手や場面を選ばずに言っていたと思います。
言葉にしておかないと逃げてしまうし、言い切ることで自分を追い込める。
そういう性格だったからです。
周囲の反応はさまざまでした。
大人の中には「そんなに甘くない」と現実的な意見をくれる人もいましたし、知人の中には「起業家としてなんとなくうまくいきそう」と言ってくれる人もいました。
同じように起業を志している大学生同士では、「それを目指すのは当たり前」という空気感もありました。
今の自分から見れば、当時の自分はかなり生意気だったと思います。
もし今、同じことを言っている18歳が目の前にいたら、「まず働いてから言いな」「1円稼いでから言いな」と言いたくなると思います。
ただ同時に、そういうことを言っていなければ、そこを目指すことも今挑戦を続けていること自体もできなかっただろうとも感じています。
当時の僕には、説明できる根拠はありませんでした。
それでも「絶対にできる」「自分はやる」と、なぜか信じ切っていました。
無知だったからこそ、できない理由を知らなかったのだと思います。
振り返ると、恥ずかしさはありますが、あの頃の無知と勢いがなければ、今の自分はなかったとも思います。実際、大きな成果ではありませんが、人との出会いや応援など、少しずつ前に進んでいる実感はありました。
心の奥にある「目指すスケール」は、18歳の頃から今まで、実はほとんど変わっていません。
3.なぜ、起業を意識し始めたのか
今振り返ると、「起業」という言葉を本気で自分の進路として意識し始めたのは、高校3年の夏だったと思います。
それまでも起業という言葉自体は知っていましたし、高校2年の頃に尊敬していた大人から「起業、向いてそうだよね」と言われたこともありました。
ただその時は、正直よく分かっていませんでした。
「起業って何ですか?」と聞き返した理解度で、人生の選択肢として深く考えていたわけではありませんでした。
決定的だったのは、スティーブ・ジョブズ氏と孫正義氏の伝記を読んだことです。
彼らのカリスマ性や、社会を変えにいくスケールの大きさに惹かれたのはもちろんですが、それ以上に心を掴まれたのは、社会や野望のために異常なまでに熱中している姿でした。
「ああいうふうに、人生をかけて何かに打ち込みたい」
その感覚が、初めてはっきりと自分の中に生まれました。
思えば、父親が経営者だったことも無関係ではありません。
社長になるという生き方が、どこか現実味のあるものとして身近にあり、子どもながらに「かっこいいな」と感じていた部分もあったと思います。
ただ当時の自分は、それを言語化できるほど整理はできていませんでした。
この頃の自分は、「起業家になりたい」のか、「何か大きなことを成し遂げたい」のか、その違いを厳密に考えていたわけではありません。
むしろ、起業という手段を通じて大きなことを成し遂げたい、という感覚が混ざり合った状態で、一気に現実味を帯びてきた感覚でした。
だから後に、「GAFAみたいな会社を作る」という言葉を口にするようになったのも、理由が先にあったというよりは、言葉が先だったのだと思います。
孫正義氏の「志高く」という思想に影響され、とにかく大きな目標を掲げる。
そうしないと、自分は本気になれないし、前に進めないと感じていました。
この時点では、起業についての知識も、現実的な戦略も、ほとんど何もありませんでした。
それでも、「とにかく大きな目標を掲げて、そこに近づく行動を取る」という姿勢だけは、この頃には固まり始めていたのだと思います。
4.なぜ、高校卒業後にアメリカ(シリコンバレー)の短大に進学したのか
起業を意識し始めたあと、次に考えたのは「では、今の自分はどこに身を置くべきなのだろうか」ということでした。
日本の大学に進学し、大学生活を送る未来は、遊びに全振りできそうで、人生の夏休みのような時間を過ごせそうだという印象があり、正直かなり魅力的でした。
それでもアメリカを選んだ理由として大きかったのは、スティーブ・ジョブズ氏や孫正義氏が学生時代をシリコンバレーで過ごしていたという事実です。
特に、同じ日本人である孫正義氏が、大きな志を掲げ、それを実現するために「一度アメリカに行く」という手段を取っていたことは、自分の中で非常に強い影響を与えていました。
当時の自分はかなり無知で、周りに起業したいみたいな人もいなかったので、正直に言えば自分ほど熱心なのであれば、「アメリカに行けば何かが起きる」「行けば彼らみたいに普通に成功できる」くらいの感覚で、本気でそう信じ込んでいたと思います。
