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受託開発

「どうせ死ぬなら、最高の人生だったと言いたい」リュックひとつで家を出た彼女がデザイナーとして活躍するまで ─ 小坂育己

幼い頃からデザインの仕事に憧れながら、家庭の事情で看護学校に進み、19歳で家を出た小坂さん。何度も生活の底を経験しながら、それでも「デザインで生きていく」という思いを手放さなかった。今はBOATRIPのデザイナーとして活躍する彼女に、これまでの道のりを聞いた。19歳、リュックひとつで家を出た日幼少期からデザインの仕事に憧れていた小坂さんだったが、進学したのは看護学校だった。「どうしても幼い頃からデザインの仕事がしたくて。でも両親はすごく反対していて、看護学校に入れていただいて。正直折り合いがつかず、19歳の時に家を出たんです」高卒という学歴で、独学でスキルを身につけデザイン業界を目指すも...

14年間のリハビリ現場で磨いた「目標を決める力」を、コードの世界へ ─ 内野那美

広島大学で作業療法学を学び、病院の立ち上げに何度も携わりながら14年間現場に立ち続けた内野さん。入社4ヶ月というフレッシュな立場から、これまでのキャリアで培った力がどう生きているかを、率直に語ってくれた。高1の担任が教えてくれた仕事高校1年の時、担任の勧めで知った作業療法士という仕事に魅力を感じ、その道を志した。「人の病気や怪我で生活できなくなった人が、リハビリをして社会復帰していく。そういう仕事があるって知って、すごく魅力的だなと思ったんです」広島大学で学んだ後、下関のリハビリ病院を皮切りに、埼玉、東京と、新規病院の立ち上げに何度も携わりながらキャリアを積んだ。やりがいを感じながら14...

マウンドで感じた"高揚感"を、コードの中に。野球青年が未経験からエンジニアになるまで ─ 川久保慎太郎

大学まで続けた野球への未練を抱えたまま、社会人生活をスタートさせた川久保さん。不動産営業、独立リーグのトライアウト、食品原料商社の営業と回り道を経て、今はBOATRIPでエンジニアとして4年目を迎えている。原動力はいつも「目の前で困っている人を助けたい」という、シンプルな気持ちだった。野球をあきらめきれなかった22歳新卒で入った不動産営業を、川久保さんはわずか3ヶ月で退職している。「社会人になって自分が何をやりたいかっていうことに、正直あまり興味が持てなくて。やりたいことっていうより、稼げればいいやくらいの感じで就職先を決めていました」その決定を悔い、独立リーグのトライアウトに向けて1年...

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社員インタビュー