こんにちは!採用担当の工藤です。
セカツクは芸能関係者を支援する取り組みの一環として、演劇団体のスポンサー事業を行っています。
「人を楽しませ、感動させる」
そんな表現者である役者さんや劇団関係者の皆様を応援したいという思いと、「変わりたい人が、変わり続けられる会社で在る」という当社のビジョンとのシナジーから始まった取り組みです。
俳優・声優・芸人など、多くの夢追い人が自分の可能性を信じて舞台に立つ姿に、私たちは深く共感しています!
今回は、実際に演劇業界の現場で活躍している皆様が何を考え、どのような思いでセカツクと関わってくださっているのか、インタビューを行いました。
第九弾は、劇作家・舞台演出家として30年以上のキャリアを持ち、100タイトル以上の作品を手掛けてきた演劇界のレジェンド、ザ・シノハラステージング主宰の篠原 明夫(しのはら あきお)さんです。
演出家、脚本家、研修講師、講演家、PTA会長、そして3児の父と、数々の顔を持つ篠原さん。そのキャリアはまさに波乱万丈。しかし、一見バラバラに見える経験のすべてが、見事な「伏線」となって現在の活動に繋がっていると言います。
今回は、そんな篠原さんの演劇への情熱と、まるで一本の壮大な物語のような人生について、たっぷりとお話していただきました!
ぜひ、最後までご覧ください!
まずは、篠原さんが演劇の世界に入ったきっかけを教えてください。
きっかけは、小学校5年生のお楽しみ会ですね。仲のいい友達3人で「なんかやろうよ」って言って、桃太郎をやったんですよ。でも3人じゃ役が足りない。そこで僕が初めて脚本を書いたんです。
おじいさん・おばあさん・桃太郎でまず3人。桃太郎が旅に出たら、犬と猿が出てきて、この2人がいなくなる。キジの絵が描けなかったので、代わりに天才バカボンのニャロメが出てきて(笑)。ニャロメと桃太郎で鬼を退治して、戻ってきた犬と猿と宝を山分けするっていう。
これが会場で大ウケしまして。そこから「将来はテレビマンか監督だ!」と(笑)
そして当時は学校の先生にもなりたかったので、両方が叶う教育番組のディレクターか、特撮ヒーローもののドラマ部分の監督をやるんだと決めていました。
転機は高校生の時にあって、師匠の芝居を見て、もう撃たれちゃったんですよ。「テレビとか映画とか言ってる場合じゃない、ここなんだ!」と。すぐに師匠を出待ちして「入れてください!」って言ったら、「大学入ってからおいで」と言われて、大学なんて入る気無かったのでそこから必死に受験勉強したんですが…結局、名前を書いて10万円払ったら入れる日大の通信に入って、ようやく劇団の門を叩きました。
そこから、芸能界末端の小劇場のどん底を十数年歩いていく感じです。
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20代の頃の篠原さん
そこからご自身の劇団「ザ・シノハラステージング」を旗揚げするまでには、どのような経緯があったのですか?
それがですね、入った劇団では「お前は音響やれ」と言われ続ける3年間でして。最初は納得していたわけでは無かったけれど、その音響が武器になって、いろんな劇団で仕事をもらえたんです。そしてその先々で「実は僕、演出家なんです」って、当時はそんなんじゃないですけど言って回って(笑)。
音響さんって普通途中から合流するのですが、僕は稽古の最初から入って、いろんな演出家の演出技法を間近で勉強しました。
「最高に愛される演出家になろう」と思ってね。
そうやってキャリアを積んでいたら、ある時プロデュース公演で脚本と演出を任されたんです。念願で、「爽やかな冒険活劇を書くぞ!」と意気込んでいたんですが、スポンサーがたくさん付いて予算が大きくなったみたいで、「初演出のお前には任せられない」と演出を降ろされてしまって・・・創り上げたものが全部壊れてしまったんです。
有名な演出家が来たんですが、僕の青春爽やか冒険活劇を、真逆のものに変えられてしまったんですよ。スタッフもみんな離れていって…。その時に「ああ、これはもう自分でやるしかない」と。その爽やかな芝居をもう一度上演するんだと、その一心で立ち上げたのが「ザ・シノハラステージング」です。
当時の小劇場界では、珍しい作風だったのではないですか?
