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雑誌SWITCHインタビュー『「かたち」と「つながり」を思考する』ココネ株式会社 取締役CCO 土屋淳広

この記事は「SWITCH 2022年9月号」に掲載された記事を許諾を受けて転載しています。PHOTOGRAPHY :GOTO TAKEHIROTEXT :KURATA YOSHIKO

『リヴリーアイランド』の生みの親のひとりであり、アートディレクターとして様々なゲームに携わってきた土屋淳広。彼の創作の原点とは

『リヴリー』という存在をこの世界に生み出すためのお手伝いを僕がしている感覚で、“作っている”というよりも“翻訳している“感覚です。

きっかけを与えてくれた「はなまる」

――土屋さんの創作における原点のようなものをお聞かせください。

「幼稚園の担任の先生との関わりが大きかったのかなと思います。少し変わった先生で、毎朝アントニオ猪木の入場曲を流すような陽気な一面があったり、 絵をよく描いてくれて。僕はやんちゃな子供で、転んで膝を思いっきり擦りむいたことがありました。その時、先生が怪我をしたところに赤チンで“はなまる”を描いてくれたんです。それによって、『怪我をしてしまった』というネガティブな感情が、勲章をもらったようなポジティブな気持ちに変わったんです。その体験が、自分のデザイナーとしての制作の根幹にあります。誰かが辛い気持ちの時に、クスッと笑ってもらえるものを自分は作りたいんですよね」

――アーティスト、漫画家、イラストレーターなど、絵を使った表現には選択肢が様々あると思いますが、なぜゲームのデザイナーを選んだのでしょうか。

「小中学生の頃、地元の神奈川県のローカルテレビ局tvkの番組を通して色々なミュージッククリップを観たり、雑誌『広告批評』や『デザインの現場』を読んだりしていて、映像や広告に興味を持つようになりました。それで高校生の頃は、美術大学を卒業して広告代理店に入り、ゆくゆくはディレクターになりたいという道筋を考えていました。ですが、結果的には希望の東京藝術大学には入れず、専門学校に通うことに。その頃、高校時代の友人が学生イベントの美術スタッフに誘ってくれて、そこで出会った方から色々な方達との繋がりができ、渋谷・代官山周辺での活動が増えて行きました。そして、有難いことに、そこで出会った方から頂いた仕事が、まるでわらしべ長者かのように色々な仕事につながっていきました。成り行きとは言えますが、自分に合った方向に進んでいった感覚はなく、一つ一つの仕事と向き合い、信頼関係を大切にしていたら、気づけば今のような仕事をするようになっていたという感じです」

――ご自身の創作欲求と、商業やエンターテインメントとして求められる「普遍性」との乖離で葛藤したことはなかったのでしょうか。

「人を元気にしたいという思いもありつつ、ビジネスもちゃんと継続できる仕事でありたいと考えていたので、商業デザインにはむしろ魅力を感じていました。加えて、同世代に天才的なプロデューサーやファッションデザイナー、編集者がいて、自分が勝負するなら違う方法で仕事を得ていかなければいけないと考えさせられるタイミングが多々ありました。自分の中のコアの部分は大切にしつつ、無理難題が来ても工夫して形にしていく方法を編み出して仕事をこなすうちに、それがまた次の仕事に繋がっていく。そんな形で今に至ります」

―― 現在は会社員として『リヴリーアイランド』に携わられていますが、フリーランス時代から通してデザイナーとして大切にされていたことはありますか。

「クライアントとの信頼関係を築くことを大切にしていました。僕自身、人見知りで友達をつくるのが苦手だったので、仕事を通じてクライアントの方と一緒にものを作っていく中で信頼関係が生まれ、戦友とも呼べる関係性の方が徐々に増えていった感覚が強いです」


アルバイトが変えた価値観

――ご自身は人見知りだと言われましたが、『リヴリーアイランド』にコミュニケーション機能をつけたのはどういった経緯だったのでしょうか。

「人見知りとはいえ、人と関わることに面白さはもちろん感じていました。特に、高校生の頃に居酒屋でアルバイトした経験が大きいですね。アルバイトを始めた頃は人と関わるのが怖くて、お客さんの前で腕組みをしてオーダーを待つような態度だったんですけど、接客を通じてお客さんと会話していくと、自分の振る舞いによって気に入ってもらえたり、お客さんが好意的な態度に変わったりする経験があって。部活でサッカーをしていたこともあり、そこで身についたチームプレイがアルバイトでも活きる実感がありました。人とコミュニケーションを取ることは実は面白いんじゃないか、そんなふうに思えるようになったそれらの経験から、クラシック版でのチャット機能の実装について他のメンバーと話し合った時、『ペットを通じて、遠くの人と会話ができるサービス』にしようとなったように思います」

