【事例紹介#4】電子部品メーカー2社の合併で誕生した新SY社の融合プロジェクト

私たちは業界を問わず大手企業に特化したビジネスを展開。
現在300社以上と取引をしています。

JBAが支援するのは、クライアントの「伝えたい」を「伝わる」に変え、
企業の魅力(ブランド)が理解され、応援され、愛される会社にすること。

ブランディング、マーケティング、採用、組織風土改革など領域を一切制限せず、企業の「伝わる」のためのすべてを支援しています。

具体的にはどのような相談を受け、どのような仕事をしているの?
求職者の方からよくご質問いただきます。

そういった疑問にお答えしていくために、事例紹介をすることにしました。

とある企業が抱える課題に対し、JBAが何を考え、どう行動したのか?そしてそれが、企業にとってどのような効果をもたらしたのか?実際にプロジェクトに携わったコンサルタントが、やりがいや苦悩、自らの仕事観に至るまで、赤裸々に語ります。

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第4回は…
電子部品メーカー2社の合併で誕生した新SY社の融合プロジェクト

こんにちは、JBA入社6年目のコンサルタント江口です。佐賀の海苔養殖の一家に生まれた僕。極寒の海の過酷な状況の中、休む間もなく働き続ける両親を見て育ちました。「稼ぐ」ことと「支える」ことを両親の背中から学んだように思います。


江口家の海苔漁船にて


そんな自分の人生を一言で言うと、「下剋上の人生」です。学生時代はバレーボールに打ち込みました。自分より実力があって目標にしていた選手を抜いて佐賀県選抜に選ばれたり、大学バレーでもライバルを打ち負かし、1部リーグに昇格するなど、何度も這い上がってきました。佐賀大学大学院まで進学して勉強した建築も、九大や京大、東大など学力では勝る学生にも負けたくないと思い、ニッチな分野に絞り、自分だけの研究を行いました。下から上に突き上げていくような、そんな環境が自分には心地よかったのです。


就活では、大手広告会社の内定もいただいていました。それでもJBAを選んだ理由は、Web、紙、動画、3Dなどの媒体を問わず、あらゆる課題解決ができるから。大学時代は、「建築」というソリューションしかなく歯がゆさを感じていた自分にとっては、無限大の可能性を感じました。さらには、社内広報という聞いたことのないニッチなビジネス。社内のコミュニケーションに入り込むことは「情報の宝庫」だという言葉を聞いて胸を高鳴らせました。JBA自体も絶対に発展するし、自分も絶対に成長できる、そう考えて入社を決意しました。

そんな僕が今抱えている最大の案件が、新SY社です。新SY社は、2年前に電子部品メーカーのニッチトップを走っていた旧S社と旧Y社が合併してできた新しい企業。従業員は約3400名で、業界最大手というわけではありませんが、顧客のニーズに事細かにこたえるBtoBビジネスで、多くの法人から支持を集めています。

厄介な案件が来てしまった…。ビビりつつも担当者に。

取引のきっかけは9年前、合併前までさかのぼります。その頃は、僕自身も大学生で、JBAのことを知りもしませんでした。あるコンサルタントが、旧S社の社内マガジンの制作依頼を得たことから、旧Y社、そして合併後の新SY社との長い関係性が始まりました。

僕が担当しはじめたのは、5年前のこと。その当時もまだ社内マガジンの取引のみででした。新卒でBtoBという言葉すら知らなかった自分。実は、旧S社の担当に指名されたことに、あまり深い思い入れはありませんでした。むしろ、何やっているのかよく分からない会社だな、と感じていたんです。むしろ、前任のコンサルタントが過去に叱責を受けたことがあるという話を聞き、厄介な案件がきてしまったとビビっていました。

でも、関わりはじめるとすごく面白かった。担当者さんとも実際に話してみると馬が合いました。最初の商談では、過去の社内マガジンを片手に、バルーンの話を持ちかけました。僕の地元・佐賀では毎年10月~4月の時期には毎朝バルーンが飛んでいます。旧S社も自社の名前を付けたバルーンを飛ばしていました。バルーンと佐賀の話題で大盛り上がりでしたね。コミュニケーションを重ねていくうちに、しっかりとした考えのもとで厳しいことをおっしゃっているのだということも分かりました。