ただ同時に、それは単なる憧れというよりも、「先人と同じ行動を取ることが、一番近づく確率が高い」という、当時なりの合理的な判断でもありました。
環境が人をつくるのであれば、最初から一番強い環境に身を置いたほうがいい。かなり単純ですが、その考えには納得していました。
とはいえ、ワクワクだけで決めたわけではありません。
大学1年生で、1人でアメリカに行くのは怖かったです。例えば、銃社会や治安の話ばかりが頭に浮かび、アメリカに到着するまでは「やはり行きたくないな」と何度も思っていました。自分は大胆なタイプではなく、どちらかと言えば実は小心者だったなと思っています。
そのため感覚としては、「挑戦」というよりも「修行」に近いものでした。
2年から4年、日本を離れて、まずは徹底的に鍛えられる環境に身を置く。その後で日本に戻り、起業する。最初から海外で勝負するつもりはなく、日本で何かを成すための準備期間、という位置づけでした。
無知だったからこそ、信じ切ることができたのだと思います。
怖さはありましたが、「たぶん、こちらに行くしかない」と思えました。その直感を信じて、アメリカ行きを決めました。
5.シリコンバレーで学んだこと
正直に言うと、シリコンバレーに行けば、もう少し何かが起きると思っていました。
周りは起業家だらけで、毎日刺激的な会話があり、気づいたら自分もその一員になっている。
そんな妄想を、わりと本気でしていました。
でも、現実は全然違いました。
朝起きて、授業に出て、課題をやって、普通に大学生をしていました。
特別なイベントが日常的に起きる、ということもありませんでした。
「来ただけじゃ、何も変わらないんだな」
それが、最初に感じた当たり前の感覚です。
ただ、もう一つ発見もありました。
たしかに、街のように広がるGoogle・Appleに行った時はすごいなと感じましたが、想像以上にシリコンバレーは特別な場所というより、普通の街で、普通の人たちがいる場所だったということです。
ちょっと野心的な人が多くて、どんな目標を口にしても笑われなくて、挑戦に寛容。
学生だった僕が感じた違いは、そのくらいでした。
この瞬間、遠い憧れは少し壊れました。
でも同時に、変な安心感もありました。
シリコンバレーにあるような大きな会社を作るという目標は、
夢物語から、「めちゃくちゃ遠いけど、地続きの目標」に変わりました。
6. 日本に戻って、起業に挑戦
シリコンバレーから日本に戻り、名古屋大学に編入しました。しばらくしてから、起業に挑戦しました。当時、ビジネスコンテストで優勝したアイデアがあり、「これなら形にできるかもしれない」と思っていました。
ただ、実際に動き始めると、起業は想像以上に甘くありませんでした。
勢いでチームを組み、プロダクトを作り始めましたが、途中で「そもそも何を、誰に、どれだけ強く求められているのか」が曖昧なまま進んでいたことに気づきました。
今振り返ると、仮説検証、MVP、ユーザーインタビュー、競合分析といった“基本”の考え方を、当時の自分はほとんど知りませんでした。
言葉として聞いたことはあっても、それがなぜ必要で、どの順番でやるべきかを理解できていなかったと思います。
これは学生起業の初期によくある話だと思いますが、事業計画やアイデアはあるのに、なかなか立ち上がらない。まさにその状態でした。
特に大きかったのは、「作る前に、聞く」「決める前に、調べ切る」という当たり前の順番です。当時の自分は、それを飛ばしてでも前に進みたくなってしまっていました。
結果として挑戦はうまくいかず、起業を一度諦めることになりました。
7. 共同創業者の齋藤と再挑戦
共同創業者の齋藤峻輔とは、18歳のときにアメリカで出会いました。
彼も高校卒業後、シリコンバレーの短大に進学し、当時から将来について話す機会は多かったと思います。
21歳前後の頃、僕たちはそれぞれ起業を志していましたが、上記のタイミングで途中で一度その考えを手放し、就職活動を始めました。
その頃から齋藤には、1ヶ月弱ほど、ほぼ毎日のように声をかけられていました。
「一緒にサービスを作ろう」という言葉を、ありとあらゆる言い回しで。
ただ、当時の僕はほとんどすべてに「No」と答え続けていました。
そして、「起業はせずに就職する」とちゃんと伝えた翌日、齋藤がアポもなく夜行バスで名古屋まで来ました。(電話がきた時、震えました笑)