そうですね、特に下北沢はアクの濃い作品が多かったですね。
僕は、芸人さんたちとずっと一緒に仕事をしていたので、「分かりやすくて笑える」娯楽に徹した劇団を作ろうと思っていて。関西の役者さんにも「東京でも笑わせてくれる演出家がいるんだね」って言われましたね(笑)。たぶん当時の界隈にいないような稀有な作品でね。
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「超漫画朗読劇『古代戦士ハニワット』」出演の皆さま
30年以上のキャリアの中で、特に大きな転機はありましたか?
10年ぐらい前ですかね、大きな裏切りにあって1年間無収入になったことがありました。演劇の財産も全部なくして、当時PTA会長だったのに、子どもの給食費3,000円が払えない状態で。舞台用のBOSEのスピーカーをハードオフに売りに行ったら5,000円になって、その帰りに自転車がパンクして修理代が2,000円。ちょうど給食費分だけ残った、みたいな(笑)。
壮絶ですね・・・
もうダメだ!と思ってバイトを探したら、神宮外苑花火大会のディレクターの仕事があったんです。「お!ディレクターの仕事!」と行ってみたら思っていたのと違う「立ち止まらないでください!」って言う雑踏警備で(笑)。でも、これも演出だと思って口八丁手八丁で人を動かしたら、めちゃくちゃ評価されたんですよね。
「皆さん、こっから花火見えていませんよね?200m先にすごいポイントがあるんです!騙されたと思って動いてください!」とか「ここで動かないあなた、隣の彼女は『この人頑固だわ』って思ってますよ!」とか言って(笑)。
全然芸能に関係ないじゃん!と思いつつも、これって言ってみると前説じゃないですか。だから繋がっていますし、この警備の経験が、後に警備会社から「人流を整理するための台本を書いて、演出してくれ」という仕事に繋がったり。期待と違っていた仕事が、全部演劇の仕事になって返ってきたんです。
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ご家族とのお写真
演劇を再開されたきっかけを教えてください。
しばらく公演を打たなくなっていたところに、ファンの方から「篠原さんやりましょうよ」って声をかけられて、また再開したんですよ。でも全然自分の中でパワーが湧かなくて、納得いく公演ではなくなっていたところで、コロナに罹ったんです。3週間入院するくらい悪化して、死にかけて。
昔はいつ死んでもいいやと思ってたのに、「後悔して死ぬってことは、ここで地縛霊になるの?」と考えた瞬間、後悔して死ぬのは嫌だと思って、俳優養成所を立ち上げました。
若い子向けに始めたつもりが、集まってきたのは50代、60代の方ばかりで(笑)。でも、プロもアマも素人もごちゃ混ぜでやったら、ものすごい刺激的な化学反応が起きて。今では25人ぐらいの仲間がいます。
先生歴でいうと何年くらいになるのですか。
20代半ばからやっているので、30年以上ですね。今は演劇だけでなく、子育てとか読書感想文とかの教育も幅広くやっています。子供たちに向けた講演をしたり、SNSの使い方などの講習を学校から依頼されて行ったりですね。学校公演はそこに充てる予算が限られている所も多いので、工夫して、より子供たちに生の演劇を体感してもらえるようにアプローチしています。学校公演を提案するときにも、1公演だけじゃなくて、6~7種類ぐらいの公演から学校側が選べるように準備していて、出演してくれる役者が芝居で食べていけるような状態を作ったりもしています。
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稽古中の様子
役者さんの生活面も補填していらっしゃるんですね。 弊社セカツクでは、稽古や本番に合わせてシフト調整が可能なアルバイトを提供していますが、篠原さんから見て、このような会社の存在をどう思われますか?