――クラシック版の『リヴリーアイランド』では、“管理リヴリー”と呼ばれる存在を通して開発チームとプレイヤーがコミュニケーションを取れたそうですが、当時としては斬新なアイデアだったのではないでしょうか。

「今でこそSNSなどでも“中の人”の存在が普通に認められていますが、当時は、開発者がお客さんと直接関わるのはタブー視される面もありました。ただ、先程話したアルバイトの経験を通して、接客する楽しさを感じていたので、作り手とお客さんが直接話すのは面白いんじゃないかなと思っていて。それで“管理リヴリー”という名前で、僕を含めた運営メンバーと飼い主の皆さんで、積極的に会話をしていました。僕たちがそうやって介入することで、例えば突発的にミニゲームやイベントを発生することもできたんです。プログラムされていない、“生きた運営”だからこそ実現するイベントがあったのは魅力のひとつだったんじゃないかと思います」


作り込まないことで見えるもの

――開発者側が作った世界観やストーリーに沿って遊ぶだけではなく、ゲームの中に自由な余白を持たせることで豊かさが生まれるということですね

「もちろん一生懸命シナリオを構想して、その世界観を発信していくスタイルも素晴らしいと思うのですが、我々は飼い主の皆さんの体験こそがストーリーになるようなものを目指しています。創設メンバーと、エンターテイメントとは何か話し合った時に『衣食住とは別に必要な心の栄養素であり、“生きる”ためのスペースを広げてくれるもの』という考えが浮かびました。例えば、僕自身も深く悩むことはもちろんありますが、そんな時に映画や音楽に触れることで、違う価値観や考え方を得て心に余裕が生まれます。『リヴリーアイランド』が飼い主の皆さんにとってそのような場所であったらいいなと思っています」

――『リヴリーアイランド』に感じられる程よい“余白”は、そうした考えに加えて、多様な見た目や特徴を持ったリヴリーの存在の影響もしているように思います。

「当時は“多様性”なんて言葉は意識していませんでしたが、今回スマホアプリ版にリブートする上であらためて気が付きました」

――リヴリーたちを生み出すうえで、自然な容姿でありつつどこかアンバランスさを感じさせる繊細なデザインはどのように保っていったのでしょうか。

「実際はデザインという意識よりも、『リヴリー』という存在をこの世界に生み出すためのお手伝いを僕がしている感覚で、“作っている”というよりも“翻訳している”感覚です。エンターテインメントという項目の中では制限や条件もいくつか存在しました。けれど、制約があることは実は自然界の状況に近いんじゃないかと思えて。こんな環境だったらどんな見た目になるだろうとか、機能や行動のパターンによってこうなるかなという想像から、リヴリーたちの形が作られていった気がします」

――今後、土屋さんが構想されているプランや展望はありますか。

「ブロックチェーンの仕組みを使って、皆さんにエンターテインメントを提供できないかなと考えています。構想しているのは、性別や見た目に捉われず、もはや人間という概念からも解放されて、好きに存在できる居場所。例えば、“石ころ”として生きることに居心地の良さを感じることもあるかもしれない。NFTを活用することで、“石ころ”として何年か生きた人生に価値が付き、暗号資産を介してプレイヤーの皆様の新たなお仕事にもなり得る、そんなかつては想像もしなかった世界が構築できます。リアルとバーチャルの境界線がなくなることで、色々な“魂の器”が存在する多様な生き方のできる場所や仕組みが作れたらと思いながら、日々制作を進めています」

<プロフィール>
土屋淳広
一九七七年生まれ。石坂尚喜らと共にデザイナーユニット「モンスタースープ」を結成、二〇〇二年にPC版の『Livly〜不思議なペット〜』を発表する。二〇二一年よりココネ株式会社CCOに就任。代表作に『踊り子クリノッペ』や『住み着き妖精セトルリン』など


SWITCH 2022年9月号, スイッチ・パブリッシング


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