名古屋駅で3時間ほど話し続けることになりましたが、正直、その場で何かを即断できる状態ではありませんでした。
一度失敗していることもあり、もう一度挑戦することへの不安は大きかったですし、
ほぼ気持ちが固まっていた就職という選択肢を手放すのも、簡単ではありませんでした。
齋藤はありとあらゆる言い回しで誘ってくるのですが、その中で今でも印象に残っている言葉があります。
「竜生が今悩んでいることって、宇宙から見たら何の影響もない。あまりにも小さいことだよ。」
これを聞いた時、就職か起業かで悩んでいる自分の視野が、あまりにもちっぽけだなと感じてきました笑
また同時に、齋藤が目の前で本気で挑戦し続けているのを見て、
「理由をつけて挑戦しない、自分は正直ダサいな」と感じていました。
結果としては、「今度こそは」という、これまで以上に強い覚悟を持って、もう一度挑戦することを決めました。
振り返ってみると、あのときの覚悟があったからこそ、今こうして彼と5年目の挑戦を迎えられているのだと思います。
最初に取り組んだのが、学生向けクーポンアプリ「GAKUWARI」です。
ダウンロードは一気に数万人まで増え順調に見えましたが、様々な理由で約14か月後に大企業へ売却しました。(GAKUWARIの話はここでは割愛)
その経験を踏まえ、次の挑戦として立ち上げたのがAPOCです。
8. 今、APOCでやっていること / 向き合っていること
日々やっているのは、かなり大変なことばかりです。
売上の数字を見ること。
施策がうまくいかなかった理由を整理すること。
お客様からのフィードバックを読み返すこと。
うまくいっていない部分を、そのまま放置しないこと。
頭の中には、成功した起業家が語る「正しいこと」はたくさんあります。
仮説検証が大事、ユーザーの声を聞く、MVPで検証する、LTVを最大化させる、競合優位性を築く、ニッチで攻める・・・
言葉だけなら、それっぽいことはいくらでも言えます。
でも実際には、正しいことを、正しい順番で、やるべきことを泥臭くやり切り続けるのが一番難しいです。
たとえば具体の業務で言ったら、商談数を増やすために、「お問い合わせが来たら、1分以内に電話する」。それだけで成果が変わる、という話はよくあります。
理屈としては誰でも分かっています。
でも、それを毎回、当たり前にやり続けるのは簡単ではありません。
APOCで向き合っているのは、そういう部分です。
派手なアイデアよりも、正しいことを淡々と続けること。
その中で、僕はCOOとして、APOCの方向性を描き、カルチャーを言葉にし、KPIを設計してチームを前に進める役割を担っています。
同時に意識しているのは、メンバーの心理的な健康や、組織の状態です。
スタートアップは少人数で成果を出す必要があるからこそ、チームのマインドが崩れると、すべてが止まってしまいます。
もう一つ大切にしているのが、お客様やサービス利用者の感情です。数字や指標だけでなく、実際にどう感じてもらえたのかを振り返り、それを次の改善につなげていく。
その積み重ねが、サービスを前に進める力になると考えています。
9. APOCで成し遂げたいこと
APOCで成し遂げたいことは、とてもシンプルです。
まずは、日本を代表する企業を創ること。
世界で使われるサービスを創ることです。
これまでの人生の中で、
GAFA や Uber、Airbnb、Netflix など、
世界の仕組みや人々の行動を大きく変えてきたスタートアップに、強い憧れと尊敬を抱いてきました。
自身に特別な才能があったわけではありませんし、ここまでを振り返ると、成長のスピードも決して速いとは言えません。
それでも、「世の中にとって意味のあるサービスをつくりたい」「多くの人に使われるプロダクトを生み出したい」という気持ちは、18歳の頃から今まで、ほとんど変わっていません。
少なくとも、自分の中ではずっと言い続けてきました。
“At least I’m saying it.”
そうやって言葉にし続けることで、自分を逃がさず、目線を上げ続けてきた感覚があります。これからも、そのスタンスは変えずに、スケールを拡大させていきます。
APOCは、まだ小さな会社です。
ただ、目指しているスケールは大きいです。
正しいことを、正しい順番で、やり切り続ける。
その積み重ねの先に、日本を代表する企業があり、世界で使われるサービスがあると信じています。
もし、この考え方や目指す方向に共感してもらえるなら、ぜひ、一緒にAPOCで挑戦しましょう。