トゥモローゲートという最高の会社を辞めてまで、僕が独立して「勝継屋」を立ち上げた理由。
新卒から7年半を捧げたトゥモローゲート。
東京支社長という大役も任せてもらい、私は自社を「世界一変わった会社」にするために心血を注いできました。
理念に共感し、仲間に恵まれ、実績も出している。
客観的に見れば、何の不満もない「最高のキャリア」だったかもしれません。
しかし、2024年、私はその全てを捨てて独立しました。
周囲からは「なぜ今?」「もったいない」と何度も言われました。
それでも僕が、あえて茨の道である『株式会社勝継屋(かつぐや)』を立ち上げなければならなかったのには、ある「消せない問い」があったからです。
今日は、綺麗事ではない、僕の創業の原点と、今この瞬間も続く「もがき」の記録を、ここに残したいと思います。
1. 甥っ子が僕に突きつけた「命の使い道」
僕には、甥っ子がいます。
彼は、世界でもまだ数例しか確認されていない難病を抱えて生まれてきました。
一度も歩いたことがなく、喋ったこともありません。
でも、彼は生きています。驚くほど力強く、そして幸せそうに、いつも笑っているんです。
彼を見つめるうちに、僕の中で一つの問いが膨らんでいきました。
「歩ける、喋れる、働ける自分。その自由な体が、自分の豊かさだけを追いかけていていいんだろうか?」
それまでの僕は、数千万円を稼ぎたい、いい家に住みたいといった「自分自身の豊かさ」を追う生き方しか想像できていませんでした。
しかし、甥っ子の笑顔に触れるたび、そんな自分がひどくちっぽけに見えたのです。
「僕が生きる意味ってなんだろう?」 その問いは、やがて確信に変わりました。
「甥っ子のような存在が、安心して暮らせる、物心両面で豊かな日本をもう一度つくりたい」
そのためには、この国がもう一度、世界に誇れる強さを取り戻さなければいけない。
自分や自社の成長ではなく、この国に暮らす人の「未来」を守るために人生を使いたい。
そう決意したとき、僕は「最高の会社」を卒業し、勝継屋を立ち上げました。
2. 創業半年の暗闇。理屈では埋められない「経営の痛み」
意気揚々と旗を掲げて創業したものの、現実は甘くありませんでした。
ありがたいことに、創業から半年で15社以上のお客様に恵まれ、コアメンバーも加わりました。
数値目標だけを見れば、順調そのものです。
しかし、僕の心の中は、常に「正体のわからない暗闇」の中にありました。
パソコンを閉じた記憶がほとんどない。
寝る間も惜しんで働き、数字を追う毎日。
それでも、何かを掴んだという実感は薄く、自分の弱さや未熟さばかりを突きつけられる日々。
「生きるために働く」という時間を超えて、自分は何を目指しているのか?
経営をしていると、「これでいいのか」という問いが24時間、頭の中を巡ります。
スケールしない、ビジネスモデルが古い、そんな声も浴びました。
でも、その「痛み」を伴う暗闇を走り抜けたからこそ、僕はようやく、今まで出会ってきた2000人以上のの経営者たちの言葉を、自分の「体」で理解できるようになりました。
経営とは、単なるビジネスの仕組みではありません。
「生き方そのもの」の投影なんです。
「自分が豊かになる」ことではなく、「どれだけ多くの人にノックし、どれだけの人に支えられたか」。
その関わりの量こそが、経営の質を決めるのだと、創業半年のもがきの中で知りました。
3. 「コンサルって怪しいですよね」——現場で突きつけられたリアリティ
ある不動産・建築会社の経営陣とミーティングをしていた時のことです。
社長の奥様であり、共に経営を支える専務が、笑いながら、けれど真剣な眼差しでこう言いました。
「正直、コンサルって怪しいですよね」
その言葉を聞いたとき、僕は胸が痛むと同時に、深い「安堵」を感じていました。
なぜなら、その違和感こそが、僕が勝継屋を立ち上げた原点そのものだったからです。
綺麗な提案書を置いて去っていくコンサルタント。
現場の汗も知らずに「やるべき論」だけを語るアドバイザー。
そんな存在に対する、現場からの静かな、けれど痛烈な「NO」。
その現場には、10年後のビジョンよりも「明後日の現場が回るかどうか」で必死に戦うキーマンがいました。
「10年後に何をするかなんて、正直ピンとこないんです」
そのキーマンの言葉は、嘘のない真実でした。 僕ら勝継屋は、そんな現場のリアルを無視して「理念」を押し付けるようなことはしません。
4. 提案書はいらない。僕たちが「懐刀(ふところがたな)」であり続ける理由
「ホームページを変えたら集客できますか?」
僕はあえて、「いいえ、できません」と答えます。
ホームページはただの箱です。そこに、皆さんの「魂」が入って初めて、人は動きます。
そしてその魂は、会議室ではなく、常に「現場」にしか落ちていません。
僕たちの戦い方は、泥臭いものです。
新幹線で地方へ飛び、現場の空気を吸い、社員さんの顔を見て、夜は一緒にお酒を飲んで語り合う。採用面接に同席し、営業にも同行する。
「提案だけのコンサルは、もういらない」
これが僕たちの合言葉です。
僕らは外部のアドバイザーではなく、社長が右手に夢を掲げるとき、左手でその背中を支える「懐刀」でありたい。
時に盾となり、時に刃となり、最後は一緒に責任を背負う。
「怪しい」と言われるリスクを背負ってでも、僕たちが現場に入り込むのは、地方の小さな企業が自分の価値に気づき、誇りを持って働き始めた瞬間の、あの圧倒的な熱量を知っているからです。
5. 2030年、日本をもう一度クライマックスへ。
僕たち勝継屋のビジョンは明確です。
「地方から“自分たちなんて”をなくし、“自分たちだから”で日本を最高潮へ」
2030年までに、全国230社の地方企業と伴走し、1兆円の経済を動かす「野武士集団」をつくります。
これは、僕一人では到底成し遂げられない挑戦です。
綺麗事では済まない現場の泥臭さを楽しみ、経営者の孤独を分かち合い、この国の未来を本気で信じられる仲間が必要です。
僕たちはまだ、創業期の未完成な組織です。
悩み抜き、考え抜き、行動を止めずに前へ進み続ける。
そのプロセスそのものを共に楽しめるあなたと、僕は出会いたいと思っています。
日本はまだ、終わっていない。 地方からなら、僕たちの世代からなら、まだ逆転できる。
右手に夢を。
左手に懐刀を。
この未来を、一緒に創りませんか。
株式会社勝継屋では、共に「日本をクライマックスへ」導く仲間を募集しています。
少しでも僕たちの想いに共鳴してくださった方、まずはカジュアルにお話ししましょう。あなたのこれまでのキャリアと、これからのについて、聞かせてください。
【編集後記】 この記事の内容をより深く、代表・福成の生の声で知りたい方は、ぜひこちらのnoteもご覧ください。
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