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迷ったら険しい道を選ぶ。私がOLTAでコーポレート責任者として会社の成長にコミットする理由

松本 雅之(まつもとまさゆき)/ コーポレートグループ長

北海道出身。新卒で東京相和銀行(現・東京スター銀行)に入行。しかし入行後2ヶ月で経営破綻となり、その経験が自身の仕事感に大きな影響を与える。その後、中古車業界では革新的な取り組みをしていたガリバーインターナショナル(現・株式会社IDOM)に入社。IR、広報、財務、経理、M&Aなど経験した後、責任者として財務・IR領域を管掌。2022年OLTAに入社。

漫然とした思いのまま銀行に就職

私は北海道函館市で生まれました。同級生と外で遊ぶより、家でファミコンをやっているゲーム好きの小学生でした。また、歌が好きだったことから課外活動として少年少女合唱団に入り、全道の小学生が集まる大会に参加したりもしました。

中学生の頃は野球部に所属していましたが、高校では経験者が少なくみんながゼロからスタートとなる弓道部に入部。弓道では北海道大会まで進むことができ、3年生の時には三段の段位を取得することができました。弓道は、同じ型で矢を放っても心が乱れていたら的には当たりません。心を整えて心技体を一体化させて初めて当たるようになります。振り返ると、弓道を通じて身に付けた「何事が起こっても冷静に目の前のことに取り組む」という姿勢がその後の社会人人生においても役に立っていると思います。


(高校時代に打ち込んだ弓道の試合風景)

高校卒業後は上京したいと思い、神奈川県にある大学に進学しました。神奈川も東京も大差がないのではないかと思い茅ヶ崎に引っ越したのですが、いざ住んでみると東京へは意外と遠いし、街並みも函館とあんまり変わらなかったです(笑)。

大学時代は怠惰な学生生活を送っていましたが、2、3年生になると次第に就職のことを考え始めるようになりました。就活では、安定していてかつ多くの業種の方と関わることができるという理由から、銀行を中心に面接を受けました。就活を進めていく中で「都市銀行と比べて地方銀行は地域密着型だ」という売り文句に惹かれ地方銀行がいいなと考えるように。そして当時、邦銀初の24時間ATMやネット・バンキングを手掛けるなど先進的な動きを取っていた東京相和銀行(現・東京スター銀行)に入行を決めました。

新卒で就職した銀行が入行後2ヶ月で経営破綻。オープンマインドで活力のある社風に惹かれ、ベンチャー企業へ転職

4月1日に入行し支店に配属され、出納や窓口のサポート、融資の稟議のサポートなどを行っていました。ところが6月中旬に突如、東京相和銀行の経営破綻が報じられました。「なにやら重要な発表があるらしい」ということだけ聞かされていましたが、当時は現在のようにインターネットも普及しておらず、私たち行員も18時のNHKニュースで初めて詳細を知ったんです。様々な思いが渦巻いて支店内は騒然としていました。銀行が経営破綻すると、取り付け騒ぎに備えるために日銀から特別融資された数億円の現金が運ばれます。その札束を運ぶという特殊な経験もしました。

東京相和銀行は国有化されたため、幸いにも雇用は守られクビにはなりませんでした。しかし経営破綻を目の当たりにし、このままこの会社にいていいのかという思いから、翌年の3月に退職しました。東京相和銀行の破綻は、その後、私の仕事観に大きな影響を与えることになります。大企業でも舵取りを誤れば破綻する。財務責任者の今を支える原体験と言えます。また、安定という安易な理由を第一に就職先を選びましたが、結局2ヶ月で破綻。これまでの姿勢を反省しました。結果として将来を考える良い機会になったと思います。

就活のやり直しという気持ちで転職活動を開始しました。当時は転職サイトもなく第二新卒といった枠もなかったので、転職情報雑誌で初めて存在を知った転職エージェントに電話をかけました。エージェントに第二新卒的な私を受け入れてくれる会社がないか相談する中で、中古車の買取・販売を行うガリバーインターナショナル(現・株式会社IDOM)を紹介されました。ガリバーはその当時、創業6年ほどのベンチャー企業で、テレビCMで名前こそ知っていましたが正直に言うと「中古車の会社でしょ」と応募にはあまり乗り気ではありませんでした。しかし、エージェントからは革新的な取り組みをしている企業だと後押しされ、面接を受けてみることにしました。

面接で訪問したオフィスがすごく斬新なデザインで先進的な印象を受け、働いている人たちからも活力を感じました。面接では担当者の方から「業界を変える」や「夢を志す」といった言葉が出て、銀行にいた時には感じたことのなかった高揚感を覚えました。また、最終面接を担当して頂いた役員は40歳くらいと若く、面接も非常にラフな雰囲気の中で行われました。銀行の文化との違いに驚きつつもそのオープンな雰囲気に魅了され、ガリバーへの入社を決めました。


キャリアプランを模索し大学院へ。恩師との出会いで事業会社でのキャリアを選択

IR担当者として仕事は充実していましたが、次第にキャリアプランについて悶々と悩むようになりました。多くの投資家とコミュニケーションを取っていましたが、その中には高額納税者ランキングに載った方もいて、お金でお金を稼ぐ投資家という仕事に強い興味を抱くようになったんです。このまま事業会社の道を進むのもよいけれど、投資家側へのキャリアチェンジも頭をよぎりはじめました。