いやもう、めちゃくちゃありがたいです!
僕らが若い頃は、公演のためにバイトを辞めるしかなかったんですよ。なので、公演が終わったらまた一から仕事探しをして。そんな時代でしたから。こういう会社が増えてくれると、役者さんは本当に助かります。
役者さんにもいろんなタイプがいて、人前で話すのが得意な人もいれば、内にこもるタイプもいる。なので、テレアポだけでなく、黙々とできる作業とか、いろんなジャンルの仕事を開拓していただけると、さらに多くの役者さんが救われる社会になると思います。
ではスポンサーが付くことは、劇団にとってどんな影響がありますか?
やっぱり「応援されている劇団なんだ」という信頼感がつきますよね。「好き勝手やってる若い子たちの劇団じゃないのね」という印象を持ってもらえる。そして僕らも、スポンサーさんの名前を背負っている以上、チラシやSNSでの発信をより丁寧に行うなど、やるべき以上のことをやって恩返しをしていきたいという意識が高まります。
最後に、篠原さんの今後の夢や展望を教えてください。
今後の夢はね…まず「健康になること」(笑)。
あとは、学校公演をたくさんやりたいですね。子どもたちに生の演劇を届けたい。予算がなくても呼んでもらえるように、いろんなパターンの作品を用意しています!
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学生向け公演のパンフレット
そして今後決まっている公演でいうと、7月に筒井康隆さんの短編集をライブハウスでやります。バーカウンターもあるんですが、そこまでもう縦横無尽に駆け回る形で浅草チックな感じですね。ハードかつ野蛮で残酷な「蛮酷博乱会」。サブタイトルは「不快を笑え」です(笑)。
11月は朗読劇で、複雑な家庭環境で育って薬物事件や夜の仕事など、世間から偏見の目にさらされる子を、限りなく実話を盛り込んだフィクションで作ろうとしています。あとは12月も決まっていて、戦争の最前線の話か、社会風刺的な、時事系も取り入れた闇バイトの話をやる予定です。
それぞれ、また強烈な作品になりそうですね!
爽やかなラブコメも作りますが、こういう人間の泥みたいなものを吐き出す作品も必要なんです。デトックスですね。そのサイクルで、これまで100本近い作品を作ってきました。
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7月公演のパンフレット
では最後に、見ている方にメッセージをお願いします。
僕が去年書いた脚本にこんなセリフがあるんです。「夢がないっていうのは素晴らしいんだ。夢がある人間だけでこの世の中がいっぱいになったら誰の夢もかなわないんだぞ。人の夢を支えることをお前は夢にしろ」と。
僕自身、このセリフを書きながら「夢がないってこんなにすごいことなんだ」って教えられました。夢を追いかける人はもちろん輝いていますが、それを支える人がいるからこそ、その輝きは増すんです。これって役者とセカツクさんの関係に似ているなって思うんです。(実際にはセカツクさんにも夢はあるのですが)。
夢を持つ者は、応援してくれる人の為に頑張らなくちゃいけない。そしてどんな形であれ、諦めずに続けていれば、必ず自分の役割や、面白い発見がある。人生の伏線は、後から全部繋がってきますから。
泥臭くてもいいから、一緒に頑張っていきましょう!
小学生の「桃太郎」から始まった、壮大な脚本家人生。
どんな逆境もユーモアと演劇の力で乗り越え、出会う人すべてを巻き込んで幸せにしてしまう篠原さん。そのお話は、まさに「人生は伏線回収の物語」そのものでした。
そのパワフルな言葉は、夢を追いかける多くの人にとって、大きな希望と勇気を与えてくれるはずです。
ザ・シノハラステージングの今後の挑戦を、セカツクとしても心から応援していきます!
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芸能活動と並行してアルバイトや正社員として働きながら夢を追う方々、そして「転職してでも夢を諦めたくない」という方の力になれるよう、今後も多様な仕事の形を支援していきます。
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