その後、工場で生産される様子を実際に見学させてもらったり、役員の方から会社に対する考え方を聞いたりするうちに、今まで見向きもしてこなかったBtoBビジネスが、どれほど社会に影響を及ぼしていたのかを実感。どんどん旧S社のことを好きになり、もっと知りたい、担当者さんのためにもっと役に立ちたいと思うようになりました。時には、担当者さんの無理難題に応えることも。たとえば、担当者さんから桜の木の下で新入社員の写真を撮りたいとお願いされれば、近くの公園まで雨の中撮影しました。新入社員の誘導など手間はかかりましたが、結果的に誌面が出来上がった際は、担当者さんからもほかの社員さんからも「春らしくていいね」と高評価でした。また、「全部の工場を回ってください」と言われれば、喜んで取材撮影のために駆け巡りました。現場に徹底的に入り込み、担当者さんの要望に応え続けることで信頼関係もどんどん深まっていきました。

当時は、週に4日程度足しげく通い、見て聞いた情報を漏らすことなくExcelに議事録として残しました。今では、その記録は何千行にもわたります。社員の方からも顔を覚えられ、通路で会えば、社員かの如く挨拶をしていただけるようになりました。採用のインターンシップでは社員と間違われ、学生から旧S社の質問を受けたこともありました。いつのまにか、担当者さんが「こうしたい」と言えば、「なぜ」と聞く前に動き始められるように。まさに「阿吽の呼吸」。「なぜ」と聞くまでもなく、自然と担当者さんの考えが自分のことのように理解できていたのです。


そうこうしているうちに、「社員でもここまで知らないのに、なんでこんなことまで知ってるの」とお客様から評されるように。組織図を見れば、ほとんどすべての部署と会ったことがあるくらいまで、旧S社のことを知り尽くしていました。入社前に聞いていた「情報の宝庫」という言葉を自らが体現できているのだと実感し、胸が高まりましたね。その後、社内マガジン以外にも、自然と採用や周年プロジェクトの依頼を受けるようになり、さらに幅広く、深い関係性が構築されていきました。

圧倒的な情報力で合併後の融和プロジェクトも任される

そして2年前、新SY社合併の話が持ち上がります。当然、公式に発表されるまで我々も知りませんでした。合併まで半年。それまでに旧Y社のことを知り尽くさねば。どこかで打ち合わせがあると聞けば、真っ先に駆け付けました。旧Y社にとっては、JBAは知らない企業。旧S社の担当者さんの力を借りながら、深く潜り込んでいきました。特にそのタイミングは、次年度の新卒採用の戦略を練る時期でした。新SY社としての採用をどうしていくか、新たな戦略を練るため両社との打ち合わせを重ね、信頼関係の構築に励みました。

その結果、合併後も社員間のコミュニケーションの活性化を図る社内マガジン、社外向けに発信するCSR、優秀な人材を採用するための広報活動と、継続したお付き合いを実現できました。社内マガジンに至ってはノーコンペ(コンペ:複数の業者で競い合い、主催者が1社のみの選定をする。広報の案件においては一般的に行われる)での受注。これまでの旧S社との信頼関係と、半年という短期間で旧Y社に潜り込んだ姿勢、そして両社に深く入り込むことで得られた圧倒的な情報量が評価されました。上司からは、「江口は新SY社の仕事しかしてないな」と冷やかされるほど、深く入り込んでいましたね。


今では、JBAを「ハブ」のように活用していただいています。たとえば、採用担当から「工場の写真が必要なんだよね」と聞けば、「企画部が工場で取材しているので、その写真を使えますよ」と伝えています。いわば、外部であるはずのJBAが、新SY社の内部の部門間のパイプ役を担っているのです。お客様側も「社外には発信しないような些細な情報であっても、とりあえずJBAに伝えておけば、情報を加工したり、その情報をもとに新たなブランディング施策を提案してもらえるだろう」と考えてくださっているんですね。我々としても、情報が手元にあればあるほど、より新SY社に適した提案ができます。例えば、採用ではこんな活動をしているから、社内マガジンでもこういう特集をしませんか、という提案をします。この提案は、各部署で情報が錯綜している中、それら全てを取りまとめて分析し、活用方法を考え出せるJBAだからこそできる提案であり、担当部署のことしか分からないお客様では決して生み出せない発想です。JBAだからできる提案を続けた結果、さらに信頼関係が深まり、また新たな依頼が発生するというシナジーが生まれているのだと分析しています。はじめは社内報のみだった取引。現在では、新SY社の案件だけで、社内マガジン、CSR冊子、研修動画など約30~40のプロジェクトが同時進行する、超大型案件となりました。