その悩みの突破口を求め、仕事の傍ら明治大学の社会人向け大学院に入学。ファイナンスを中心に専攻するなかである先生に出会いました。先生は実務家教員で、もともと事業会社でCFOとして経営のナンバー2をやっていた方でした。「経営とは 破壊と創造。且つ、非連続の連続。」と語り、事業会社の経営の醍醐味を切々と語ってくれました。私はそれまで事業会社でもIRや広報という外向きの仕事しかしてきておらず、会社の内側に向かう経営の仕事はしたことがなかったなと。この気付きを受けて私はガリバーに留まることを決めました。この決断をしたのは2008年のことでしたが、もしあのとき投資家に転向していたらリーマン・ショックで悲惨な事になっていたと思います(笑)。

そこからは自分の仕事の領域を経営の方向に広げていこうと思い、IRや広報に加えて財務や経理の他、M&Aなど未経験領域の業務にも積極的に関わっていきました。また、当時は上司の役員が退任したため、その穴を埋めるために自分の職掌を増やさざるをえない状況で、次から次へと新しい仕事が舞い込んでくるようになりました。一見ハードな状況に思えますが、大学院での経験を通して事業会社での仕事へのモチベーションが高まっていたこともあり、前向きな気持ちで受け止めていました。

さらにその後は、社長直下で経理・財務・IRをマネジメントするポジションになりました。この時の社長は二代目ですが、創業者のご子息で創業メンバーでもあったことから強力なオーナーシップを持っていました。「なにがあっても絶対に逃げない」「最終的な責任は全部負う」という強い覚悟を持つ社長との仕事を通じて、経営者視点のみならず、創業者視点の事業運営を学ばせていただきました。「最後の最後まであきらめずに可能性を追求していく」というマインドを育んでもらったと思います。


迷ったら険しい道を選ぶ。新たなチャレンジを求めてOLTAに入社

2010年以降、ガリバーはM&Aなどを通して新たな事業に参入するということを続けていました。結果として、業績のボラティリティが大きくなり、財務的な規律やガバナンスを効かせることが経営課題となっていました。新たな財務指標の導入、ガバナンスの強化、組織再編などの取り組みを進め、もともと強みであった営業力とうまく噛み合うようになり業績は次第に安定化。直近(2022年2月期時点)は3期連続の増益を実現することができました。

会社の安定成長は私が望んできたものであり、経営としてはよい状況になったのですが、一方で社内のバタバタ感がなくなってしまったことに寂しさを感じる自分もいました。会社が業容を拡大する過程で必要だったハラハラするような銀行や投資家との折衝の機会も減りました。このような会社の変化の中で「新しいことにチャレンジするなら今なのでは?」と思い、人生二度目の転職活動を始めたのです。

転職活動の際には「自分が会社の成長にコミットできること」と「事業が完全に立ち上がる前のフェーズから参加できること」を重視していました。ガリバーは自分が入社したときには既に事業が立ち上がり上場もしていたので、さらにその前のフェーズの会社の成長にコミットしてみたいと考えました。成熟する前の小さな会社のほうが「いい意味でのバタバタ感」をまた味わえるという期待もありましたし、相対的に自分が果たす役割が大きくなるからです。

多くの求人がありましたが、これまで主に財務畑を歩んできたこともあってファイナンスへの関心が強く、FinTech領域の会社には特にアンテナを張っていたんです。そんな中でエージェントから紹介を受けたOLTAの求人に惹かれました。

実は遠目で見ると「金融業界のバランスシート」と「中古車業界のバランスシート」はよく似ていて、例えば中古車販売事業では中古車の在庫(流動資産)の比率が大きく、それをバランスシート上でどのようにマネジメントしていくかということがポイントとなります。在庫を持たない一般的なSaaS事業と異なり、OLTAでは債権という資産を持つため、必然とデットの調達も必要だし、バランスシートが大きくなれば財務戦略のハードルも自ずと高まります。これまでの経験を活かしつつチャレンジができると思いました。また、OLTAの事業のコアである与信や債権管理についてはこれまで経験がなかったのですが、チャレンジしたいと思いました。内定をいただいた会社が複数社あり迷いましたが、これから学ばなければいけないことが最も多かったOLTAへの転職を決めました。ガリバー在籍22年となりますが、幾度かあった険しい道へのチャレンジこそが自分の成長になるという経験がこの決断の基礎になっています。

OLTAに入社後はコーポレート部門の責任者として、メンバーのマネジメントやデット・エクイティ調達のための銀行・投資家対応などを中心に、社内の様々なプロジェクトのマネジメントを担当しています。

こんな人と働きたい

私が一緒に働きたい人は、一言でいえば「枠に囚われない人」です。これにはいくつかの意味があります。まず1つは、自分の思考の枠からはみ出せる人という意味です。なにか壁に当たったときに既存の思考の枠を超えて、柔軟に解決法を探れる人ということです。次に、自分の仕事の領域に固執しない人という意味です。自分がある特定の領域においてプロフェッショナルであったとしても、自分の仕事の範囲を限定して捉える人は成長の可能性を狭めていると思います。どんなに特定の領域においてはプロフェッショナルであっても、貪欲に自分の既存の領域を広げる姿勢がある人は成長のスピードも早く、いっしょに働きたいと思います。

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