あるチェーンの取締役が、こんなことを話してくださったことがあります。
自社には各現場に暗黙知がたくさん散らばっていた。人材育成のあり方も、接客のフローも、業界で定評があった。けれど、他社と比べて何が秀でているのかは、誰も説明できなかった。
そして、こう続けました。仕組みがすごいわけじゃなくて、センスのいい子が集まってくれていた。だけどこれからは、人材難の時代だから、と。
この言葉を、私たちは何度も思い返しています。
■ うまくいっているうちは、仕組みの不在に気づかない
良い会社には、良い人が集まります。良い人が集まるから、仕組みがなくても回る。回っているあいだ、誰も仕組みがないことに気づきません。
そして人が集まらなくなった瞬間、支えていたものが何だったのか分からないまま、現場が崩れはじめます。
センスに頼ってきたこと自体は、間違いではありません。ただ、センスは採用市場に依存します。仕組みは依存しません。だから、まだ良い人がいるうちに、その人たちが何をやっているのかを言葉にしておく必要があります。
■ 「いい接客」を、分解する
同じ会社で、こんなプロジェクトがありました。社内で「いい接客をする」と評判だったスタッフの接客を録画して、どこがどうすごいのか、そしてどこに課題があるのかを分析する、というものです。
評判というのは厄介なもので、みんながそう言っているのに、誰も説明できません。説明できないから、他の人には渡せない。褒められている本人も困ります。「どこがいいんですか」と後輩に聞かれても、答えようがないからです。
私たちは、その接客を分解しました。何を、どの順番で、どのタイミングで、どれだけの時間をかけてやっているのか。結果は、その会社の取締役の言葉を借りれば「具体的かつ定量的に滔々と語られて」という状態になりました。
それまで可視化されていなかったことが、鮮やかに可視化された。その驚きが、研修コンテンツへの落とし込みにつながっていきました。
■ 同じことを、自分たちにもやっています
ここまで読んで、他社の話だと思われたかもしれません。ですが、これは私たちトリノ・ガーデン自身の課題でもあります。
28名の会社です。分析の質は、一人ひとりの目にかかっている。放っておけば、うちも「センスのいい人が集まっていただけ」の会社になります。
だから、延べ150時間の教育カリキュラムを組んでいます。「データ分析の考え方」「ロジカルシンキング」。ゼロから専門知識を積み上げられるよう設計したものです。メンター制度と定期カウンセリングもあります。
150時間は決して短くありません。28名の会社にとって、安い投資でもない。それでも削らないのは、育成を福利厚生だと思っていないからです。見えなかったものを見えるようにする——それを社外に対してやりながら、社内では気合いでなんとかする。そんな二枚舌は成り立ちません。
■ 教えられるのは、見方のほうです
カリキュラムの前半は、ほとんどが「見方」の話に費やされます。分析の手法そのものより先に、事実と解釈をどう切り分けるか、数字のどこを疑うべきか、何をもって「わかった」と言えるのか。
手を動かす技術は、あとからでも身につきます。ですが、事実に対する構えは、最初に時間をかけなければ、あとから入りません。
そして、新しく入った人には、まず数えてもらいます。映像を再生し、人の動きを1コマずつ記録していく。地味ですが、この作業を通らないと「どこを見るべきか」を思いつく力が育ちません。何百回も同じ場面を見た人だけが、「今のは、いつもと違う」と気づけるようになります。
■ 「見て覚えろ」を、卒業する
どの業界にも、「見て覚えろ」という育て方があります。悪い言葉ではありません。実際、身体で覚えるしかないことはたくさんあります。
ただ、問題は、何を見ればいいかを誰も言えないまま「見ろ」とだけ言われることです。見る場所が分かっていれば、覚えるのは早い。分からなければ、ただ背中を眺めて終わります。
私たちがクライアントの現場でやっているのは、その「見る場所」を特定する仕事です。そして社内でやっているのも、まったく同じことです。
私たちのフィロソフィーは「Make It Fun」。
誰も見向きもしなかった地味な場所を掘り下げた先にこそ、本当の面白さがある、という信念です。人が育つ仕組みを、感覚ではなく設計としてつくる。そういう仕事に関心を持たれた方と、話をしてみたいと思っています。