現在進行中の一番大きなプロジェクトは、50周年を節目とした社内ブランディングです。別々の会社が一つになってまだ2年。工場が違っていたり、人事制度が完全に融合できていなったり、まだまだ2社間には隔たりがあります。また、同業同士の合併であるため共通する考え方もありますが、片方は挑戦的で片方は保守的など、社風にも差があり、心と心の融和にも課題が残っています。合併してから2年。新SY社としては来年で50周年。この記念すべきタイミングで、社内の交流を活性化して融和を深め、未来へとつながる一歩を踏み出したい。そんな課題感がありました。

私たちは考えました。どうすれば、50周年という絶好のタイミングを有効活用し、2社間の融合を進められるのか。そこで企画したのは、既存の施策をバージョンアップさせた周年プロジェクトです。新SY社では、以前から同じ年齢層で集まったり、お互いの技術を紹介したりして、社員同士の交流を深め合う座談会を開催していました。これを周年事業に発展できないかと考えたのです。早速、既存の座談会企画を元にして社員の心の融合を後押しする周年プロジェクトの提案。見事、受注しました。50周年の迎え方に関するコンサルティング(どう社内を盛り上げるか、社内の改革をどうやって推し進めるか、ステークホルダーへの感謝をどう伝えるかなど)や、次の100周年を見据えたときにどんな人材を採用すべきかを提案する採用コンサルティング、座談会企画、スペシャルサイト、記念ロゴ、ポスター制作など様々なプロジェクトが進んでいます。

成長できる環境があったから、頑張れた

1つの社内マガジンから、40ものプロジェクトを同時進行するまでに取引が拡大。なぜ自分がこれほどまでの成果を挙げることができたのか、理由は大きく2つあると考えています。

1つ目は、旧S社の担当者さん。厳しい方でしたが、私が旧S社を知るためのすべての機会をいただき、あらゆる場面で頼っていただきました。担当者さんの協力なくして、今の深い関係性はなかったと思います。JBAはインナーブランディングのプロですが、一番会社のことを知っているのは当事者であるお客様です。だからこそ、お客様に憑依するが如く、お客様の視点で物事を考え、JBAなりの答えを出していかねば、お客様に負けてしまいます。なので、担当者さんに認めてもらえるまで、一歩も引かずに頑張り続けました。格好つけたことを言っても、実際は未だに認めてもらえていないような気もするのですが、泥臭く潜り込んだことで、担当者さんの信頼が得られ、新たなビジネスに発展させることができたのだと思います。

そして2つ目。それは、JBAの直属の先輩の存在です。先輩も同様に、社内マガジンのみの取引から、採用、CSR、周年など様々な分野の事業に発展させてきた経験がありました。僕自身もその案件に担当者として入っており誇らしい気持ちを抱いていましたが、同時に、あくまで先輩のものであって僕のものではないな、と感じていました。だから、先輩に負けないくらいの成果を出したい、もっと言えばJBAでも下剋上を起こしてやりたい、そんな野心を抱きました。さらには、上司を超えてJBAでも具現化できていないほどの関係性モデルをつくるという目標を掲げました。それから、お客様に寄り添って、未来を志向した提案を心がけるようになりました。その結果、お客様との深い関係を築くとともに、さまざまなシナジーを生み出すことができたのだと考えています。今も上司を追い抜きたいという思いは変わりません。上司がどうやってお客様とのやり取りをするかを常に観察し、自身のスキルアップを図っています。

今後の目標は、アウターブランディングへの支援領域を広げていくこと。新SY社では、現在インナーブランディングが中心ですが、今回の周年ではさらにアウターへの情報発信も任されています。「アウターもJBAに任せてよかった、今後もお願いしたい」と言っていただけるよう、精一杯頑張っていきたいと思います。

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